問うて曰く、法華経は誰人の為に之を説くや。答へて曰く、方便品より人記品に至るまでの八品に二意あり。上より下に向かって次第に之を読めば第一は菩薩、第二は二乗、第三は凡夫なり。安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師(ほっし)と逆次(ぎゃくじ)に之を読めば滅後の衆生を以て本と為(な)す。在世の衆生は傍(ぼう)なり。滅後を以て之を論ずれば正法一千年・像法一千年は傍なり。末法を以て正と為す。末法の中には日蓮を以て正と為すなり。問うて曰く、其の証拠如何。答へて曰く「況滅度後(きょうめつどご」の文是なり。疑って云はく、日蓮を正と為す正文如何。答へて云はく「諸の無智の人の、悪口罵詈(めり)等し、及び刀杖(とうじょう)を加ふる者有らん」等云云。問うて曰く、自讃(じさん)は如何。答へて曰く、喜び身に余るが故に堪へ難くして自讃するなり。問うて曰く、本門の心は如何。答へて曰く、本門に於て二の心有り。一には涌出品(ゆじゅっぽん)の略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)は前四味(ぜんしみ)並びに迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり。二には涌出品の動執生疑(どうしゅうしょうぎ)より一半並びに寿量品・分別功徳品(ふんべつくどくほん)の半品、已上一品二半を広開近顕遠(こうかいごんけんのん)と名づく。一向に滅後の為なり。問うて曰く、略開近顕遠の心は如何。答へて曰く、文殊・弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日・月・衆星・竜王等、初成道の時より般若経に至る已来一人も釈尊の御弟子に非ず。此等の菩薩・天人は初成道の時、仏未だ説法したまはざる已前に不思議解脱に住して我(われ)と別円二教を演説す。釈尊其の後に阿含・方等・般若を宣説したまふ。然りと雖も全く此等の諸人の得分(とくぶん)に非ず。既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり。勝は劣を兼(か)ぬる是なり。委細(いさい)に之を論ぜば或は釈尊の師匠なるか、善知識とは是なり。釈尊に随ふに非ず。法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人々は弟子と成りぬ。舎利弗・目連等は鹿苑(ろくおん)より已来初発心(しょほっしん)の弟子なり。然りと雖も権法のみを許せり。今法華経に来至して実法を授与し、法華経の本門の略開近顕遠に来至して、華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日・月・四天・竜王等位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり。若し爾(しか)れば今我等天に向かって之を見れば生身(しょうじん)の妙覚の仏が本位(ほんい)に居(こ)して衆生を利益する是なり。
(平成新編0734~0735・御書全集0333~0334・正宗聖典0168~0170、1035・昭和新定[2]1071~1072・昭和定本[1]0813~0814)
[文永11(1274)年05月24日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(70%以上100%未満現存)、古写本・日興筆 富士大石寺 日目筆 富士大石寺 日澄筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]