『開目抄 上』(佐後)[曾存] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 三には大覚世尊、此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁(きょうりょう)・大船師・大福田(ふくでん)等なり。外典外道の四聖三仙、其の名は聖なりといえども実には三惑未断(さんなくみだん)の凡夫、其の名は賢なりといえども実に因果を弁(わきま)へざる事嬰児(ようじ)のごとし。彼を船として生死の大海をわたるべしや。彼を橋として六道の巷(ちまた)こえがたし。我が大師は変易(へんじゃく)猶(なお)わたり給へり。況んや分段の生死をや。元品(がんぽん)の無明の根本猶かたぶけ給へり。況んや見思(けんじ)枝葉の麁惑(そわく)をや。此の仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで、五十年が間一代の聖教(しょうぎょう)を説き給へり。一字一句皆真言なり。一文一偈(いちもんいちげ)妄語にあらず。外典外道の中の聖賢の言(ことば)すら、いうことあやまりなし。事と心と相符(あいあ)へり。況んや仏陀は無量曠劫(こうごう)よりの不妄語の人、されば一代五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり。大人の実語なるべし。初成道の始めより泥■(=清-青+亘)(ないおん)の夕べにいたるまで、説くところの所説皆真実なり。
 但し仏教に入って五十余年の経々、八万法蔵を勘(かんが)へたるに、小乗あり大乗あり、権経あり実経あり、顕教・密教、軟語(なんご)・麁語(そご)、実語・妄語、正見・邪見等の種々の差別あり。但し法華経計り教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり。大覚世尊は四十余年の年限を指して、其の内の恒河(ごうが)の諸経を未顕真実、八年の法華は要当説真実と定め給ひしかば、多宝仏大地より出現して皆是真実と証明す。分身(ふんじん)の諸仏来集して長舌を梵天に付く。此の言赫々(かくかく)たり、明々たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰いで信ぜよ。伏して懐(おも)ふべし。
(平成新編0526・御書全集0188・正宗聖典0076~0077、1030・昭和新定[1]0760~0761・昭和定本[1]0538~0539)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]