『如説修行抄(隨身不離抄)』(佐後)[古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年。今日蓮は二十余年の間権理を破るに其の間の大難数を知らず。仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。彼は只悪口(あっく)怨嫉(おんしつ)計(ばか)りなり。是は両度の御勘気、遠国の流罪、竜口の頸の座、頭(こうべ)の疵(きず)等、其の外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、籠に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出だされし。是等の大難には竜樹・天台・伝教も争(いか)でか及び給ふべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵の杖(つえ)定んで有るべしと知り給へ。
 されば釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行人は釈尊・天台・伝教の三人はさてを(置)きぬ。末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。提婆・瞿伽利(くがり)・善星(ぜんしょう)・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等は即ち法華経の行者と云はれ候べきか、釈迦如来・天台・伝教・日蓮並びに弟子檀那等は念仏・真言・禅・律等の行者なるべきか。法華経は方便権教と云はれ、念仏等の諸経は還って法華経となるべきか。東は西となり、西は東となるとも、大地所持の草木共に飛び上がりて天となり、天の日月星宿(せいしゅく)は共に落ち下りて大地となるためしはありと云ふとも、いかでか此の理あるべき。
(平成新編0673・御書全集0504・正宗聖典1027・昭和新定[2]0992~0993・昭和定本[1]0736~0737)
[文永10(1273)年05月(佐後)]
[古写本・日尊筆 茨城猿島富久成寺]
[※sasameyuki※]