むぎ(麦)ひとひつ(一櫃)、かわのり五条、はじか(薑)み六は(把)給び了んぬ。いつもの御事に候へばをどろ(驚)かれず、めづら(珍)しからぬやうにうちをぼへて候は、ぼむぶ(凡夫)の心なり。せけん(世間)そうそう(忽忽)なる上、をゝみや(大宮)のつく(造)られさせ給へば、百姓と申し、我が内の者と申し、けかち(飢渇)と申し、ものつく(物作)りと申し、いくそばく(幾許)こそいとま(暇)なく御わたりにて候らむに、山のなかのすまい(住居)さこそとをも(思)ひやらせ給ひて、とり(鳥)のかいご(卵子)をやしなうがごとく、ともし(灯)びにあぶら(油)をそうるがごとく、か(枯)れたるくさ(草)にあめ(雨)のふるがごとく、う(飢)へたる子にち(乳)をあたうるがごとく、法華経の御いのちをつがせ給ふ事、三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり。十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし。尊しとも申す計りなし。あなかしこあなかしこ。恐々謹言。
(平成新編0892・御書全集1512・正宗聖典----・昭和新定[2]1320・昭和定本[2]1365~1366)
[建治01(1275)年07月16日"建治01(1275)年07月12日""建治03(1277)年07月16日"(佐後)]
[真跡・富士大石寺外一ヶ所(70%以上100%未満現存)、古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]