後輩に招待された結婚式には無事に参加できました。
ずっとメンタルが不安定だったから、当日どうなる!? と自分でも思っていたけれど、夫がヨイショヨイショと支援してくれて、なんとか回復期に。
でも、元同僚現同僚がひしめく中に突入するのはしんどかった。
新郎の後輩には事前に卓について相談していて、精神疾患になるきっかけの人達と同じ卓になるのはキツイ的なことを伝えていたところ、安牌だろうと思われた後輩たちの卓になっていました。
せいぜいアラサーの子達の中に、アラフォーの私・・・気を遣わせて悪いなぁと思ったけれど、にこにこしながら話しかけてくれたり、「いつ復帰できそうですか?」「いやー主治医からまだまだダメって言われてて・・・。」「えっ。なんでですか!?」「こうこうこういう理由でさあ〜。」「そういうものなんですね・・・じゃあ今はどういうことをしているんです?」とか、素直で人当たりの良い子を隣にしてくれて、気兼ねなく話ができました。
現地へも、自分で車で行くしかないかなあ〜と電車恐怖症な私は思っていましたが、休みだった夫が「甘やかし過ぎだろうけど・・・仕方ないから俺が送る!」と言ってくれて、送迎してくれました。式中はパチンコ(私の美容室の送迎のときのような時だけパチンコに行く。ふだんは行かない。)を打って、ご祝儀並みにお金を落としてきてしまったそうです。
嬉しかったのは、診断されたばかりのころ、すでにパニック発作を頻発していてわーわーとなりつつ働いていた私に、色々な場面でフォローしてくれた当時の校長も招待されており、「まだ休職が続いてるって聞いたけど、どんな感じなんだ?」と話しかけてくれたこと。
当時はしんどくて横になって休憩できるように、校長室を私専用の休憩所にしてくれて、タオルケットやクッションまで用意してくれていました。めそめそしながら、「教室に穴をあけてしまって申し訳ない・・・。」という私に、「メイさんは学級経営上手いから、代替の先生が入っても何の問題も起きないから気にしなくていいんだよ。」と自尊心を保てるように寄り添ってくれていました。
それに、私が休憩している時に「俺、仕事しているけど、気にしなくて良いからな。」といって、校長室から出ないようにしてくれていたのですが、違う校長に変わってからその理由が分かりました。パニックで自傷に走ったりしてしまうから、見守るために席を外さないようにしていたのだなと。違う校長が赴任して、引き継ぎで休憩に使うことも許可してもらっていたけれど、気を遣ってか席を外すようにしていて。すると、人目がないと理性が飛んで、色々なところを掻きむしってしまったりしてしまう。
そういうのも分かってくれていた校長と会えたのは嬉しかったです。
でも、私に負担ばっかかけて、偉そうに「ねえねえ、いまイライラしてた?(笑)」と、雑談に脱線しがちな学年会議で「次の議題に移りましょうよ。」と口を出しがちな私にあーだのこーだの言ってきていた人達もいたのですが、その人達の私の呼び方がほんと気に入らないんです。「メイ!」とか、「メイちゃーん」とか、社会人なのに呼び捨てやら、ちゃん付けなんですよね。「さん」をつけろ!
ほんと、当時は仕事をまっとうしないし、私は後輩くんの面倒も見る関係で、後輩くんと同じ退勤になるように付き合って夜の九時過ぎまで仕事していたのに。そういう過去をなかったかのように扱うの、やめてほしいです。
愚痴愚痴になってしまいましたが、良いこともあり、嫌なことも思い出した式でした。
夫には、ほんとに色々と支えてもらって・・・「メイはおもしろいから、結婚していて幸せだよ」とは言ってくれるけど。最近は家事もほぼ全部やってもらっていて、申し訳ないと思いつつ、有難いです。夫の猛烈求婚に折れた経緯の結婚生活ですが、後悔していないのかなとたびたび不安になる。でも、だいたい10年の付き合いになるのに、未だに仲良くできているのはストレスフリーにしてくれている夫のおかげですね。ありがたいです。式の帰り道で、太っているのを隠すコルセットが苦しい〜ヒールで足が痛い〜とヒィヒィ言っている私に、「俺は何も食べてないからスーパー寄らせて。」とスーパーに行ったかと思ったら、私の好物の桃やらケーキやらを買ってきて「食べられるときに食べて。」と労ってくれるので、「もうアルティメット旦那だよ・・・。」と伝えています。
そんなこんなで、忙しないけれど、夫や後輩の支援のおかげで乗り切れた結婚式でした。
※蛇足
参議院選挙で、遠縁の伯父さんは無事に当選してました。その権力を、ぜひ教員待遇改善と教育現場改善に使ってほしい・・・。
