『報恩抄』(佐後)[曾存・古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 或人(あるひと)疑って云はく、漢土日本にわたりたる経々にこそ法華経に勝れたる経はをは(在)せずとも、月氏・竜宮・四王・日月・■(=性-生+刀)利天(とうりてん)・兜率天(とそつてん)なんどには恒河沙(ごうがしゃ)の経々ましますなれば、其の中に法華経に勝れさせ給ふ御経やましますらん。答へて云はく、一をもって万を察せよ。庭戸(ていこ)を出でずして天下をしるとはこれなり。癡人が疑って云はく、我等は南天を見て東西北の三空を見ず。彼の三方の空に此の日輪より外の別の日やましますらん。山を隔(へだ)て煙の立つを見て、火を見ざれば煙は一定なれども火にてやなかるらん。かくのごとくいはん者は一闡提(いっせんだい)の人としるべし。生き盲にことならず。法華経の法師品に釈迦如来金口(こんく)の誠言(じょうごん)をも(以)て五十余年の一切経の勝劣を定めて云はく「我が所説の経典は無量千万億にして已(すで)に説き今説き当(まさ)に説かん。而も其の中に於て此の法華経は最も為(こ)れ難信難解なり」等云云。此の経文は但釈迦如来一仏の説なりとも、等覚已下は仰ぎて信ずべき上、多宝仏東方より来たりて真実なりと証明し、十方の諸仏集まりて釈迦仏と同じく広長舌(こうちょうぜつ)を梵天に付け給ひて後、各々国々へかへらせ給ひぬ。已今当(いこんとう)の三字は、五十年並びに十方三世の諸仏の御経一字一点ものこさず引き載せて、法華経に対して説かせ給ひて候を、十方の諸仏此の座にして御判形(ごはんぎょう)を加へさせ給ひ、各々又自国に還(かえ)らせ給ひて、我が弟子等に向かはせ給ひて、法華経に勝れたる御経ありと説かせ給はゞ、其の土の所化の弟子等信用すべしや。又我は見ざれば、月氏・竜宮・四天・日月等の宮殿の中に、法華経に勝れさせ給ひたる経やおはしますらんと疑ひをなさば、反詰(ほんきつ)して云へ、されば今の梵釈・日月・四天・竜王は、法華経の御座にはなかりけるか、若し日月等の諸天、法華経に勝れたる御経まします、汝はしらず、と仰せあるならば大誑惑(おうわく)の日月なるべし。日蓮せめて云はく、日月は虚空に住し給へども、我等が大地に処するがごとくして堕落し給はざる事は、上品(じょうぼん)の不妄語戒の力ぞかし。法華経に勝れたる御経ありと仰せある大妄語あるならば、恐らくはいまだ壊劫(えこう)にいたらざるに、大地の上にどうとお(落)ち候はんか。無間大城の最下の堅鉄にあらずば留まりがたからんか。大妄語の人は須臾(しゅゆ)も空に処して四天下を廻(めぐ)り給ふべからずと、せ(責)めたてまつるべし。而るを華厳宗の澄観等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等の大智の三蔵・大師等の、華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと立て給ふは、我等が分斉(ぶんざい)には及ばぬ事なれども、大道理のを(推)す処は、豈(あに)諸仏の大怨敵にあらずや。提婆・瞿伽梨(くがり)もものならず。大天・大慢外(ほか)にもとむべからず。彼の人々を信ずる輩はをそろしをそろし。
(平成新編1001~1002・御書全集0295~0296・正宗聖典0229~0231・昭和新定[2]1488~1490・昭和定本[2]1196~1198)
[建治02(1276)年07月21日(佐後)]
[真跡・池上本門寺外五ヶ所(10%未満現存) 身延曾存、古写本・日舜筆 富士大石寺 日乾筆 京都本満寺]
[※sasameyuki※]