問うて曰(いわ)く、経文並びに天台・章安(しょうあん)等の解釈(げしゃく)は疑網(ぎもう)無し、但(ただ)し火を以(もっ)て水と云(い)ひ墨(すみ)を以て白しと云ふ、設(たと)ひ仏説たりと雖(いえど)も信を取り難し。今(いま)数(しばしば)他面を見るに但(ただ)人界に限って余界を見ず、自面も亦復(またまた)是(か)くの如(ごと)し。如何(いかん)が信心を立てんや。答(こた)ふ、数(しばしば)他面を見るに、或時(あるとき)は喜び、或時は瞋(いか)り、或時は平(たい)らかに、或時は貪(むさぼ)り現じ、或時は癡(おろ)か現じ、或時は諂曲(てんごく)なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり。他面の色法に於(おい)ては六道共(とも)に之(これ)有り、四聖は冥伏(みょうぶく)して現はれざれども委細(いさい)に之を尋(たず)ぬれば之(これ)有るべし。
(平成新編0647・御書全集0241・正宗聖典0146・昭和新定[2]0960・昭和定本[1]0705)
[文永10(1273)年04月25日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]