(前回「長谷川先生の晩年をNHKスペシャルで」はこちら。)

 

脳の中には、物事の記憶の領域を

司(つかさど)る「海馬(かいば)」

という部分があります。

海馬が萎縮しているかどうか、

画像診断することが

認知症という病名がつくかどうかの

規準のひとつになります。

CTやMRIで診ていきますが

細かいところまで写るMRIのほうが

その精度は高いようです。

 

体験したことや物の意味などは

まず、いったん、この海馬に保存されます。

いわゆる「短期記憶」というやつです。

その後、長く覚えておかなければいけない

出来事は「長期記憶」の部分へ移動し、

保管されます。パソコンで言うと、

海馬はメモリーの部分に相当し、

長期記憶はハードディスクに相当

するでしょうか。

 

さて、長谷川先生が「確かさ」という

言葉を何度も使っていたことを前回

お話ししました。これを海馬の働きと

関連してみていくと、認知症の人の

心理に近づいていけるように思います。

 

私たちの何気ない行動のひとつを

例に挙げて考えてみましょう。例えば、

「朝、パジャマから外出着に着替える」。

この場面だけでも、たくさんの「記憶」が

発動されなければいけなくなっています。

 

例えば、時間。

午前7時30分に家を出る予定です。

出かけるまでの行動を逆算しながら、

それに間に合うように着替えています。

そこには出かける場所の記憶も

なければいけません。

行くまでにどれくらい時間がかかるか、

それを覚えていないと逆算はできないです。

 

そして、着替えた後の行動。

例えば、朝食を食べる・歯磨きをする

化粧をする・髪を整える・トイレへ行く。

着替えた後、これらの行動が控えている

ことを意識しておきながら、着替えます。

 

さらには、出かける目的。

仕事のためか、友人に会うためか、

買い物なのか、着替えて外出する目的

は、この行動の大前提として覚えて

おく必要がある記憶のひとつです。

 

このほかにも、

その日の季節や天候。

どんな服を着るか。

着る順番はこれで良いか。

その穴に通すのは腕なのか、

足なのか、はたまた頭なのか。

などなど、たくさんの保管した記憶を

発動させなければいけません。

 

今、行っている行動は、たくさんの

過去の記憶の下で行われている。

ところが、記憶を司る海馬が

その機能を発揮できない状態だと

今行っている行動が正しいのかどうか、

分からなくなってしまう、

ということなのではないか?

 

長谷川先生の「確かさ」は

自分のそういう記憶のあいまいさから

自分がしている行動に自信が持てない

ということではないでしょうか。

 

認知症のある人は、そういう状態が

毎日毎日、一日中、常に続いている。

その生活のしづらさは健常者はなかなか

気づけないものだろうと思いますが、

そこをもう少し深堀してみようと思います。

 

(つづく)