妙荘厳王(みょうしょうごんのう)と申せし王は悪王なりしかども、御太子浄蔵(じょうぞう)・浄眼(じょうげん)の導かせ給ひしかば、父母二人共に法華経を御信用有りて、仏にならせ給ひしぞかし。是もさにてや候らん。あやしく覚え候。甲斐公が語りしは、常の人よりもみめ形(かたち)も勝れて候ひし上、心も直(なお)くて智慧賢く、何事に付けてもゆゝ(由由)しかりし人の、疾(と)くはかなく成りし事の哀れさよと思ひ候ひしが、又倩(つらつら)思へば、此の子なき故に母も道心者となり、父も後世者(ごせしゃ)に成りて候は只とも覚え候はぬに、又皆人の悪(にく)み候法華経に付かせ給へば、偏へに是なき人の二人の御身に添(そ)ひて勧め進(まい)らせられ候にやと申せしが、さもやと覚え候。前々(さきざき)は只荒増(あらまし)の事かと思ひて候へば、是程御志の深く候ひける事は始めて知りて候。又若しやの事候はゞ、くらき闇に月の出づるが如く、妙法蓮華経の五字、月と露(あら)はれさせ給ふべし。其の月の中には釈迦仏・十方の諸仏、乃至前に立たせ給ひし御子息の露はれさせ給ふべしと思し召せ。委(くわ)しくは又々申すべし。恐々謹言。
(平成新編1481・御書全集1397・正宗聖典1024・昭和新定[3]2124~2125・昭和定本[2]1769~1770)
[弘安03(1280)年07月07日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]