『開目抄 上』(佐後)[曾存] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 而るに四十余年の経々をば、東春の大日輪、寒氷を消滅するがごとく、無量の草露を大風の零落するがごとく、一言一時に未顕真実と打ちけし、大風の黒雲をまき、大虚(おおぞら)に満月の処するがごとく、青天に日輪の懸かり給ふがごとく、世尊法久後要当説真実と照らさせ給ひて、華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を赫々(かくかく)たる日輪、明々たる月輪のごとく鳳文(ほうもん)にしるし、亀鏡(ききょう)に浮かべられて候へばこそ、如来滅後の人天の諸檀那等には、仏陀のごとくは仰がれ給ひしか。
 水すまば、月、影ををしむべからず。風ふかば、草木なびかざるべしや。法華経の行者あるならば、此等の聖者は大火の中をすぎても、大石の中をとをりても、とぶら(訪)わせ給ふべし。迦葉の入定(にゅうじょう)もことにこそよれ。いかにとなりぬるぞ。いぶかし(不審)とも申すばかりなし。後五百歳のあたらざるか。広宣流布の妄語となるべきか。日蓮が法華経の行者ならざるか。法華経を教内と下して、別伝と称する大妄語の者をまぼ(守)り給ふべきか。捨閉閣抛(しゃへいかくほう)と定めて、法華経の門をどぢよ、巻をなげすてよとゑ(彫)りつ(付)けて、法華堂を失へる者を守護し給ふべきか。仏前の誓ひはありしかども、濁世(じょくせ)の大難のはげしさをみて諸天下り給はざるか。日月、天にまします。須弥山いまもくづれず。海潮も増減す。四季もかたのごとくたがはず。いかになりぬるやらんと、大疑いよいよつもり候。
(平成新編0545~0546・御書全集0206~0207・正宗聖典0100~0101・昭和新定[1]0789~0790・昭和定本[1]0566~0567)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]