『三三蔵祈雨事(西山殿御返事)』(佐後)[真跡(断片)・古写本] | 細雪の物置小屋

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御宗祖御開山遺文DBを中心に投稿します。
[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 夫(それ)木をう(植)へ候には、大風ふ(吹)き候へどもつよ(強)きすけ(扶)をかひ(介)ぬればたう(倒)れず。本より生(お)ひて候木なれども、根の弱きはたう(倒)れぬ。甲斐(かい)無き者なれども、たすくる者強ければたうれず。すこし健(けなげ)の者も独りなれば悪しきみち(道)にはたうれぬ。又、三千大千世界のなかには舎利弗・迦葉(かしょう)尊者をのぞいては、仏よ(世)にい(出)で給はずば、一人もなく三悪道に堕つべかりしが、仏をたのみまいらせし強縁(ごうえん)によりて、一切衆生はをほ(多)く仏になりしなり。まして阿闍世(あじゃせ)王・あうくつまら(鴦掘摩羅)なんど申せし悪人どもは、いかにもかなうまじくて必ず阿鼻地獄に堕つべかりしかども、教主釈尊と申す大人にゆきあ(値)わせ給ひてこそ、仏にはな(成)らせ給ひしか。されば仏になるみちは善知識にはす(過)ぎず。わがちゑ(智慧)なににかせん。たゞあつ(熱)きつめ(冷)たきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たひせち(大切)なり。而(しか)るに善知識に値(あ)ふ事が第一のかた(難)き事なり。されば仏は善知識に値ふ事をば一眼のかめ(亀)の浮木(ふもく)に入り、梵天よりいと(糸)を下げて大地のはり(針)のめ(目)に入るにたとへ給へり。而(しか)るに末代悪世には悪知識は大地微塵(みじん)よりもをほ(多)く、善知識は爪上(そうじょう)の土(ど)よりもすく(少)なし。補陀落(ふだらく)山の観世音菩薩は善財童子の善知識、別・円二教ををし(教)へていまだ純円ならず。常啼(じょうたい)菩薩は身をう(売)て善知識をもとめしに、曇無竭(どんむかつ)菩薩にあへり。通・別・円の三教をならひて法華経ををし(教)へず舎利弗は金師(こんし)が善知識、九十日と申せしかば闡提(せんだい)の人とな(成)したりき。ふるな(富楼那)は一夏(げ)の説法に大乗の機を小人となす。大聖すら法華経をゆるされず、証果のらかん(羅漢)機をしらず。末代悪世の学者等をば此をもってすひ(推)しぬべし。天を地といゐ、東を西といゐ、火を水とをしへ、星は月にすぐれたり、ありづか(蟻塚)は須弥山にこ(越)へたりなんど申す人々を信じて候はん人々は、なら(習)わざらん悪人にははる(遥)かをと(劣)りてあ(悪)しかりぬべし。
(平成新編0873・御書全集1468・正宗聖典----・昭和新定[2]1292~1293・昭和定本[2]1065~1066)
[建治01(1275)年06月22日(佐後)]
[真跡・富士大石寺外一ヶ所(70%以上100%未満現存)、古写本・日順筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]