※こちらは 男系維持 vs 女系天皇容認=「分家(旧皇族) vs 本家(天皇家)」による跡目争い の付記になります

 

現在の男系論の主軸は、「男系のみが皇統で女系は皇統とみなせない」理論だ。

これはY染色体という血統観念で語られる

畑と種理論と言い換えてもいい。

 

男は種(生物、血脈)で女は畑(無生物、血脈ではない)という考え方だ

 

男系女子=天皇の種入り畑の収穫物だから認める 
女系天皇=他の男の種入り畑の収穫物だから認めない 

 

故に、女系天皇は血統外である。

 

こういう理論である。

この「種」はイマドキの若者に分かりやすいようにY染色体と言い換えて思想拡散されている。

 

「種」として「血脈」としての女を認めないのが、男系論 だ。

 

私はこの意識はきっと明治時代あたりにサリカ法典に基づいて生まれたのだろうと思っていた。

 

だが調べてみたら、もっと新しい解釈であった。

 

なんと明治にすら、「女系天皇は血統外」という思想はなかったのだ!

 

参考資料:

 

旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の 確立

 

旧皇室典範制定時の考え方

 

 

明治にも女系容認案があったがそれを却下した明治最強の男系論者が井上毅だが井上はなんと言っているか。

 

「女帝には臣籍に降下した源の某という人を皇夫に迎えることになるだろうが、

女帝とその皇夫との間に皇子があれば、皇太子として位を継ぐことになり、 

その皇太子は女系の血統はあるが源姓になり姓を易(かえ)ることになる」

 

「女系の血統はあるが」と井上ですら血統としての女系を認めている。

今時の男系論者ならこの後に「皇統は男系で繋いできたから男系の血統が途切れてしまう」と続くはずだが、そんなことを井上は言わない。

ただ姓(かばね)の話が続く。

 

なんと、姓という現代は完全オワコンとなった制度の心配をしていただけだったのだ!

 

しかも「臣籍に降下した源の某」という今で言うところの「男系男子(神武天皇のY染色体の持ち主)」を婿殿として想定した上で、「男系男子の姓(かばね)になっちゃうじゃん」と言ってるのである。

 

今時の男系論者なら「源の某なら男系男子だから神武の血脈が繋がるね」と言いそうなものである!

 

でもそんな話、全然してない!!

 

今、世の中の野良保守たちを洗脳している「男系論」実は「新解釈」だったのだ!

 

「女系天皇がいなかった」という結果論をどう解釈して男系絶対論を作り出して旧宮家復活に繋げるか、 頭ひねってこねくり出した解釈が例えば 

「男系を辿ると神武天皇に至ることが大事」 

とかなのだ。

 
この「●系を辿ると」論ももちろん明治の議論に出てこない。

 

一体全体、「2600年守られてきた、男系で辿ると神武天皇に至る血統」なる解釈は一体、いつの時点で生じたのだろう?

 

もしかして・・・・・これ?

 

 

皇室典範有識者会議 八木秀次センセ

 

2番目といたしまして、これも理由として果たして適切なものかどうかは、私はいささか自信がございませんが、遺伝学の見地からも説明が可能だということが指摘されております。私は素人ながらこのようなことを以前から申してまいりましたが、最近になりまして、生物学者の中から、あなたの言っていることは全く正しいという意見をいただくようになっております。 
 すなわち、仮に神武天皇を初代といたしますと、初代の性染色体、男の場合XとYのうちのY、Y1 は男系男子でなければ継承ができません。生物学者の中に、その点を「Y染色体の刻印」というふうに表現なさっている方もおられます。 
 男系男子であれば、遠縁であっても同じY1 を確実に継承しているということが、お配りをした資料の、遺伝の系図で確認ができます。確認している時間がございませんので、それは後ほどたどっていただければと存じます。 
 もちろん、我々の祖先は遺伝学の知識はありません。しかしながら、農耕民族としての経験から「種」さえ確実なものであれば、血は継承できると考えていたのではないかと、このように思うわけであります。 

 

これかよ!!!

これなのかよ!!!

「血統観念としての男系継承」

ものすごい新しい、平成生まれの新解釈だったのだ!

 

 

明治の男系論は、この姓の問題の他に「女子に参政権ないのにトップは女子だなんて矛盾する」とか 「妻は夫に従うものとされてるのに、女帝だと夫ができた時に妻という夫より劣る立場になるからおかしい」とか、時代を感じるなあ、という感じの議論に終始されている。

あともちろん、乗っ取り防止という観点が強く語られている。

(なおこの乗っ取り論に対しては当時から「立憲体制のもとで女性天皇の配偶者による政治的干渉は心配ない」という反論がある。

もう侍が権力争いしていた武家社会とは違うのだよ、近代国家なんですよという話でしょうね)

 

なのに、いまの男系論者の主軸は「Y染色体理論=女系天皇は血統外」という、明治以下の男尊女卑理論

 

つまりは「現代日本の男系論者」という、もんのすごいせまーい世界内の共通認識が「女系天皇と男系天皇は血統が違う」なるものだったのです!

 

 

井上ですら血統が違うとか血統としての価値がないとか言ってない。

ただ「姓(かばね)が違う」と言っている。

 

ていうか天皇家にカバネ関係ないでしょうw

(ここにカバネ持ち出すところが武士の世の末らしくて微笑ましくもありますがw)

 

まったく明治政府のお武家脳には困ったもんです!

 

徳川に女将軍はいるか?って、いませんね。

でも天皇家には8人も(神宮皇后含めたら9人)女帝はいた。

天皇家と武家は違うのだ。

お武家さん的にはそれこそ男系男子こそが常識でしょうが、その常識を天皇家にあてはめちゃいけなかったね明治政府。

 

世界の女性君主一覧 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%90%9B%E4%B8%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 

コレ見たら分かりますが、日本は世界に稀なる女性君主国なのだ。 
こんなに女性君主が多いのは、プトレマイオス朝エジプトか、英国か、日本くらいだ。 
むしろ「女帝の多さ」こそが「世界に誇れる日本らしさ」じゃありませんか!

 

 

現代の男系論にやや近いのは下の議論ですが

 

反対論者の沼間守一は(略)「女帝が配偶者を持たれて、皇太子がお生まれになったとしても、天下の人心は皇統一系・万邦 無比の皇太子と見奉らないのではないか」と論じた。

 

これも「国民(天下の人心)はどう思うかなあ」とかいう、ふわっとした論調であって「女帝の子供なんて皇統とは言えない、女系では神武天皇まで辿れないではないか」なんて話はしていない、またこれに対する反論もごもっともだ

 

これに対し賛成論者の肥塚龍は「男統の 皇族がすでに絶えて女統の皇族のみ遺ったときに女帝を立てない憲法であるがために皇統外に人 を求めて天子とするのかと問えば、論者は恐らく答えることができないだろう」と論じている

 

沼間守一のこと検索したら、ゴー宣ネット道場が引っかかりました。

さらに詳細な発言がありました。

 

明治時代の『女帝を立るの可否』論争

 

沼間守一による

 

「男を尚(たっと)び女を次にするは、現に我国人の脳髄を支配

するの思想にして、血統は男統に存すと思惟するもまた我国人
慣性に固着せり。」

 

などの発言を、のちに井上毅が引用し、伊藤博文を説得したことで、
旧皇室典範が制定される

 

(略)

 

論点は「制度」や「対策」や「伝統」の問題だけではなく、話の中心は、
天皇に対して大衆がどんな感情を持つか?」ということや、
「大衆が受け入れる天皇像とは?」ということに集約されていくのです。
だからこそ、「男を尊び女を卑しむ」時代背景が勝利したのだと思います。

 

なんだよ当時も「世論」気にしてんじゃねえか!

 

ならば現在、変な男系カルトに洗脳されてる人以外は絶対に女系容認だ。

 

男系カルト論に一切触れていない日本人で、女系容認できない人が果たしているのだろうか?

 

●追記

 

続き書きました。

血統観念としての男系論(女系は血統的にアウト)は明治にすらなかった 続き