又女房の御いのりの事、法華経をば疑ひまいらせ候はねども、御信心やよは(弱)くわたらせ給はんずらん。如法に信じたる様なる人々も、実にはさもなき事とも是にて見て候。それにも知ろしめされて候。まして女人の御心、風をばつな(繋)ぐともとりがたし。御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつる(弦)よはく、太刀つるぎにてつか(使)う人の臆病なるやうにて候べし。あへて法華経の御とが(失)にては候べからず。よくよく念仏と持斎とを我もす(捨)て、人をも力のあらん程はせ(塞)かせ給へ。譬へば左衛門殿の人ににく(憎)まるゝがごとしと、こまごま(細々)と御物語り候へ。いかに法華経を御信用ありとも、法華経のかたき(敵)をとわり(遊女)ほどにはよもおぼ(思)さじとなり。
(平成新編0975・御書全集1138・正宗聖典----・昭和新定[2]1169~1170・昭和定本[1]0916~0917)
[建治02(1276)年04月12日"文永12(建治01?)(1275)年04月12日"(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]