前回リンクさせていただいた「介護ニュース joint」には、「課題分析標準項目」の一部改正について、石山麗子さん田中絋太さんら著名人のコラムも寄せられています。それだけ注目されているニュースなんですね。

私も自分なりに、この改正がどういう意味を持つのか考えてきましたが、今回で最終回になります。

 

私が注目すべきポイントは、このように項目を具体的に、かつ細かく示されているなら、「アセスメントからケアプラン作成までケアマネジャーの手を借りずともAIの手を借りて完成してしまうのではないか」。よってケアマネジャーがこの世から消滅してしまうのではないか、という心配です。

しかし、このテーマを書いている間に厚生労働省が日本介護支援専門員協会の全国大会の場で「AIにケアプランの決定は絶対できない。ケアマネジャーの役割は変わらない」ということを知りました。

 

 

 

そうか~、これで一安心……なわけないじゃないですか!

ケアマネジャーばかりいる場で「ケアマネ要りません」って、口が裂けても言えないわ。

 

 

 

ふつうに考えれば、今すぐにでもAIにアセスメントとケアプラン作成させることは不可能ではないと思います。

しかし、みなさんがやっているケアマネジメントはそんなものではないですよね?

 

 

 

ケアマネジャーの仕事は「感情労働」の一つにカテゴライズされています。看護師や介護士も「感情労働」に入ります。医師や教師、サービス業も入ります。対語となるのは「肉体労働」です。

「感情労働」とは何か、知りたいた方はこちらへ。

 

ケアマネジャーは対人援助職のひとつです。加齢により身の回りの支援が必要になった方とご家族の相談に乗り、立ちいかなくなりそうな生活を、いろいろな方法を介して支える仕事です。

利用者の悩みや悲しみや苦しみを聴き、(生きていてもいいんだな)(これからも生きていきたいな)と思い続けるようにする仕事なんです。

 

ケアマネジメントが「感情労働」であり続ける限り、AIやコンピューターに仕事を奪われることはないでしょう。利用者や家族は感情を通わせたいと思っているからです。
利用者や家族は気持ちを誰かに聴いてもらいたいと思っている人が大半です。だって介護の問題は自分や家族の生活を一変させるから。
言いたくない人は心を開けないだけで、抱え込んでいる人は言える相手や場所を知らないだけです。

 

 

 

ただ、感情を通わせない、単なる「ケアプランを作成する人」では先はない、と思います。

 

 

 

AIでケアマネジメントはどうなるか」で、私のブログにたびたび登場するYMOを例に上げましたが、リーダー・細野晴臣氏が回顧録でYMOを結成した目的の一つとして「グルーヴなんか捨ててしまおう」というものがあったそうです。しかし、「すぐにそれは飽きてしまった」と語っていました。(「グルーヴとは」こちら
音楽にグルーヴは欠かせない要素のひとつであり、それは人の手で行わなければ生まれないことに気づき、その後のYMOの曲には至るところに生楽器での演奏が織り交ざっています。

グルーヴのない音楽は、人の感情を動かさない、つまらない音楽だったということです。

 

結論。

厚生労働省は「AIにケアプランの決定は絶対できない。ケアマネジャーの役割は変わらない」と言いました。私は、「ケアプランは作成できるが、ケアマネジメントはできない」と考えます。

そして今後、「課題分析標準項目」を埋めるだけのケアマネジャーなら不要、利用者や家族に共感しつつケアマネジメントを遂行できるなら必要、という時代になって行くのではないかと思います。ケアプランナーは消滅するが、ケアマネジャーは生き残る、ということですね。

「課題分析標準項目」一部改正が示されて、今後「アセスメント」をこれに沿ってやっていけば情報の聞き漏らしもなくなり、ケアマネジャーの力のあるなしに関わらず、それなりのケアプランを作成することが可能になってくるのではないか、と想像します。

 

ケアマネジャーの当たり外れがなくなりそう、というのが私の”最初の”見解でした。

 

しかし、よくよく考えてみると、ケアマネジャーが聞き取る手間をなくして、利用者自身が、あるいはその家族が自分でPCに入力してAIに分析させれば、ケアプランができてしまうのではないか?と思いました。

 

そうなると、ケアマネジャーはいらなくなるし、ケアマネ不足は解消するなあ、と。

 

「だから、ケアマネジャーの今の仕事ぶりでは、AIにとって代わられる可能性は大いにあると思っています。」

と、「AIでケアマネジメントはどうなるか」で書いたことが、もう実際に実現されそうだと思ったのです。

 

……と、思っていたら、「日本介護支援専門員協会」の全国大会で厚生労働省は、「そのようなことは絶対にない」と言ったそうです。

 

え~、ほんとかな~。ケアマネの集まる場で「ケアマネはいらなくなります」って言えるはずがないもんね~。

 

厚生労働省の言うことは根拠のない口約束みたいなものですが、私も結論を言うと、「たぶん」無くなることはないと思います。

 

それをケアマネジメントおよびケアマネジャーの性質から考えてみたいと思います。次回最終回です。

「課題分析標準項目」改正の各論その3は家族に関することです。

 

改正前は、「21 介護力」という項目に家族に関することを書くことになっていました。「介護力」とは、家族が利用者を介護する力がどれだけあるか、という視点ですが、「どんな人には介護力が有って、どんな人には無いか」という目安が示されていませんでした。

 

改正後は、「本人との関係」「居住環境」「年代」「仕事の有無」などを記載するように示されており、それらを総合して「介護力が有るか・無いか」の判断基準にできるようになっています。

 

また、家族については「21 社会との関わり」の項目の中にも「家族との関わり」について書くように示されており、利用者本人が家族という単位も社会的なものであり、そこでの役割の有無などにも視点を置くようになっています。

動作的にどうしても活動範囲が狭まってしまう要介護者に対して「めざすところは地域への参加です」といっても、ハードルが高すぎて「絵に描いた餅」になってしまう事例がありましたが、家族という社会単位を意識させることで現実的なハードル設定にできるようにも思いますし、地域参加へのスモールステップにもなると思います。

 

話が少しずれますが、ケアマネジャーの法定研修の改正も予定されていますが、そのカリキュラムの中に「疾患別のケアマネジメント」を学ぶようになっています。医療面を強化した学びになるのも良いけれども、人の生活は身体的な部分だけでなく、社会的な部分も大切なのにな、と思ってたところでした。しかし、今回の「課題分析標準項目」の改正をみて、家族や社会への視点もおろそかにしないようになっていたのでホッとしました。

 

 

 

以上の3つの各論で「重箱の隅」つつきは止めにして(笑)、次からは今回の改正を将来的な視点でどうなるか考えてみようと思います。