あわしがき(醂柿)二籠(こ)・なすび(茄子)一こ給び候ひ了んぬ。
入道殿の御所労の事、唐土に黄帝(こうてい)・扁鵲(へんじゃく)と申せしくすし(医師)あり、天竺に持水(じすい)・耆婆(ぎば)と申せしくすしあり。これらはその世のたから、末代のくすしの師なり。仏と申せし人は、これにはに(似)るべくもなきいみじきくすしなり。この仏不死の薬をとかせ給へり。今の妙法蓮華経の五字是(これ)なり。しかもこの五字をば「閻浮提人(えんぶだいにん)、病之良薬(びょうしろうやく)」とこそとかれて候へ。
入道殿は閻浮提の内日本国の人なり。しかも身に病をう(受)けられて候。「病之良薬」の経文顕然(けんねん)なり。其の上(うえ)蓮華経は第一の薬なり。はるり(波瑠璃)王と申せし悪王、仏のしたしき女人五百余人を殺して候ひしに、仏、阿難を雪山(せっせん)につかはして青蓮華(しょうれんげ)をとりよせて身にふれさせ給ひしかば、よみがへりて七日ありて■(=性-生+刀)利天(とうりてん)に生まれにき。蓮華と申す花はかゝるいみじき徳ある花にて候へば、仏、妙法にたとへ給へり。又人の死ぬる事はやまひにはよらず。当時のゆき(壱岐)・つしま(対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人(びと)に一時にうちころされぬ。病あれば死ぬべしという事不定(ふじょう)なり。又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名(じょうみょう)経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か。又一切の病の中には五逆罪と一闡提(いっせんだい)と謗法をこそ、おもき病とは仏はいた(傷)ませ給へ。今の日本国の人は一人もなく極大(ごくだい)重病あり、所謂大謗法の重病なり。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言師なり。これらはあまりに病おもきゆへに、我が身にもおぼへず人もしらぬ病なり。この病のこう(昂)ずるゆへに、四海のつわものたゞいま来たりなば、王臣万民みなしづみなん。これをいきてみ候はんまなこ(眼)こそあだあだ(徒徒)しく候へ。
入道殿は今生にはいたく法華経を御信用ありとはみ(見)候はねども、過去の宿習のゆへ、かのもよをしによりてこのなが病にしづみ、日々夜々に道心ひま(間)なし。今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候ひぬらん。謗法の大悪は又法華経に帰しぬるゆへにき(消)へさせ給ふべし。たゞいまに霊山にまいらせ給ひなば、日いでて十方をみるがごとくうれしく、と(疾)くし(死)にぬるものかなと、うちよろこび給ひ候はんずらめ。中有(ちゅうう)の道にいかなる事もいできたり候はゞ日蓮がでし(弟子)なりとなのらせ給へ。わずかの日本国なれども、さがみ(相模)殿のうちのものと申すをば、さう(左右)なくおそるゝ事候。
日蓮は日本第一のふたう(不当)の法師、たゞし法華経を信じ候事は、一閻浮提第一の聖人なり。其の名は十方の浄土にきこえぬ。定めて天地もしりぬらん。日蓮が弟子となのらせ給はゞ、いかなる悪鬼等なりとも、よもし(知)らぬよしは申さじとおぼすべし。さては度々の御心ざし申すばかりなし。恐々謹言。
さる(猿)は木をたの(恃)む、魚は水をたのむ、女人はをとこ(夫)をたのむ、わかれのをしきゆへにかみ(髪)をそ(剃)り、そで(袖)をすみにそめぬ。いかでか十方の仏もあはれませ給はざるべき、法華経もすてさせ給ふべきとたのませ給へ、たのませ給へ。
(平成新編0900~0901・御書全集1479~1480・正宗聖典----・昭和新定[2]1333~1335・昭和定本[2]1102~1104)
[建治01(1275)年08月16日"弘安01(1278)年08月16日"(佐後)]
[真跡・身延曾存、古写本・日興筆 富士大石寺 日道筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]