詮(せん)ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期(ご)とせん。身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼(こつげん)の婆羅門の責めを堪へざるゆへ。久遠大通の者の三五の塵(じん)をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてゝ観経等について後生をご(期)せよ。父母の首を刎(は)ねん、念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵(ちり)なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。
(平成新編0572・御書全集0232・正宗聖典0133~0134・昭和新定[1]0825~0826・昭和定本[1]0601)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]