たとひ五逆十悪無量の悪をつくれる人も、根(こん)だにも利なれば得道なる事これあり、提婆達多・鴦崛摩羅(おうくつまら)等これなり。たとい根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり、須利槃特(すりはんどく)等是なり。我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもす(過)ぎ、物のいろかたち(色形)をわきま(弁)へざる事羊目(ようもく)のごとし。貪瞋癡きわめてあつ(厚)く、十悪は日々にをか(犯)し、五逆をばおかさゞれども五逆に似たる罪又日々におかす。又十悪五逆にすぎたる謗法は人ごとにこれあり。させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども、人ごとに法華経をばもち(用)ゐず。又もちゐたる様なれども念仏等の様には信心ふか(深)からず。信心ふかき者も法華経のかたき(敵)をばせ(責)めず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたき(敵)をだにもせめざれば得道ありがたし。たとへば朝につか(仕)ふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をし(知)りながら奏(そう)しもせず、私にもあだ(怨)まずば、奉公皆う(失)せて還(かえ)ってとが(咎)に行なはれんが如し。当世の人々は謗法の者とし(知)ろしめすべし[是二]。
(平成新編0322~0323・御書全集1494~1495・正宗聖典----・昭和新定[1]0497~0498・昭和定本[1]0321~0322)
[文永01(1264)年12月13日(佐前)]
[真跡・神奈川由井氏外十ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]