各々のせ(攻)められさせ給ふ事も、詮ずるところは国主の法華経のかたき(敵)となれるゆへ(故)なり。国主のかたき(敵)となる事は、持斎(じさい)等・念仏者等・真言師等が謗法よりを(起)これり。今度ねう(忍)しくらして法華経の御利生(りしょう)心みさせ給へ。日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり。いよいよをづ(臆)る心ねすがた(姿)をはすべからず。定んで女人は心よは(弱)くをはすれば、ごぜん(御前)たちは心ひるが(翻)へりてやをはすらん。がうじやう(強盛)にはが(歯噛)みをしてたゆ(弛)む心なかれ。例せば日蓮が平左衛門尉がもとにてうちふ(振)るま(舞)い、い(言)ゐしがごとくすこ(少)しもをづ(臆)る心なかれ。わだ(和田)が子となりしもの、わかさ(若狭)のかみ(守)が子となりしもの、将門(まさかど)・貞当(さだとう)が郎従等となりし者、仏になる道にはあらねどもはぢ(恥)ををも(思)へば命を(惜)しまぬ習ひなり。なにとなくとも一度の死は一定(いちじょう)なり。いろ(色)ばしあ(悪)しくて人にわら(笑)われさせ給ふなよ。
(平成新編0982・御書全集1084・正宗聖典1024・昭和新定[2]1179~1180・昭和定本[1]0926)
[建治02(1276)年04月"文永12(1275)年04月16日"(佐後)]
[真跡・富士大石寺外五ヶ所(40%以上70%未満現存)]
[※sasameyuki※]