『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 迹門十四品の正宗の八品は一往(いちおう)之を見るに、二乗を以て正(しょう)と為(な)し、菩薩・凡夫を以て傍(ぼう)と為す。再往(さいおう)之を勘(かんが)ふれば、凡夫正像末を以て正と為す。正像末の三時の中にも末法の始めを以て正が中の正と為す。問うて曰く、其の証如何(いかん)。答へて曰く、法師品に云はく「而(しか)も此の経は如来の現在すら猶(なお)怨嫉(おんしつ)多し、況んや滅度の後をや」と。宝塔品に云はく「法をして久住(くじゅう)せしむ。乃至来たれる所の化仏(けぶつ)当(まさ)に此の意を知るべし」等と。勧持・安楽等之(これ)を見るべし。迹門すら是(か)くの如し。
 本門を以て之を論ずれば、一向に末法の初めを以て正機と為す。所謂(いわゆる)一往之を見る時は久種(くしゅ)を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟(じゅく)と為して、本門に至って等妙(とうみょう)に登らしむ。再往之を見れば迹門には似ず、本門は序正流通倶(とも)に末法の始めを以て詮と為す。在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。
(平成新編0656・御書全集0249・正宗聖典0157、1035・昭和新定[2]0970・昭和定本[1]0714~0715)
[文永10(1273)年04月25日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]