(前回記事「おじいちゃんの被害妄想」を

読んでいない人は、こちら。)

 

ホルスタイン柄になってしまったガラケーを

替えたくなかった理由はこういうところにもあった。

ガラケーの中にはたくさんの思い出、

ガラケーで撮った写真があったからだ。

 

ガラ・ケー子を初めて手にした当時、

もちろん最新機種なので、カメラ性能も

ガラケーの中では最高位にあった。

 

手軽に写真が撮れるのは

スマホもガラケーも同じ。

「撮りたいときに撮る」。

ユーザーの欲求を満たしてくれる

手軽さがうれしかった。

 

ガラ・ケー子の後年は、

さすがに性能は劣ってしまい、

ケー子で写真を撮ることは

まったく無くなっていた。

しかし、8年前の思い出は

しっかりとケー子のなかに

保存してある。

 

この思い出たちを失ってしまうことが

この上なく、寂しいものだったのだ。

 

 

 

 

 

まあ、自分でPCに移し替えれば、

写真は残るんだけど、ちょっと

おっくうなんだよね(苦笑)

 

 

 

 

ガラ・ケー子と別れることになる前日、

PCの前で感慨にふけっていた。

8年前からの思い出をながめていた。

 

長男がスポ少で大阪へ行ったとき、

スタンドで友達とピースサインをしている。

長女が大雪が降った日に近くの坂道で

そりを楽しんでいる。

次女が夏休みの自由研究で

模造紙に字とイラストを描いている。

末っ子が保育園の運動会で踊っている。

家族みんなで行った水族館で

カメの前で並んで写真を撮っている。

 

みんな、ガラ・ケー子が

残していてくれた写真だ。

 

ケー子からPCへ、移動するのに

要した時間は3分半だった。

思ったより早く移動できた。

 

ケー子の中にいた思い出は

すべてPCの中に保存された。

 

 

 

 

少しモヤモヤが晴れた気持ちで

予約していた時間にショップへ行った。

 

この間とは違う店員さんから説明を受けて

データの移動をしてもらった。

ガラ・ケー子の重さが少し

軽くなっているような気がした。

 

 

 

 

あれから1週間がたち、

妻や娘にやいやい言われてLineを始め、

Facebookやこのアメブロも

スマホから見られるように設定した。

手に入れた初日はまったく苦戦したが、

スマホからの投稿もできるようになった。

 

見たか、俺の順応力。

おじいちゃんスマホじゃなくても

十分使いこなしてるだろ?

 

 

 

 

ところで、ガラ・ケー子のほうは

どうしているかというと、

やっぱり捨てられなくて

スマホを買って、もらった袋の中に

入れて、物置に置いている。

たぶん、もう充電もしないだろうし、

「パカッ」って開くこともないんだろうけど、

即、不燃物ともいかないような気がして。

 

 

 

 

(おわり)