『妙一女御返事(法華即身成仏抄)』(佐後) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 去(い)ぬる七月(ふづき)中旬の比(ころ)、真言法華の即身成仏の法門、大体註(ちゅう)し進(まい)らせ候ひし。其の後は一定法華経の即身成仏を御用ひ候らん。さなく候ひては当世の人々の得意(こころえ)候、無得道の即身成仏なるべし。不審なり。先日書きて進(まい)らせ候ひし法門能(よ)く心を留めて御覧あるべし。其の上即身成仏と申す法門は、世流布(よるふ)の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ。就中(なかんずく)予が門弟は万事をさ(差)しお(置)きて此の一事に心を留むべきなり。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在々処々にして申し宣(の)べたる法門繁多なりといへども、所詮は只此の一途なり。
 世間の学者の中に、真言家に立てたる即身成仏は釈尊所説の四味三教に接入したる大日経等の三部経に、別教の菩薩の授職潅頂(じゅしょくかんじょう)を至極の即身成仏等と思ふ。是は七位の中の十回向(じゅうえこう)の菩薩の歓喜地(かんぎじ)を証得(しょうとく)せる体為(ていたらく)なり。全く円教の即身成仏の法門にあらず。仮令(たとい)経文にあるよしを■(=句-口+言)(ののし)るとも、歓喜行、証得の上に得たるところの功徳を沙汰(さた)する分斉(ぶんざい)にてあるなり。是十地(じゅうじ)の菩薩の因分の所行にして、十地等覚は果分を知らず。円教の心を以て奪って言へば、六即の中の名字観行(みょうじかんぎょう)の一念に同じ。与へて云ふ時は、観行即の事理和融にして理慧(りえ)相応の観行に及ばず。或は菩提心論(ぼだいしんろん)の文により、或は大日経の三部の文によれども、即身成仏にこそあらざらめ。生身得忍にだにも云ひよせざる法門なり。されば世間の人々は菩提心論の唯真言法中の文に落とされて、即身成仏は真言宗に限ると思へり。之に依って正しく即身成仏を説き給ひたる法華経をば戯論(けろん)等云云。止観(しかん)五に云はく「設(も)し世を厭(いと)ふ者も下劣の乗を翫(もてあそ)んで枝葉に攀付(はんぷ)す。狗作務(いぬのさむ)に狎(な)れ、■(=狎-甲+彌)猴(みこう)を敬ひて帝釈と為(な)し、瓦礫(がりゃく)を崇(あが)めて是明珠とす。此の黒闇(こくあん)の人豈(あに)道を論ずべけんや」等云云。此の意なるべし。歎かはしきかな、華厳・真言・法相の学者徒(いたずら)にいとま(暇)をついやし、即身成仏の法門をたつる事よ。
 夫(それ)先づ法華経の即身成仏の法門は竜女を証拠とすべし。提婆品に云はく「須臾(しゅゆ)の頃(あいだ)に於て便(すなわ)ち正覚を成ず」等云云、乃至「変じて男子と成る」と。又云はく「即ち南方無垢(むく)世界に往(ゆ)く」云云。伝教大師云はく「能化の竜女も歴劫(りゃっこう)の行無く、所化の衆生も亦歴劫無し。能化所化倶(とも)に歴劫無し。妙法経力即身成仏す」等云云。又法華経の即身成仏に二種あり。迹門は理具の即身成仏、本門は事の即身成仏なり。今本門の即身成仏は当位即妙(とういそくみょう)、本有不改(ほんぬふがい)と断ずるなれば、肉身を其のまゝ本有無作の三身如来と云へる是なり。此の法門は一代諸教の中に之無し。文句に云はく「諸教の中に於て之を秘して伝へず」等云云。
 又法華経の弘まらせ給ふべき時に二度有り。所謂(いわゆる)在世と末法となり。修行に又二意有り。仏世は純円一実、滅後末法の今の時は一向本門の弘まらせ給ふべき時なり。迹門の弘まらせ給ふべき時は已(すで)に過ぎて二百余年になり、天台・伝教こそ其の能弘(のうぐ)の人にてましまし候ひしかども、それもはや入滅し給ひぬ。日蓮は今、時を得たり。豈(あに)此の所嘱の本門を弘めざらんや。本迹二門は機も法も時も遥かに各別なり。
 問うて云はく、日蓮計り此の事を知るや。答へて云はく「天親・竜樹内鑑(ないがん)冷然(れいねん)」等云云。天台大師云はく「後の五百歳遠く妙道に沾(うるお)はん」と。伝教大師云はく「正像稍(やや)過ぎ已(お)はって末法太(はなは)だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其の時なり。何を以てか知ることを得ん。安楽行品に云はく末世法滅時」云云。此等の論師人師、末法闘諍堅固(とうじょうけんご)の時、地涌出現し給ひて本門の肝心たる南無妙法蓮華経の弘まらせ給ふべき時を知りて、恋させ給ひて是くの如き釈を設(もう)けさせ給ひぬ。尚々即身成仏とは、迹門は能入の門、本門は即身成仏の所詮の実義なり。迹門にして得道せる人々、種類種・相対種の成仏、何(いず)れも其の実義は本門寿量品に限れば常にかく観念し給へ。正観なるべし。
 然るにさばかりの上代の人々だにも即身成仏には取り煩(わずら)はせ給ひしに、女人の身として度々此くの如く法門を尋ねさせ給ふ事は偏(ひとえ)に只事にあらず、教主釈尊御身に入り替(か)はらせ給ふにや。竜女が跡を継ぎ給ふか、又■(=情-青+喬)曇弥女(きょうどんみにょ)の二度来たれるか。知らず、御身は忽(たちま)ちに五障の雲晴れて、寂光の覚月(かくげつ)を詠(なが)め給ふべし。委細は又々申すべく候。
(平成新編1498~1500・御書全集1260~1262・正宗聖典1033~1034・昭和新定[3]2154~2156・昭和定本[2]1796~1799)
[弘安03(1280)年10月05日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]