御礼の旨委細承り候ひ畢(おわ)んぬ。都よりの種々の物慥(たし)かに給(た)び候ひ畢んぬ。鎌倉に候ひし時こそ常にかゝる物は見候ひつれ。此の島に流罪せられし後は未だ見ず候。是(これ)体(てい)の物は辺土の小島にてはよによに目出度き事に思ひ候。
御状に云はく、去ぬる二月の始めより御弟子となり、帰伏仕り候上は、自今以後は人数(ひとかず)ならず候とも、御弟子の一分と思(おぼ)し食(め)され候はゞ、恐悦(きょうえつ)に相存ずべく候云云。経の文には「在々諸仏の土に、常に師と倶(とも)に生まれん」とも、或は「若し法師に親近(しんごん)せば速(すみや)かに菩薩の道を得ん。是の師に随順して学せば恒沙(ごうじゃ)の仏を見たてまつることを得ん」とも云へり。釈には「本此の仏に従って初めて道心を発(お)こし、亦此の仏に従って不退地に住せん」とも、或は云はく「此の仏菩薩に従って結縁し、還って此の仏菩薩に於て成就す」とも云へり。此の経釈を案ずるに、過去無量劫より已来(このかた)師弟の契約有りしか。我等末法濁世に於て生を南閻浮提(なんえんぶだい)大日本国にうけ、忝(かたじけな)くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫(もてあそ)ぶ事、是偏(ひとえ)に過去の宿習(しゅくじゅう)なるか。
(平成新編0585・御書全集1340・正宗聖典----・昭和新定[1]0845~0846・昭和定本[1]0620~0621)
[文永09(1272)年04月13日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]