貞任(さだとう)は十二年にやぶれぬ。将門は八年にかたぶきぬ。第六天の魔王、十軍のいくさをを(起)こして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居穢土(どうごえど)をと(取)られじ、うば(奪)はんとあらそう。日蓮其の身にあひあ(当)たりて、大兵をを(起)こして二十余年なり。日蓮一度もしり(退)ぞく心なし。しかりといえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの、大体或はを(堕)ち、或は退転の心あり。尼ごぜんの一文不通の小心に、いまゝでしり(退)ぞかせ給はぬ事申すばかりなし。其の上、自身のつか(仕)うべきところに、下人を一人つけられて候事、定めて釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか。恐々謹言。
しげければとゞむ。弁殿に申す。大師講ををこ(行)なうべし。
大師とてまいらせて候。三郎左衛門尉殿に候文(ふみ)のなかに、涅槃経の後分(ごぶん)二巻、文句五の本末、授決集の抄の上巻等、御随身あるべし。
(平成新編0686~0687・御書全集1224・正宗聖典----・昭和新定[2]1007~1008・昭和定本[1]0752)
[文永10(1273)年09月19日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]