鵞目(がもく)五貫文慥(たし)かに送り給び候ひ了んぬ。且(か)つ知ろし食(め)すが如く、此の所は里中を離れたる深山なり。衣食(えじき)乏少(ぼうしょう)の間読経の声続き難く、談義の勤め廃(すた)るべし。此の託宣(たくせん)は十羅刹の御計らひにて檀那の功を致さしむるか。止観の第八に云はく「帝釈堂の小鬼、敬ひ避くるが如し。道場の神(かみ)大なれば妄(みだ)りに侵■(=好-子+堯)(しんにょう)すること無し。又城主剛(たけ)ければ守る者強し。城主■(=情-青+匡)(おず)ければ守る者忙(おそ)る。心は是(これ)身の主なり。同名同生天は是能く人を守護す。心固ければ則ち強し。身の神尚(なお)爾(しか)なり。況んや道場の神をや」と。弘決(ぐけつ)第八に云はく「常に人を護ると雖も、必ず心固きに仮(よ)りて神の守り則ち強し」と。又云はく「身の両肩の神尚常に人を護る。況んや道場の神をや」云云。人所生(しょしょう)の時より二神守護す。所謂(いわゆる)同生天・同名天、是を倶生神(ぐしょうしん)と云ふ。華厳経の文なり。文句の四に云はく「賊(ぞく)南無仏と称して尚天頭(てんず)を得たり。況んや賢者称せば十方の尊神敢(あ)へて当たらざらんや。但精進せよ懈怠(けだい)すること勿(なか)れ」等云云。釈の意は月氏に天を崇めて仏を用ひざる国あり。而るに寺を造り第六天の魔王を主とし、頭には金を以てす。大賊年来(としごろ)之を盗まんとして得ず。有る時仏前に詣(もう)で物を盗んで法を聴く。仏説いて云はく、南無とは驚覚(きょうがく)の義なり。盗人之を聞いて南無仏と称して天頭(てんず)を得たり。之を糾明せし処(ところ)盗人上(かみの)如く之を申す。一国皆天を捨てゝ仏に帰せり云云。彼を以て之を推するに設(たと)ひ科(とが)有る者も三宝(さんぼう)を信ぜば大難を脱れんか。而るに今示し給へる託宣の状は兼ねて之を知る。之を案ずるに難却(さ)って福来たる先兆(せんちょう)なるのみ。妙法蓮華経の妙の一字は竜樹菩薩の大論に釈して云はく「能く毒を変じて薬と為す」云云。天台大師云はく「今経に記を得る即ち是毒を変じて薬と為すなり」云云。災ひ来たるも変じて幸ひと為らん。何に況んや十羅刹之を兼ねるをや。薪(たきぎ)の火を熾(さか)んにし風の求羅(ぐら)を益(ま)すとは是なり。言(ことば)は紙上に尽くし難し、心を以て之を量(はか)れ。恐々謹言。
(平成新編1052~1053・御書全集0979・正宗聖典----・昭和新定[2]1567~1568・昭和定本[2]1274~1275)
[建治02(1276)年12月13日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・信伝筆"日澄筆" 北山本門寺]
[※sasameyuki※]