法華経の行者は如説修行せば、必ず一生の中に一人も残らず成仏すべし。譬へば春夏田を作るに早(わせ)晩(おく)あれども一年の中には必ず之を納む。法華の行者も上中下根あれども、必ず一生の中に証得(しょうとく)す。玄の一に云はく「上中下根皆記■(=花-化+別)を与ふ」云云。観心計りにて成仏せんと思ふ人は一方かけたる人なり。況んや教外別伝の坐禅をや。法師品に云はく「薬王多く人有りて在家出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能はずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜず。若し是の経典を聞くことを得ること有らば、乃(すなわち)能善(よ)く菩薩の道を行ずるなり」云云。観心計りにて成仏すべくんば争(いか)でか見聞読誦と云はんや。此の経は専ら聞を以て本と為す。凡(およ)そ此の経は悪人・女人・二乗・闡提(せんだい)を簡(えら)ばず。故に皆成仏道とも云ひ、又平等大慧(だいえ)とも云ふ。善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ。義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ。「我即歓喜諸仏亦然」云云。百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈(い)えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつ(餓)へ、懐(ふところ)に薬を持ちても飲まん事を知らずして死するが如し。
(平成新編0110・御書全集0416・正宗聖典----・昭和新定[1]0223~0224・昭和定本[3]2039~2040)
[正嘉02(1258)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]