『教機時国抄(五義抄・五段抄)』(佐前) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 二に機とは、仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし。舎利弗尊者(そんじゃ)は金師(こんし)に不浄観を教へ、浣衣(かんね)の者には数息観(すそくかん)を教ふる間、九十日を経て所化(しょけ)の弟子仏法を一分も覚らずして、還って邪見を起こし一闡提(いっせんだい)と成り畢んぬ。仏は金師に数息観を教へ、浣衣の者に不浄観を教へたまふ。故に須臾(しゅゆ)の間に覚ることを得たり。智慧第一の舎利弗すら尚(なお)機を知らず。何(いか)に況んや末代の凡師(ぼんし)機を知り難し。但し機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教ふべし。問うて云はく、無智の人の中にして此の経を説くこと莫(なか)れとの文は如何(いかん)。答へて云はく、機を知るは智人の説法する事なり。又謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし。毒鼓(どっく)の縁と成さんが為なり。例せば不軽菩薩の如し。亦(また)智者と成るべき機と知らば必ず先づ小乗を教へ、次に権大乗を教へ、後に実大乗を教ふべし。愚者と知らば必ず先づ実大乗を教ふべし。信謗(しんぼう)共に下種と為(な)ればなり。
(平成新編0270・御書全集0438・正宗聖典1026・昭和新定[1]0423・昭和定本[1]0242)
[弘長02(1262)年02月10日(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]