『聖人御難事(与門人等書)』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

過去・現在の末法の法華経の行者を軽賎(きょうせん)する王臣・万民、始めは事なきやうにて終(つい)にほろ(亡))びざるは候はず、日蓮又かくのごとし。始めはしるし(験)なきやうなれども、今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓ひむなしくて、無間大城に堕つべしとをそ(恐)ろしく想ふ間、今は各々はげ(励)むらむ。大田親昌(ちかまさ)・長崎次郎兵衛尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるゝか。罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰四つ候。日本国の大疫病(やくびょう)と大けかち(飢渇)とどしう(同士討)ちと他国よりせめらるゝは総ばち(罰)なり。やくびゃう(疫病)は冥罰なり。大田等は現罰なり、別ばち(罰)なり。各々師子王の心を取り出だして、いかに人をど(嚇)すともを(怖)づる事なかれ。師子王は百獣にを(怖)ぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干(やかん)のほ(吠)うるなり、日蓮が一門は師子の吼ゆるなり。故最明寺殿の日蓮をゆるしゝと此の殿の許しゝは、禍(とが)なかりけるを人のざんげん(讒言)と知りて許しゝなり。今はいかに人申すとも、聞きほどかずしては人のざんげん(讒言)は用ひ給ふべからず。設(たと)い大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給ふゆへに、ばっ(罰)しがたるべしと存じ給ふべし。月々日々につよ(強)り給へ。すこしもたゆ(弛)む心あらば魔たよりをうべし。
 我等凡夫のつたなさは経論に有る事と遠き事はをそ(怖)るゝ心なし。一定として平等(へいら)も城等(じょうら)もいか(瞋)りて此の一門をさんざん(散々)となす事も出来せば、眼をひさ(塞)いで観念せよ。当時の人々のつくし(筑紫)へ、か(枷)さ(鎖)されんずらむ。又ゆく人、又かしこに向かへる人々を、我が身にひきあてよ。当時までは此の一門に此のなげきなし。彼等はげん(現)はかくのごとし。殺されば又地獄へゆくべし。我等現(げん)には此の大難に値(あ)ふとも後生は仏になりなん。設(たと)へば灸治(やいと)のごとし。当時はいた(痛)けれども、後の薬なればいたくていたからず。
(平成新編1397・御書全集1190・正宗聖典0297~0298・昭和新定[3]2017~2018・昭和定本[2]1673~1674)
[弘安02(1279)年10月01日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]