『如説修行抄(隨身不離抄)』(佐後)[古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 難じて云はく、左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はゞこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし、安楽行品の如く修行せんは如説修行の者とは云はれ候まじきか如何。答へて云はく、凡(およ)そ仏法を修行せん者は摂折(しょうしゃく)二門を知るべきなり。一切の経論此の二を出でざるなり。されば国中の諸学者等、仏法をあらあらまな(学)ぶと云へども、時刻相応の道理を知らず。四節四季取り取りに替はれり。夏はあたゝかに冬はつめたく、春は花さき秋は菓成る。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓実を取らんに豈取らるべけんや。極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。涼風は夏の用なり、冬はなにかせん。仏法も亦是くの如し。小乗の法流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。然るに正像二千年は小乗・権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり。敵有る時は刀杖弓箭(とうじょうきゅうせん)を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖(きゅうせんひょうじょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎ(紛)らはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく「法華折伏破権門理」と、良(まこと)に故あるかな。然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して益を求むる者にあらずや。鶏(にわとり)の暁に鳴くは用(ゆう)なり、よい(宵)に鳴くは物怪(もっけ)なり。権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ籠りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵(ごうてき)来たらん事は疑ひ無し。
(平成新編0672~0673・御書全集0503~0504・正宗聖典----・昭和新定[2]0991~0992・昭和定本[1]0735~0736)
[文永10(1273)年05月(佐後)]
[古写本・日尊筆 茨城猿島富久成寺]
[※sasameyuki※]