心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり。設(たと)ひいかなるわづら(煩)はしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはぐら(思索)せ給ふべし。中にも日蓮が法門は古(いにしえ)こそ信じがたかりしが、今は前々い(言)ひをきし事既にあ(合)ひぬれば、よし(由)なく謗ぜし人々も悔ゆる心あるべし。設(たと)ひこれより後に信ずる男女ありとも、各々にはか(替)へ思ふべからず。始めは信じてありしかども、世間のをそ(恐)ろしさにす(捨)つる人々かず(数)をし(知)らず。其の中に返って本より謗ずる人々よりも強盛にそし(謗)る人々又あまた(数多)あり。在世にも善星比丘(ぜんしょうびく)等は始めは信じてありしかども、後にす(捨)つるのみならず、返って仏をぼう(謗)じ奉りしゆへ(故)に、仏も叶ひ給はず、無間地獄にを(堕)ちにき。
此の御文は別してひゃうへ(兵衛)の志殿へまいらせ候。又大夫志(たいふのさかん)殿の女房・兵衛志(ひょうえのさかん)殿の女房によくよく申しき(聞)かせさせ給ふべし、き(聞)かせさせ給ふべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
(平成新編0987・御書全集1088~1089・正宗聖典----・昭和新定[2]1187・昭和定本[1]0933~0934)
[建治02(1276)年04月"文永12(1275)年04月16日"(佐後)]
[真跡・富士大石寺外五ヶ所(40%以上70%未満現存)]
[※sasameyuki※]