過去遠々劫より法華経を信ぜしかども、仏にならぬ事これなり。しを(潮)のひ(干)るとみ(満)つと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障(さわ)りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。此の事はわざ(態)とも申し、又びんぎ(便宜)にとをもひつるに、御使ひにありがたし。堕ち給ふならばよもこの御使ひはあらじとをもひ候へば、もしやと申すなり。
仏になり候事は此の須弥山にはり(針)をたてゝ彼の須弥山よりいと(糸)をはなちて、そのいとのす(直)ぐにわた(渡)りて、はりのあな(穴)に入るよりもかたし。いわ(況)うやさか(逆)さまに大風のふきむかへたらんは、いよいよかた(難)き事ぞかし。
(平成新編1184・御書全集1091~1092・正宗聖典----・昭和新定[2]1741~1742・昭和定本[2]1403~1404)
[建治03(1277)年11月20日"建治01(1275)年11月20日"(佐後)]
[真跡・京都妙覺寺外一ヶ所(70%以上100%未満現存)]
[※sasameyuki※]