此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。以信得入とは是なり。日蓮が弟子檀那等「正直捨方便」「不受余経一偈」と無二に信ずる故によて、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもしたのもし。如何にも後生をたしなみ給ふべし、たしなみ給ふべし。穴賢。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす。されば止観の四に云はく「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」と。弘決の四に云はく「仏法は海の如し、唯信のみ能く入るとは、孔丘の言尚信を首と為す、況んや仏法の深理をや。信無くして寧ろ入らんや。故に華厳に信を道の元、功徳の母と為す」等。又止の一に云はく「何が円の法を聞き円の信を起こし円の行を立て円の位に住せん」と。弘の一に云はく「円信と言ふは理に依って信を起こす、信を行の本と為す」云云。外典に云はく「漢王臣の説を信ぜしかば河上の波忽ちに氷り、李広父の讐なりと思ひしかば草中の石羽を飲む」と云へり。所詮天台・妙楽の釈分明に信を以て本とせり。彼の漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば立つ波こほりて行くぞかし。石に矢のたつ、是又父のかたきと思ひし信の故なり。何に況んや仏法においてをや。法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる、即ち五種の修行を具足するなり。此の事伝教大師入唐して、道邃和尚に値ひ奉りて、五種頓修の妙行と云ふ事を相伝し給ふなり。日蓮が弟子檀那の肝要、是より外に求むる事なかれ。神力品に云へり。委しくは又々申すべく候。穴賢穴賢。
(平成新編1388~1389・御書全集1244~1245・正宗聖典1010、1015・昭和新定[2]1725~1726・昭和定本[2]1376~1377)
["弘安02(1279)年08月23日""建治03(1277)年08月23日"(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]