いかに申す事はをそきやらん。大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一も来たりてまぼり給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り、下は九界をたぼらかす失(とが)あり。行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給ふべし。袋きたなしとて金(こがね)を捨つる事なかれ、伊蘭(いらん)をにくまば栴檀(せんだん)あるべからず。谷の池を不浄なりと嫌はゞ蓮を取るべからず。行者を嫌ひ給はゞ誓ひを破り給ひなん。正像既に過ぎぬれば持戒は市の中の虎の如し、智者は麟角(りんかく)よりも希(まれ)ならん。月を待つまでは灯を憑(たの)むべし。宝珠のなき処には金銀も宝なり。白烏(はくう)の恩をば黒烏(こくう)に報ずべし。聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならば、いかでか祈りのかなはざるべき。
(平成新編0630・御書全集1351~1352・正宗聖典1018・昭和新定[1]0905~0906・昭和定本[1]0679~0680)
[文永09(1272)年(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]