『三沢抄』(佐後)[古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 又うつぶさ(内房)の御事は御とし(年)よ(寄)らせ給ひて御わたりありし、いた(痛)わしくをも(思)ひまいらせ候ひしかども、うぢがみ(氏神)へまい(参)りてあるつ(次)いでと候ひしかば、げざん(見参)に入るならば定めてつみ(罪)ふかゝるべし。其の故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君へのげざん(見参)は世間にもをそれ候。其の上(うえ)尼の御身(おんみ)になり給ひてはまづ仏をさきとすべし。かたがたの御とが(失)ありしかば、げざん(見参)せず候。此又尼ごぜん一人にはかぎらず、其の外の人々も、しもべ(下部)のゆのついでと申す者を、あまたを(追)ひかへ(返)して候。尼ごぜんはをや(親)のごとくの御としなり。御なげきいたわしく候ひしかども、此の義をし(知)らせまいらせんためなり。
 又との(殿)はをとゝし(一昨年)かのげざんの後、そらごとにてや候ひけん。御そらう(所労)と申せしかば、人をつかわしてきかんと申せしに、此の御房たちの申せしは、それはさる事に候へども、人をつかわしたらばいぶせく(不審)やをもはれ候はんずらんと申せしかば、世間のならひはさもやあるらむ。げん(現)に御心ざしあるなる上、御所労ならば御使ひも有りなんとをもひしかども、御使ひもなかりしかば、いつは(偽)りをろ(愚)かにてをぼつかなく候ひつる上、無常は常のならひなれども、こぞ(去年)ことしは世間はう(法)にすぎて、みゝへまいらすべしともをぼ(覚)へず。こひ(恋)しくこそ候ひつるに、御をとづれ(音信)ある、うれしとも申す計りなし。尼ごぜんにもこのよしをつぶつぶ(委曲)とかたり申させ給ひ候へ。
(平成新編1204~1205・御書全集1489~1490・正宗聖典1028・昭和新定[2]1782~1783・昭和定本[2]1447~1449)
[建治04(1278)年02月23日(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]