(前回は>>>こちら。)


私が無力だと思ったのは、

以前書いたブログにあります。


「夢のプロジェクト」


要約すると、当時、私は

障害者施設に勤めていました。

障害のある人たちに仕事のやりがいを

知ってもらうことが一番の仕事でした。


しかし、その仕事をやりとげることなく

挫折してしまいました。


それは私に力がなかったからです。


授産作業のノウハウも、

障害のある人への支援も、まったく

中途半端で終わってしまいました。


この時、私がしたことは

障害のある仲間を右往左往

させただけ。


ほんとうに何もできなかったのです。


障害のある人たちと一緒に仕事をして

仕事のやりがいを感じてもらう。

それを支援する。


言葉では簡単に表現できて、

さも素晴らしいことをやっているように

聞こえても、その実態は…。




こんなことなら、福祉から足を洗って

自分で企業を立ち上げて、利益を上げて

障害のある人を1人でも雇うことのほうが

よっぽど、世のため、人のため、です。


しかし、

まったくそんな度胸も

力もありません。


つまり、自分が福祉にたずさわって

仲間と一緒に仕事をしていたのは、

「自分がメシを食うため」

だったのです。


そんなふうに理解した時、

自分に本当にガッカリしました。

涙を流したい気持ちになりました。

でも、泣けませんでした。


自分のことより、仲間たちに

申し訳なくて。情けなくて。



この時に思ったのが

「支援する人間は力を持っていないと

いけない」ということです。

無力ではいけない、支えられない

ということでした。

支えるつもりが支えられてしまうのです。




医療のことを知らない職員が

支援している最中に、

その人が急変したとしましょう。


そのときに適切な対応がとれるかどうか。

適切な対応で人の命を救えるか。


それができなければ、その人の力は

そこまで、です。

「無力」というのは、そういうことです。

無力では人の役には立たないのです。




もちろん、私も自信がありませんから

今でも学んでいるところです。

自分の力に謙虚に。でも、前向きに。



医療知識を知っておくことは

その人にとっての武器であり、

力です。


介護職員が医療知識を持つ・

技術を身につけることは

医療の下働きをすることでもないし、

医療が上、介護が下

という意味でも何でもない。


ただ、介護するにあたって

その力が必要なんだという、

とてもシンプルな話なんです。






というスタンスで、

「介護につかえるからだのしくみとはたらき」

にもお付き合いいただけたら幸いです。



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