『中興入道御消息(中興入道消息・中興入道妻書・中興抄)』(佐後) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 然るに貴辺は故次郎入道殿の御子(みこ)にてをはするなり。御前は又よめ(嫁)なり。いみじく心かしこ(賢)かりし人の子とよめ(嫁)とにをはすればや、故入道殿のあと(跡)をつ(継)ぎ、国主も御用ひなき法華経を御用ひあるのみならず、法華経の行者をやしな(養)はせ給ひて、としどし(年年)に千里の道をおく(送)りむか(迎)へ、去(みまか)りぬる幼子のむすめ(娘)御前の十三年に、丈六のそとば(卒塔婆)をたてゝ、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其の風にあたりて大海の苦をはな(離)れ、東風(こち)きたれば西山の鳥鹿(ちょうろく)、其の風を身にふ(触)れて畜生道をまぬ(免)かれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況んやかのそとば(卒塔婆)に随喜をなし、手をふ(触)れ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をて(照)らし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水す(澄)めば月うつ(映)り、つゞみ(鼓)をう(打)てばひゞ(響)きのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後々の御そとば(卒塔婆)にも法華経の題目を顕はし給へ。
(平成新編1434・御書全集1334~1335・正宗聖典1028~1029・昭和新定[3]2060~2061・昭和定本[2]1718~1719)
[弘安02(1279)年11月30日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]