『一生成仏抄』(佐前) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 抑(そもそも)妙とは何と云ふ心ぞや。只我が一念の心不思議なる処を妙とは云ふなり。不思議とは心も及ばず語も及ばずと云ふ事なり。然ればすなはち起こるところの一念の心を尋ね見れば、有りと云はんとすれば色も質(かたち)もなし。又無しと云はんとすれば様々に心起こる。有(う)と思ふべきに非ず、無と思ふべきにも非ず、有無の二の語も及ばず、有無の二の心も及ばず。有無に非ずして、而も有無に遍(へん)して、中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名づくるなり。此の妙なる心を名づけて法とも云ふなり。此の法門の不思議をあらはすに、譬へを事法にかたどりて蓮華と名づく。一心を妙と知りぬれば、亦転じて余心をも妙法と知る処を妙経とは云ふなり。然ればすなはち、善悪に付いて起こり起こる処の念心の当体を指して、是(これ)妙法の体と説き宣べたる経王なれば、成仏の直道とは云ふなり。此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば、一生成仏更に疑ひあるべからず。故に経文には「我が滅度の後に於て応(まさ)に斯(こ)の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定して疑ひ有ること無けん」とのべ給へり。努々(ゆめゆめ)不審をなすべからず。穴賢穴賢。一生成仏の信心。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
(平成新編0047・御書全集0384・正宗聖典1014・昭和新定[1]0127~0128・昭和定本[1]0044~0045)
[建長07(1255)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]