しなじな(品品)のものをくり給(た)びて候。
善根と申すは大なるによらず、又ちいさきにもよらず、国により、人により、時により、やうやうにかわりて候。譬へばくそ(糞)をほしてつきくだき、ふるいて、せんだん(栴檀)の木につくり、又、女人・天女・仏につくりまいらせて候へども、火をつけてやき候へばべち(別)の香りなし。くそくさし。そのやうに、ものをころし、ぬすみをして、そのはつを(初穂)をとりて、功徳善根をして候へども、かへりて悪となる。須達長者(すだつちょうじゃ)と申せし人は月氏(がっし)第一の長者、ぎをん(祇園)精舎をつくりて、仏を入れまいらせたりしかども、彼の寺焼けてあとなし。この長者もといを(魚)をころしてあきな(商)へて長者となりしゆへに、この寺つゐにう(失)せにき。今の人々の善根も又かくのごとし。大なるやうなれども、あるいはいくさ(戦)をして所領を給(た)び、或はゆへ(故)なく民をわづらはして、たから(財)をまうけて善根をなす。此等は大なる仏事とみゆれども、仏にもならざる上、其の人々あと(跡)もなくなる事なり。又、人をもわづらはさず、我が心もなをしく、我とはげみて善根をして候も、仏にならぬ事もあり。いはく、よきたねをあ(悪)しき田にうえぬれば、たねだにもなき上、かへりて損となる。まことの心なれども、供養せらるゝ人だにもあしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候。此は日蓮を御くやうは候はず、法華経の御くやうなれば、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に此の功徳はまか(任)せまいらせ候。
抑(そもそも)今年の事は申しふ(古)りて候上、当時はとし(歳)のさむき事、生まれて已来(このかた)いまだおぼへ候はず。ゆきなんどのふりつもりて候事おびたゞし。心ざしある人もとぶらいがたし。御をとづれをぼろげの御心ざしにあらざるか。恐々謹言。
(平成新編1581~1582・御書全集1485~1486・正宗聖典----・昭和新定[3]2262~2263・昭和定本[2]1899~1900)
[弘安04(1281)年12月27日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]