私は過労と許せない同僚との連携がうまくいかずで休職に入ることになりました。

 だから、ある程度平等な視点から、保護者の方がどのように学校と連携していくことが理想的か。そして子どもがいないながらも、半ばネグレクト気味で育った経緯から保護者、親に子ども目線で求めることを語りたいと思います。


1.不満があってもある程度は我慢する。
 保護者の方としても教育現場で教員に求めることは色々あると思いますし、理想的な指導をしてほしいと思います。

 でも、現実的にそれは無理。中堅と呼ばれる程度に学校教育に携わってきましたが、管理職によっては単なる教員の意見に聞く耳をもってくれることもあるし、つっぱねる人もいます。または、私がまだまだ若い(なんて年齢じゃないですけど)から、もっと複雑な事情があってできること、できないこともあります。

 例えば、運動会。保護者の方は炎天下のなか、立ちっぱなしで、ご自身のお子さんの出番を遠くから応援することになります。そこで私は現在の学校に在籍年数が長かったということから、「メイ先生ってここ長いじゃない。コロナ前も後もいたでしょう? 教頭から、『自分のお子さんが出番の時は撮影スペースに移動してもらって、そこから観戦してもらうのはどうか』って意見が出ているのよ。それに、他の主任の先生からは終日で実施しませんかって意見が出ているの。どう思う?」と意見を求められたことがありました。

 「まず、撮影スポットを決めても、移動に時間がかかって進行に支障が出たり、本校は校庭がせまいですから、人混みになってかき分けて移動するのも困難なくらい児童数と保護者数もいます。そして、リズムなんかだと、隊形移動がありますから、一番その子にとって見せ場になるところをお子さん自身から学年便りから出す隊形移動の位置を示すものを見てもらって、お子さんからここにいてねって言ってもらう方がよいと思います。コロナ前は終日で行ったこともありますが、それから児童数もかなり増えて、当時ですらぱんぱんだったのに、低学年と高学年で時間を分けて実施する方法に変えましたが、そちらじゃないと、もう保護者の方は各家庭一人しか入れませんし、入ってもぎゅうぎゅうです。座ることができない保護者の方の方が倒れます。◯年生の出番になったら、前の方に優先して場所を譲れるようにと肩にシールを貼るという方法も試しましたが、それも「譲ってくれなかった」という不満が出ていましたので、全員の保護者の方が列を成すという事態になるのはよくないのかなと思います。まとめると、私個人の意見は半日実施、低学年と高学年を分けての実施を勧めます。」

 てな感じで、意見を聞いてくれる校長もいますが、逆を言えば、私の意見がなかったら、また不満(今年は今年で別の不満が出ていたのかもしれませんが)の残る観戦状況になるのかな。と思いました。

 上記のように、主任会議など、役職者によって、いろいろと行事の実施の仕方や学校、学年の指導方針を決めていくことになります。

 小学校はできる限り人によって指導の差や内容の差がないように「右ならえ」が推奨されます。業務命令でもあります。私は我を通すタイプですから、学級単位でできることがあればやっちゃお。とやるタイプではあります。

 学校によって異なりますが、音楽祭で合唱コンクールを行う際に、ピアノ伴奏者を児童にするか、担任もしくは専科にするか、どちらかで統一している学校も多いです。というかそちらの方が普通だと思います。

 後者の場合は特に保護者の方から不満が出にくいのですが、勤務校にはスタンドプレーを得意とする(私が嫌いな教員)主任がいます。自分の学年だけ、児童に伴奏させているんです。

 これの何が良くないかって、ピアノが得意な子、習っている子たちによる熾烈な伴奏者決定戦が発生するからです。

 もちろん、そういった子達にとって学校で特技であるピアノを披露する場面というのは良い体験にもなるし、目指したくなるし、保護者の方の気合いや期待も殊更になります。

 しかし、学年の担任団と音楽専科による選抜によって落ちてしまったお子さんは、せっかく伴奏曲をがんばって練習したのに、不遇な展開となる。

 その上、合格しても本番で失敗してしまうということがあれば責任重大。感染症にかかってできなかった、なんてこともありえます。そのため、昨今の時代のニーズには合わなくなってきています。

 なので、私は個人的には教員がやった方がいい(どちらのパターンも見たことがありますが、やはり伴奏者が児童パターンだと、保護者の方も期待していただけに落胆して「うちの子の方がよく弾けていると思うんだけど??」とトラブルになる可能性がある(トラブルに関わった経験はないです)。

 それが、右ならえをしないスタンドプレーの倫理観はちゃめちゃ主任が、他の学年は学校の方針に従って教員伴奏にしているのに、昨年から実は児童伴奏させていると聞き。

 そんなんしたら、「なんでうちの学年は児童じゃないんですか。」ってなりますよね。そういうことしちゃうのはやめてくださいよホントに。

 というように、学校の方針で従わざるを得なかったり、主任が暴走して勝手したり、ということがあって不満が募ることも多いのではないかと思います。

 でもそれを一介の教員が変えるとか、できないときはできない。主任だって一介の教員ですが、自分の思う通りにならないと会議でも構わずヒステリックに叫んで「うちはこうする!」と強引にねじまげてくることがあるんです。

 私がしたスタンドプレーとしては、コロナの影響で前向き黙食になったときに娯楽がなくて可哀想だからと、給食中にyoutube動画のリクエストを募って観せたってところ。懇談会で保護者の方には説明しておいたし、グレーな対応だから管理職に見つかったら叱られるかな〜と思いきやスルーしてもらえたってもの。

 そんなふうに、担任裁量で指導方針もさまざま。

 学校や学年のきまりでできないこともあるし、担任によって指導内容も多少変わります。だから、「初任の先生? 頼らないからイヤだな。」というのも、今の教育現場事情としては大学出たての初任者だろうともたせざるを得ないくらい人手不足なので、「担任を変えて欲しい」なんてのは難しい。けれど、初任者は若いからルールには従順だし(例外はいますが)、遊び相手として体力もあるので、遊んで欲しい盛りのお子さんには合っていることも。

 「気難しそうで怖い先生。うちの子、HSP(※HPSと表記するパターンもあるのかどちらかわかりませんが、正式名称的にHSPが正解だと思われるので訂正します。)(繊細さん)ぽいから、学校に行きたくないって言い出しそう(言い出した)」と思っても、成長していくにつれてさまざまな困難にぶち当たるのが人生ですから、相性不足については目を瞑って過ごして欲しいと思っています。どうしても仕方ない事情のある不登校児もいることは現場を見ていてもブログを見ていても分かります。

 私は不登校のお子さんは、ちゃんと生活リズムが整った生活をして、集団生活を送ることができる環境にあれば、義務教育の学校にこだわらなくてもいいと思っています。しかし、「親が庇ってくれる。」「親が優しくしてくれる。」という理由でワガママからの不登校になったり、上記のように「学校がイヤ。」という漠然とした理由(先生への不満を理由にしやすいです。)だと、強引にでも学校に行かせる方がいいとも思います。

 過去にどうしようにもなかった不登校の児童対応をしたことがありましたが、家庭環境が大変なことになっていました。当時の校長が昔気質というか本質的なことを考えていないというか。とにかく「担任は朝迎えに行け」と指示する方で。お家まで行きますが、小さなアパートで三兄弟。全員が不登校。父親の影がなく、母親は憔悴しきっている様子で「ほら、メイ先生きてくれたよ! 出てきなさい!」と無理矢理ひっぱりだそうとする、そのお家の中は足の踏み場もない。もう余裕がないご家庭であることは感じました。お風呂も入っていないし、持ち物も揃っていないし、服も洗っていない。「家で何してるの〜?」と聞けば、夜中までゲームをしているという。生活リズムも狂いっぱなし。これでは学校でできることはないです。お母さんにも、「差し出がましいですが、お子さんのためにもお家の環境を整えることは必要かと思います。」と言ってみたり、「ゲームもできないようにした方が良いです。」と言っても、「やりたいんですが時間がなくて。」「ゲームを取り上げると癇癪を起こすんです。」「『お兄ちゃんもお姉ちゃんも学校行ってないのに僕だけ行かなきゃならないのはおかしい。』と反発するし。」と。

 ご家庭にはさまざまな事情があると思います。計画的な子作りができなかったのかなと思う反面、父親や母親が不意のリストラにあって経済状況が困窮してしまった結果であるかもしれない。ご病気でそうなったのかも。お子さん自体も起立性調節障害かもとか。

 そのお母様も、担任がわざわざ朝に迎えにきてくれている、ということを重んじて、何とか不登校から立ち直らせようとはしていましたし、学校に不備があって不登校になってしまったとは考えていませんでした。いっぱいいっぱいなんですよね。そういうご家庭こそ、もっと福祉の手が行き届くようになるといいなと思った一件でした。

 そんなふうに、どうあがいても一介の教員ができることなんて限られているし、おのおの性格も特徴も特性も異なります。だから、ある程度、どんな担任になったとしても「これもまた人生経験」として受け止めてほしいなと思っています。

 時にはお子さんに人権無視した発言(実際に子どもに向かって「死ね!」と叫んだ教員もいました。その教員と組んだせいで私は初めて自殺未遂しました。)したり、あきらかにおかしな体罰(指導をちゃんと聞かないから立たせようとして腕を引っ張ったら足をぶつけたことを体罰認定された。というのもニュースで見ましたが、お子さんを指導しようとしてカチンとくるような態度をとられたら、教員も人間なのでそういう対応をすることもあるかもしれません。どういう状況だったかそれ以上出てきませんでしたが、お子さんに非があるのに何でも体罰だとか言われてしまうと、萎縮して必要な指導もできなくなるなと思いました。)をさせられたら、それは学校に訴えてよいと思います。

 訴え方としては、以前書いた「有り難い保護者」の記事に記載しています。


 とにかく、喧嘩腰で怒り心頭の態度で学校に乗り込んでくるというのは、よくない結果になりがちです。冷静さを努めて保ち、事実確認と学校として今回の件についてどう対応するか、今後はどのようにしていくかということについてを検討することが最善だと思っています。

 いやほんとマジで「あんな教員、さっさと懲戒処分受けたらいいんだよ!」と思う人もちょこちょこいますから。そういう人は委員会も絡めてしまっていいと思います。特に「死ね!」って言った教員。しれっとその後も勤めていましたけれど、なんで処分されないのかな〜と思いました。

 ただ、時にはお子さんに盲目となってしまって、怒りで冷静に物事が見られなくなり、実は自分の子が問題だった。という例もよくあります。「警察沙汰にするぞ!」と、学年集会まで開かせて怒鳴り込んできたお父さんがいましたが、おそらく塾や習い事疲れと良い子ちゃんでい続けることに疲れて、陰で自作自演の悪さをするようになった子がいたんですよね・・・こちらが「やった人がわかりました。」って言ったら、ご家庭で白状したみたいで。クレーム電話もぱたりと止み、最後には「ご迷惑をおかけしました。」と頭を下げられましたけども。「何の話ですか〜??」と笑顔で詰め寄りたかったなと思いました。

 子どもは悪さをするものです。低学年は認知機能が低いから、自己中心的な考えと「記憶改竄」によって「自分がやられた」ということだけを保護者の方に訴えて、自分の悪かったところがすぽんと抜けてしまうことも多々。日常茶飯事。

 高学年になってくると、嘘のつき方が巧妙になるので、親御さんも上記のように騙されてしまうことも。

 とにかく、お子さんに非があるときは、それも受け入れる。まず、お子さんを疑ってみて欲しいと思います。自分の子が一番可愛いのはどの親も当たり前。けれど、盲目になって視野が狭くなると、お子さんの「しんどいんだよ」サインを見逃してしまうこともあります。


2.家庭内でのオンオフの切り替え。
 家は安心安全気を許せるリラックスのできる空間であってほしいです。

 でも、やることはやる。それ以外はだらける。そういうのを切り替えて過ごせる場所でもあってほしい。

 昨今の小学生は、部活に習い事に塾にと、大変な放課後を過ごしているお子さんも多い。

 まず、それがお子さんにとってキャパシティが超えていないかを確認してほしいです。

 先ほども言いましたが、家庭でも学校でも「良い子ちゃん」でいることに疲れた児童がトンデモトラブルを巻き起こした事例もあります。ストレスの捌け口に、万引きに走るということもたくさんあります。そして何より一番良くないのは、期待しすぎて詰め込み学習させられて、脱毛症になった女児もいました。本人と面談しても、「うーん、大変といえば大変ですけど。なんかよくわからないです。」と、この「自分の気持ちがわからない」という発言は、鬱といった精神疾患の方の言い分にありがち。保護者の方にも習い事を減らさないか訴えても、「本人が大丈夫だと言ってますから。」で流される。もう立派な限界サインが出ているというのに。

 そういうサインが出る前に、自分のお子さんのキャパシティを把握して、どれくらいならできるのかを見極めてあげてほしいと思います。

 そして、放課後はできるだけ外遊び(昨今はほんとに外遊びしづらい環境になっていますが)、または、読書好きなら読書といった趣味の時間を設けてあげてほしい。

 放課後は友達と過ごすことを望む子もいるでしょうし、一人の時間を大事にしたい子もいると思います。私はどちらかというと後者でした。友達と遊ぶこともありましたが。

 そして宿題に取り組むタイミングは、保護者の方がお家にいる時間帯が望ましいと思います。共働きだと難しいと思うものの、子どもは「親に宿題を見てもらいたい、協力してほしい。」と思っています。これは私が子どもの頃に思っていたことです。

 リビング学習ができるような住宅の間取りも多いです。それだけお子さんがリビング学習をすることは需要が多いということ。

 私は親に宿題を見てもらいたくて、わざとダイニングテーブルで宿題をしていました。でも、「宿題をみてほしい。」と甘える一言が言えなくて、見てもらえませんでした。今も悲しい過去です。

 宿題を見てあげるというのは、たんなる学力のための取り組みじゃなくて、親子のコミュニケーションだと思っています。ですから、可能な限りお子さんの宿題は見てあげてほしい。もちろん、高学年になってくると、昔習ったはずなんだけど忘れたなあ。という内容がでてきます。それでも、丸付けはしてあげられる。ハンコやシールを貼ってあげると、嬉しさもひとしお。「ハンコひとつで?」と思うかもしれません。でも、お子さんの価値観というのは、大人とは違います。小さな石ころ一つとっても、宝石のように感じる価値観があるのです。ぜひ、宿題を通してコミュニケーションを図ってあげてください。

 ゲームやタブレットを触って良い時間帯は決めましょう。お友達間で流行っているからと、乗り遅れたくないから、友達とのコミュニケーションツールでゲームを持ち出すこともあると思います。その際には、きちんと「ソフトやハードの貸し借りはしない。◯時までに家にいる。遊ぶ場所は危なくないところにする。」といった決め事もして、外で友達と遊んだのであれば、家では「1時間まで」など、ルールを決めて、それ以上使えないように設定したり、管理したりしましょう。

 お子さんがどうしても仕方のない事情があって、キッズケータイではなくてスマートフォンを持つことになれば、保護者からできる年齢設定を行い、友達で流行っていたとしても、LINEや SNSの活用はさせないようにしましょう。買い与える際、保護者の方もしっかりメディアリテラシーを学んだ状態でお子さんに渡す必要があると思いますが、LINEは通常、小学生は使えません。設定でそうなっています。「友達とやりとりするのに必要なの」と言われても、そこだけは譲らないで欲しいです。LINEトラブルは、できてもできなくても発生し、巻き込まれる可能性があります。できない状態であれば、最低でも加害者になる可能性はなくなります。

 Netflixで「放課後カルテ」というドラマがあります。そこでも、流行りに乗っかる女子と、そうではない女子との確執が描かれていました。お子さんが仲間はずれという被害者になる可能性があったとしても、加害者としていじめに加担する、もしくは首謀者になる側になるのとでは、どちらの方がよいか。それがこのドラマを通してよくわかりました。おすすめです。親子でみてみてほしいです。

 「YouTuberを始めたい!」と言い出すお子さんもいるかもしれません。でも、どこまで何をしていいかなんて、大人だって炎上騒動を起こすのだから、メディアリテラシーのメの字もまだ理解していないお子さんでは、「とにかくバズるために派手なことしよう!」と、無茶苦茶なことをしてしまう可能性があります。成人して、自分の行いを自分で責任がとれる立場になるまでは絶対にさせないほうが良いです。

 家庭でのオン、としては、上記のようにルールを守ったり、宿題したりといった時間。それ以外にも、発達段階に応じて、徐々に家事の手伝いを習慣化させて、自室を持つようになったら、自分で身の回りのものの整理整頓を行うようにさせましょう。

 家事の参加や身の回りのことを自分でさせる際に必要なのは、理解です。

 お子さんも、「〜しなさい。」という命令系統の文言には反発心を感じます。誰でも当たり前にあると思います。

 そうならないために、自発的に行動する一歩として、まずは親御さんたちが生活していく上で何をしているのか、お子さんに「お母さん(お父さん)が生活のや生きていくためにしていること、何があるか書ける?」と紙を出して、リストアップさせます。必ず、目に見えない家事や仕事がでてきます。

 そこで、追加で思いつくまま、「こんなことや、こんなこと、こんなこともしているよ。他にも書ききれないかな。それぐらい、生きていくには必要なことをしているんだよ。」と、親御さんがどれだけ自分のためにしているかを自覚させます。

 その上で、「あなたも大人になったら、こういうことができるようにならないといけない。それが当たり前のようにできることを習慣っていうんだよ。今から、その特訓をしていこうね。まず、この中でやってみたい、できそうだなって思う家事ってどれかな?」と、子どもに選ばせて、それを習慣的に実施できるようにしましょう。できた日には、カレンダーにシールやサインをすることで、「連続◯日達成おめでとう!」(風邪などでできなかった日は△などにして)と、不意打ちで好きな外食に連れていくといった、小さなご褒美があるといいですね。ご褒美制度は、それが目的になりがちなので、「次に何したら〜もらえる?」ということには「それは頑張り次第!」と流したり、答えないようにするか、ご褒美制度自体なくてもいいです。しかし、やる気があまりにもないお子さんには効果的ではあるので、お子さんの実態に合わせて実施してよいと思います。一つ達成できたら、新たに「レベルアップするために、もう一つ増やしてみよう。どれにする?」と提案してみるといいと思います。毎日やるようなことではなくても、毎週◯曜日にやらなければならないことでもよいと思います。

 そうして家事スキルを家庭で身につけ、徐々に自立心を促しましょう。私は放置子だったので、ほとんどのことを自分でやっていました。晩御飯は、私のリクエストが通ることはほぼなかったです。兄が大食漢、父が野菜嫌いなので、クックドゥの中華オンリーでした。少食の私は太らなかったけれど、兄は立派な肥満児。そして、部屋の掃除も洗濯も自分でしないから、母親が大人になるまでずっと定期的に掃除してあげていましたし、一時期部活が激しい内容だったからすっきり痩せられた(遺伝的に両親ともに健康〜痩せ型)けれど、大学生から自堕落な生活になって、今では100キロの大台に突入するくらいです。そんな風にお子さん、育ってもいいですか? よくないですよね。

 オンのことばかり話してきましたが、家は安らぎの空間。平日は9時には寝られるようにして、朝は6時起き。朝食などの準備も自分でできるようになったらさせましょう。私は小一からやっていました。母は低血圧で起きるのが遅かったから(私も極度の低血圧なのに寝起きがいいのはなあぜなあぜ?)です。父にトーストの焼き方や片付けを教わりました。

 オフタイムに休日は、いっそのこと朝寝坊してもよいです。昼寝もいいと思います。土日に少しくらいリズムが狂っても、平日になればだいたい取り戻せます。(崩れがち、というお子さんならば、起床と就寝時間だけは守らせましょう。)だらっとソファで寝転がって動画を眺める時間があってもよいと思います。お子さんが「行きたいな〜。」と言っている場所があり、親御さんに余力があれば、一緒に外出もいいと思います。私は唯一、母とまともにコミュニケーションがとれていたと思うのが、中学時代の土日でした。食材の買い出しや、小学高学年くらいから、母はフレンチにはまるようになったので、それくらいから毎週のように、お供に私を連れ出す(一人フレンチは寂しいから。友達少ないところなんかまさしくASD)ようになりました。あまり会話は弾まなかったものの、フレンチのマナーを教われたのと、良さを知ることができたことくらいが母からの恩恵でした。

 一緒にゴロゴロしたり、日用品や食材の買い出しに行ったり。これもまたコミュニケーションです。そして、安らぎの時間です。高校は部活が忙しいので頻度は減りましたが、定期的にもはやいきつけの常連(小さい子が珍しいから覚えられたのだと思う。今行ってもスタッフが変わったから昔の常連だとわからないだろうけれど)となったフレンチには行っていました。これだけ、ゆいいつ母との嬉しかった思い出です。子どもの頃を回帰してそんなことを言うような大人にさせないためにも、オフ時には一緒に徹底的にだらだらしたり、買い物して触れ合ったり。宿題や整理整頓(しなさい、といってもやり方がわからなければできません。やり方を教えたり、やりやすい環境づくりも必要です。)オン時には「一緒にがんばって、大人になったらしっかり一人でもやっていける大人になる訓練しようね。」と促していきましょう。


3.外で振る舞いを子どもは見ている。
 親御さんの背中をお子さんはしっかり見ています。

 私は特性上、生真面目正義感強し。ということがあるから当時にそういう思考に至れた可能性がありますが、母を反面教師にしよう。と思ったことがありました。

 母も父も、子どもが好きそうな場所にはあまり連れ出すことはありません。母は読書家だったので、古本屋巡りが趣味でした。私も兄も小さい頃はそれにくっついていました。

 小さな古本屋さんでの出来事。私と兄は、立ち読みしながら本棚を背もたれにしていました。店主はそのことに怒りました。当然ですよね。買うのか買わないのか分からない様子で長時間滞在しているうえに、備品や本を傷めたり汚したりしそうな行動です。

 それに怒った店主に対して、母はまるでダメな親代表格が言いそうなワードNo.1の「子どものしたことに対して怒鳴るんじゃない!」と怒鳴りつけたんです。あり得ないですよね。兄がどう思っていたのか知りませんが、私は『たしかにおじさんの言う通りだ。』と思いました。

 散々怒鳴り合いの喧嘩を子どもの前で見せて、「もう二度と来ない!」と捨て台詞を吐いた母は、私たちを連れて店を出ました。

 そんなの、私たちが悪かったから当然のことなのに。なのに、うちの子が悪いということを認めずに逆ギレかますなんて。と、母に嫌悪感を抱きました。

 大人の言動を子どもはちゃんと見ています。兄も同席していたから、私は小学校低学年〜中学年だったと思います。

 それでもいまだに記憶に残っています。それは子供を持つ大人としてダメな言動だろう。と。

 ちゃんと私たちの振る舞いを叱るべきでした。母は私(兄は過干渉)を放置気味で、叱りもしなければ褒めもしない人でした。

 あそこはちゃんと私を叱るべき場面でした。そいいうところ、子どもはちゃんと見ているし、その態度でいいんだと勘違いした子どもが成長してしまうのも問題だと思います。

 だから、外での振る舞いでは、きちんとした大人。というのを守ってほしいと思います。それがお子さんにとって、良き手本となるように。

 前回の記事で書いた恋愛エピソードで私がドン引きしたことでもありますが、お子さんが空き缶を平気でポイ捨てする子になってもいいのでしょうか。ルールやマナーを守れない子どもに、大人になっても良いのでしょうか。「別にいい」と思う方の方が少ないと思います。一番身近な大人として、お子さんと外で過ごす時には正しい振る舞いをして欲しいと思います。


4.きょうだいで差はつけない。
 私には2つ上の兄がいます。今までも書いた通り、扱い方は別でした。男女の違いもあったかもしれません。でも、私はもっと平等に愛されたかった。構って欲しかったし、「お兄ちゃんができたから飽きちゃった。」と、写真撮影や動画記録など、アルバムに差をつけてほしくなかったです。動画なんて、兄も在籍している小学校での演劇会のものしかありません。兄は何十本もあるのに。

 女の子なのに、兄のお下がりばかり着させられて、女の子らしい服装もさせてもらえなかったです。

 兄にはヒスらないのに、私にはヒステリックにならないでほしい。

 そんなふうに、たくさんの差を体験してきました。

 子どもは本当に敏感で繊細です。そして、当時のことは大人になっても根深く残ります。

 兄だからとか、女の子だからとか、次男だからとか、末っ子だからとか、長女だとか、次女だからとか。愛情の偏りを、言動で察します。いくら「平等に愛していたつもり」と言っても、実際の言動が一致していないと、受け取る側はそう感じ取れません。

 だから、その時々で兄にトラブルがあって構わなければならないときは「お兄ちゃんは今〜だから、〜してあげようね。」と、ちゃんと理由を言ってください。これ、私の心の叫びでもあります。

 それでも納得しがたいときだってあります。

 そうやって、平等に扱えない、扱う自信がないのであれば、きょうだい児は作らないで欲しい。私はそう思っています。


 色々と申し上げてきましたが、これが教員目線、自分が子どもだったときの目線、そして大人としての目線での考えです。願うは、「心身共に強くたくましく、けれど愛情深く育つお子さん」が増えることです。

 何度も言います。自分のことで精一杯な私からすると、子どものこと、仕事、家事とフル活動している保護者の方々はほんとうに尊敬する存在です。

 ですから、理想を語りはしましたが、時には自分を労ってあげてほしい。お子さんを預けてぱーっと遊んだり、一日中寝て過ごしたり。

 頼れるところがあれば、どんどん頼りましょう。私は夫に頼ることで、やっと息ができるようになったと思っています。

 保護者の方もご自愛ください。失礼いたしました。