哀れなるかな、今日本国の万人、日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められて大苦に値ふを見て悦び咲(わら)ふとも、昨日は人の上、今日は身の上なれば、日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計(ばか)りぞかし。只今仏果に叶ひて寂光の本土に居住して自受法楽せむ時、汝等が阿鼻大城の底に沈み大苦に値はん時、我等何計(いかばか)りむざん(無慚)と思はんずらん。汝等何計りうらやましく思はんずらん。一期過ぎなむ事は程(ほど)無ければ、いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ。恐るゝ心なかれ。縦(たと)ひ頸をばのこぎり(鋸)にて引き切り、どう(胴)をばひしほこ(菱鉾)を以てつゝき、足にはほだし(絆)を打ってきり(錐)を以てもむとも、命のかよ(通)はんきは(際)ゝ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死にゝしぬるならば、釈迦・多宝・十方の諸仏、霊山会上にして御契(ちぎ)りの約束なれば、須臾(しゅゆ)の程に飛び来たりて手を取りてかた(肩)に引き懸けて霊山へはし(走)り給はゞ、二聖・二天・十羅刹女・受持者をうご(擁護)の諸天善神は、天蓋を指し幢を上げて我等を守護して慥(たし)かに寂光の宝刹(ほうせつ)へ送り給ふべきなり。あらうれしや、あらうれしや。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
此の書御身(おんみ)を離さず常に御覧有るべく候。
(平成新編0674・御書全集0504~0505・正宗聖典1026~1027・昭和新定[2]0993~0994・昭和定本[1]0737~0738)
[文永10(1273)年05月(佐後)]
[古写本・日尊筆 茨城猿島富久成寺]
[※sasameyuki※]