『四条金吾釈迦仏供養事』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云。
 開眼(かいげん)の事、普賢経(ふげんぎょう)に云はく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目(げんもく)なり」等云云。又云はく「此の方等経は是諸仏の眼なり諸仏是に因(よ)って五眼(ごげん)を具することを得たまへり」云云。此の経の中に得具五眼とは一には肉眼、二には天眼、三には慧(え)眼、四には法眼、五には仏眼なり。此の五眼をば法華経を持(たも)つ者は自然(じねん)に相具(あいぐ)し候。譬へば王位につく人は自然に国のしたがうごとし。大海の主となる者の自然に魚を得るに似たり。華厳・阿含・方等(ほうどう)・般若・大日経等には五眼の名はありといへども其の義なし。今の法華経には名もあり、義も備はりて候。設(たと)ひ名はなけれども必ず其の義あり。
 三身の事、普賢経に云はく「仏三種の身は方等より生ず。是の大法印は涅槃海を印す。此くの如き海中より能く三種の仏の清浄(しょうじょう)の身を生ず。此の三種の身は人天の福田にして応供(おうぐ)の中の最なり」云云。三身とは一には法身如来、二には報身如来、三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐ(相具)す。譬へば月の体は法身(ほっしん)、月の光は報身、月の影は応身(おうじん)にたとう。一の月に三のことわりあり、一仏に三身の徳まします。この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず。故に天台大師の云はく「仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝へず」云云。此の釈の中に於諸教中とか(書)ゝれて候は、華厳・方等・般若のみならず、法華経より外の一切経なり。秘之不伝(ひしふでん)とかゝれて候は、法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘して説き給はずとなり。
 されば画像(えぞう)・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二には五陰(ごおん)世間、三には国土世間なり。前の二は且(しばら)く之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑ(絵)のぐ(具)は草木なり。画像これより起こる。木と申すは木像是より出来す。此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり。天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。止観の明静(みょうじょう)なる前代にいまだきかずとかゝれて候と、無情仏性惑耳驚心(わくにきょうしん)等とのべられて候は是なり。此の法門は前代になき上、後代にも又あるべからず。設(たと)ひ出来せば此の法門を偸盗(ちゅうとう)せるなるべし。然(しか)るに天台以後二百余年の後、善無畏(ぜんむい)・金剛智・不空等、大日経に真言宗と申す宗をかまへて、仏説の大日経等にはなかりしを、法華経・天台の釈を盗み入れて真言宗の肝心とし、しかも事を天竺によせて漢土・日本の末学を誑惑(おうわく)せしかば、皆人此の事を知らず、一同に信伏(しんぷく)して今に五百余年なり。然る間真言宗已前の木画の像は霊験殊勝なり。真言已後の寺塔は利生(りしょう)うすし。事多き故に委(くわ)しく注(しる)せず。
 此の仏こそ生身(しょうじん)の仏にておはしまし候へ。優填(うでん)大王の木像と影顕(ようけん)王の木像と一分もたがうべからず。梵帝・日月・四天等必定(ひつじょう)して影の身に随ふが如く貴辺をばまぼらせ給ふべし 是一。
(平成新編0992~0993・御書全集1144~1145・正宗聖典----・昭和新定[2]1474~1476・昭和定本[2]1182~1184)
[建治02(1276)年07月15日(佐後)]
[真跡・鎌倉妙本寺 身延曾存(10%未満現存)]
[※sasameyuki※]