無問自説果分勝三
謹んで法華経方便品を案ずるに云はく「爾時世尊従三昧、乃至所不能知」已上経文。又偈に云はく「不退○(○=文章の中略)」已上偈文。又経に云はく「仏所成就、乃至乃能究尽」已上経文。是くの如き等は果分の法を示す。
又云はく「諸仏世尊唯以一大事因縁故出現於世(しゅつげんのせ)」已上経文。当に知るべし、一乗の為の故に世に出現したまひて、三乗の為に世に出現したまはざることを。果分の一乗遍(あまね)く衆生に施したまふ。寧(いずく)んぞ門外(もんげ)に車を索(もと)め門側にして菴に住せんや。父を知り家を知り車を知り道を知る、豈歴劫の路に入りて迂廻(うえ)の道を過ぎんや。故に譬喩品に云はく「今所応作唯仏智慧」已上経文。菩薩の智慧は所応作ならず。是の故に又云はく「若し善男子善女人、我が滅度の後竊(ひそ)かに一人の為にも法華経の乃至一句をも説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使ひ如来の所遣として如来の事を行ずるなり」已上経文。明らかに知んぬ、法華経を説く人は即ち是如来の使ひにして、即ち如来の事を行ずるなり。又云はく、之を略す。
(平成新編1327・御書全集----・正宗聖典----・昭和新定[3]2395・昭和定本[3]2362)
[弘安01(1278)年"文永08(1271)年"(佐後?)]
[真跡・中山法華経寺(70%以上100%未満現存)]
[※sasameyuki※]