『如説修行抄(隨身不離抄)』(佐後)[古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 問うて云はく、如説修行の行者と申し候は何様(いかよう)に信ずるを申し候べきや。答へて云はく、当世日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は、諸乗一仏乗と開会しぬれば、何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし。念仏を申すも、真言を持つも、禅を修行するも、総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名(みな)を持ちて唱ふるも、皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云はれ候なり等云云。予が云はく、然らず。所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず。只仰いで仏の金言をまぼ(守)るべきなり。我等が本師釈迦如来、初成道の始めより法華を説かんと思(おぼ)し食(め)ししかども、衆生の機根未熟なりしかば、先づ権教たる方便を四十余年が間説きて、後に真実たる法華経を説かせ給ひしなり。此の経の序分無量義経にして、権実二教のはうじ(榜示)を指して方便と真実を分け給へり。所謂「以方便力、四十余年、未顕真実」是なり。大荘厳等の八万の大士、施権・開権・廃権等のいはれを意得(こころえ)分け給ひて、領解(りょうげ)して言はく、法華已前の歴劫修行等の諸経をば「終不得成、無上菩提」と申しきり給ひぬ。然して後、正宗の法華に至って「世尊法久後、要当説真実」と説き給ひしを始めとして「無二亦無三、除仏方便説」「正直捨方便」「乃至不受余経一偈」といまし(禁)め給へり。是より已後は「唯有一仏乗」の妙法のみ一切衆生を仏に成す大法にて、法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきを、末代の学者、何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思ひて、或は真言、或は念仏、或は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗諸経を取り取りに信ずるなり。是くの如き人をば「若人不信毀謗此経、即断一切世間仏種、乃至其人命終入阿鼻獄」と定め給へり。此等の明鏡を本として一分もたがえず、唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。
(平成新編0671~0672・御書全集0502~0503・正宗聖典1027・昭和新定[2]0989~0991・昭和定本[1]0733~0735)
[文永10(1273)年05月(佐後)]
[古写本・日尊筆 茨城猿島富久成寺]
[※sasameyuki※]