『一代聖教大意(一代大意抄・一代大意)』(佐前)[古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 問ふ、諸経の如きは或は菩薩の為、或は人天の為、或は声聞・縁覚の為、機に随って法門もかわり益もかわる。此の経は何なる人の為ぞや。答ふ、此の経は相伝に有らざれば知り難し。悪人善人・有智無智・有戒無戒・男子女子、四趣八部、総じて十界の衆生の為なり。所謂悪人は提婆達多・妙荘厳王(みょうしょうごんのう)・阿闍世王、善人は韋提希(いだいけ)等の人天の人。有智は舎利弗、無智は須利槃特(すりはんどく)。有戒は声聞・菩薩、無戒は竜・畜なり。女人は竜女なり。総じて十界の衆生、円の一法を覚るなり。此の事を知らざる学者、法華経は我等凡夫の為には有らずと申す、仏意恐れ有り。此の経に云はく「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此の経に属せり」文。此の文の菩薩とは、九界の衆生、善人悪人女人男子、三蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の三乗、別教の菩薩、爾前の円教の菩薩、皆此の経の力に有らざれば仏に成るまじと申す文なり。又此の経に云はく「薬王、多く人有りて在家出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是(こ)の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能はずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜず。若し是の経典を聞くことを得ること有らば、乃(すなわ)ち能善(よ)く菩薩の道を行ずるなり」と。此の文は顕然に権教の菩薩の三祇百劫・動踰塵劫(どうゆじんこう)・無量阿僧祇劫の間の六度万行・四弘誓願は、此の経に至らざれば菩薩の行には有らず、善根を修したるにも有らずと云ふ文なり。又菩薩の行無ければ仏にも成らざる事も顕然なり。天台妙楽の末代の凡夫を勧進する文、文句に云はく「好堅(こうけん)、地に処して芽已(すで)に百囲せり。頻伽(びんが)、■(=轂-車+卵)(かいご)に在って声(こえ)衆鳥に勝れたり」文。此の文は法華経の五十展転の第五十の功徳を釈する文なり。仏苦(ねんご)ろに五十展転にて説き給ふ事、権教の多劫の修行又大聖の功徳よりも、此の経の須臾(しゅゆ)の結縁、愚人の随喜の功徳、百千万億勝れたる事(こと)経に見えつれば、此の意を大師譬へを以て顕はし給へり。好堅樹と申す木は一日に百囲にて高く生(お)ふ。頻伽と申す鳥は幼きだも諸の大小の鳥の声に勝れたり。権教の修行の久しきに諸の草木の遅く生長するを譬へ、法華の行速(すみ)やかに仏に成る事を一日に百囲なるに譬ふ。権教の大小の聖をば諸鳥に譬へ、法華の凡夫のはかなきを■(=轂-車+卵)の声の衆鳥に勝るに譬ふ。妙楽大師重ねて釈して云はく「恐らくは人謬(あやま)りて解せる者、初心の功徳の大なることを測らずして功を上位に推(ゆず)り、此の初心を蔑る。故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕はす」文。末代の愚者は法華経は深理にしていみじけれども、我が機に叶はずと云ひて法を挙(あ)げ機を下して退する者を釈する文なり。又妙楽大師末代に此の法の捨てられん事を歎きて云はく「此の円頓を聞きて而(しか)も崇重せざる者は、良(まこと)に近代に大乗を習へる者の雑濫(ぞうらん)するに由るが故なり。況んや像末に情澆(うす)く信心寡薄(かはく)に、円頓の教法、蔵に溢(あふ)れ函(はこ)に盈(み)つれども暫(しばら)くも思惟(しゆい)せず便(すなわ)ち目を瞑(ふさ)ぐに至る。徒(いたずら)に生じ徒に死す、一に何ぞ痛ましきや。有る人云はく、聞きて行ぜざらんは、汝に於て何ぞ預からん。此(これ)は未だ深く久遠の益を知らず。善住天子経の如きは、文殊・舎利弗に告ぐ、法を聞き謗を生じて地獄に堕つるは恒沙の仏を供養する者に勝れたり。地獄に堕つと雖も地獄より出で還って法を聞くことを得ると。此は供仏(くぶつ)し法を聞かざる者を以て而も校量(きょうりょう)と為(せ)り。聞いて而も謗を生ずる尚遠種と為(な)る。況んや聞いて思惟(しゆい)し勤めて修習(しゅじゅう)せんをや」と。又云はく「一句も神(たましい)に染みぬれば咸(ことごと)く彼岸を資(たす)く。思惟修習永く舟航に用(もち)う。随喜・見聞(けんもん)恒(つね)に主伴と為る。若しは取・若しは捨、耳に経て縁と成り、或は順・或は違、終(つい)に斯(これ)に因って脱す」文。私に云はく、若しは取若しは捨或は順或は違の文、肝(きも)に銘ずるなり。法華翻経(ほんぎょう)の後記[釈僧肇記]に云はく「什[羅什三蔵なり]、姚興(ようこう)王に対して曰く、予昔天竺国に在りし時、遍(あまね)く五竺に遊んで大乗を尋討し、大師須利耶蘇摩(しゅりやそま)に従って理味を餐受(さんじゅ)するに頂を摩(な)でて此の経を嘱累(ぞくるい)して言はく、仏日、西に隠れ遺光(いこう)東北を照らす。茲(こ)の典、東北諸国に有縁なり汝慎んで伝弘せよ」文。私に云はく、天竺よりは此の日本は東北の州なり。慧心の一乗要決に云はく「日本一州円機純熟にして、朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素(しそ)貴賎悉(ことごと)く成仏を期す。唯一師等あて若し信受せずば権とや為さん実とや為さん。権と為さば貴むべし。浄名(じょうみょう)に云はく、衆の魔事を覚智して而も其の行に随はざるは善力方便を以て意に随って而も度すと。実と為さば憐れむべし。此の経に云はく、当来世の悪人は仏説の一乗を聞きて迷惑して信受せず、法を破して悪道に堕(お)つ」文。
(平成新編0092~0094・御書全集0398~0400・正宗聖典1025・昭和新定[1]0200~0202・昭和定本[1]0066~0069)
[正嘉02(1258)年02月14日(佐前)]
[古写本・日目筆 保田妙本寺]
[※sasameyuki※]