『開目抄 上』(佐後)[曾存] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 (儒家は)かくのごとく巧みに立つといえども、いまだ過去・未来を一分もしらず。玄とは、黒なり、幽なり。かるがゆへに玄という。但現在計りしれるににたり。現在にをひて仁義を制して身をまぼり、国を安んず。此に相違すれば族(やから)をほろぼし家を亡ぼす等いう。此等の賢聖の人々は聖人なりといえども、過去をしらざること凡夫の背をみず、未来をかゞみざること盲人の前をみざるがごとし。但現在に家を治め、孝をいたし、堅く五常を行ずれば傍輩(ほうばい)もうやまい、名も国にきこえ、賢王もこれを召して或は臣となし、或は師とたのみ、或は位をゆづり、天も来たって守りつかう。所謂周の武王には五老きたりつかえ、後漢の光武には二十八宿来たって二十八将となりし此なり。而りといえども、過去・未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世(ごせ)をもたすけず、不知恩の者なり。まことの賢聖にあらず。孔子が此の土に賢聖なし、西方に仏図(ふと)という者あり、此聖人なりといゐて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽(れいがく)等を教へて、内典わたらば戒定慧(かいじょうえ)をし(知)りやす(易)からせんがため、王臣を教へて尊卑(そんぴ)をさだめ、父母を教へて孝の高きことをしらしめ、師匠を教へて帰依(きえ)をしらしむ。妙楽大師云はく「仏教の流化(るけ)実に茲(ここ)に頼(よ)る。礼楽前(さき)に駆(は)せて真道後に啓(ひら)く」等云云。天台云はく「金光明経に云はく、一切世間所有の善論皆此の経に因る。若し深く世法を識(し)れば即ち是仏法なり」等云云。止観に云はく「我れ三聖を遣はして彼の真丹(しんだん)を化す」等云云。弘決(ぐけつ)に云はく「清浄法行経に云はく、月光菩薩彼(かしこ)に顔回(がんかい)と称し、光浄菩薩彼に仲尼(ちゅうじ)と称し、迦葉菩薩彼に老子と称す。天竺より此の震旦(しんだん)を指して彼と為す」等云云。
(平成新編0524~0525・御書全集0186~0187・正宗聖典0073~0074、1030・昭和新定[1]0757~0758・昭和定本[1]0535~0537)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]