どうも、ななしです。
現在地を詳しく知りたい方は、「」←の中にあるワードをコピーしてGoogleマップで検索して見て下さい。
東京都3日目。
この日は「明治神宮」へ向かって行きました。
朝は荷物纏めてブログを書いていたら、10時過ぎに「快活CLUB 神田駅南口店」出発することになりました。

「神田駅」前から左へ“神田ふれあい公園”を進みました↓

「鳥貴族 神田南口店」付近↑

交差点「新常磐橋」↑の左側に「日本銀行 旧館」があります。

日本銀行 旧館は、名建築家・辰野金吾によって設計され、1896年に竣工しました。
当時にしては珍しい、エレベーターが設置されていた画期的な建物であったそうです。
建物は1974年に、国の重要文化財に指定されています。

上空から旧館を見ると、漢字の“円”に見えますが、1896年竣工当時は円は「圓」と表記されていたことから、円の形になったのは意図的ではないと思われます。

旧館前から右へ県道405号を進み、2丁目の交差点を左へ「やきとん酒場 大手町とら八」前↓を通って行きました。

交差点「丸の内一丁目」から右へ、「AppTweak Japan合同会社」前を通った↓

「大手町駅」前↓

真っ直ぐ歩いて行くと、「江戸城跡」である「大手門」前に来ました↓

↑の右側↓

↑の左側↓

結構外国人観光客が来ていた。
大手門前の持ち物検査でザッグの中身を見せるのに、手間取りながらも10:43分に入城↓

「大手門」は旧江戸城の正門で、参勤交代で江戸に滞在していた大名たちは、ここから新年や月次で登城する際に使用したそうです。
大手門の高麗門をくぐって中に入ると、枡形と呼ばれる四角く囲まれた広場になっています。
この枡形は、敵が城内にまっすぐに侵入するのを防ぐとともに、攻撃の際には兵の集合場所にもなる施設で、周囲の白壁には「狭間」という銃を撃つための穴があります。
江戸城の城門の多くは、この形式だったそうです↓

ここからは、ざっと見て下さい。
「同心番所」

↓

「中之門跡」付近↓の広場。

↑の反対側にある「百人番所」↓

↓

「大番所」

↓

「中雀門跡」付近↓

「富士見櫓」

↓

↓

↓

富士見櫓から“宮内庁庁舎”が見えるらしいけど、普段は関係者意外は入れないです。
富士見櫓前のベンチには、落葉を片付ける道具を持ったオレンジ色の服来た方々が休憩していた。

「皇居東御苑」内の地図↓

「松の大廊下跡」

↓

元々は広大な御殿があり、その長い廊下跡の石碑があるだけです。
↓

↑の左側↓旧江戸城の「本丸跡」

近くには「江戸城天守復元模型」があるので見に行きました↓

江戸城天守復元模型

江戸城の天守は3度も建て直されています。
模型は、3代将軍徳川家光が建てた3度目の天守です。

↓

↓

寛永15年 (1638年)に竣工しましたが、明暦の大火で 焼失するまで20年間しか存続しませんでした。
4度目の天守の再建計画はありましたが、 石垣の天守台のみ造られて中止となりました。
明暦の大火で江戸の町の大部分が焼失し、軍事上無用な天守の再建より、“町の復興を優先させた”と言われています。

↓

模型の設計にあたって 建築構造は、 『甲良家文書』 (東京都立中央図書館所蔵) の図面を基にしたそうです。
隣の「本丸休憩所(売店)」で休憩後、「富士見多聞」へ行きました↓

↓

↓

窓の向こう側は「蓮池濠」を挟んで、「門長屋」があります。
武家屋敷の長屋門では、門の両側部分に門番の部屋や、仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用されたようです。

「富士見多聞」は、城郭の石垣上に建てられた長屋で、防御と装飾を兼ねた施設でした。
江戸城には15棟もの多聞があったといわれていますが、現在残っているのはここだけです。

この建物が現役だった頃は、ここから富士山が見えていたとの事です。

その後、“天守台”へ行きました↓

↓

「金明水」と言う、戦時に篭城を想定して掘られた小さい井戸も近くにあります。

天守台から「桃華楽堂」↑と、「日本武道館」の屋根↓が見えます。

天守台入口↓

天守台正面左側↓

「北桔橋門」↓から出て行きました。

出て右側↓は平川濠。

出て左側↓は乾濠。

↓


「みたけ橋」渡って「北の丸公園」内を進んだ↓

↓

「日本武道館」前↓

駐車場の「公衆トイレ」付近に、大きな銀杏があった↓

「田安門」↓

↓

↓

田安門前↓

「高燈篭(常燈明台)」前↓

明治4年(1871年)に建てられ、当時は「東京招魂社」として知られていた靖国神社のための灯篭として使用されていました。
近くには「子爵品川弥二郎像」があります。

↓

東京大神宮は、恋愛運や縁結びのご利益で有名な神社らしく、それなりに参拝客が並んでいました。
参拝後、“幸せ結び神籤”を引いたら大吉で、“菊花と鶴”の小さい花文飾りが入っていました。

“高貴なるふるまい”と、“気高き心で正しい道を歩んでいけますように。”と紙に書かれてました。
大神宮を出て右へ進むと、「大衆食堂 定食のまる大 飯田橋西口店」↓に来ました。

↓

特製鍋焼きうどんと、魚フライ(合計1250円)を注文しました。

海老フライとキノコ、白菜、豚肉、ネギ、かまぼこ乗ったうどん鍋で、卵を解いてそれに付けて食べたら甘くて、ご飯が進んでいく。
白身の魚フライは、タルタルソース無しでも普通に美味しかった。
食事後、店から右➟「KADOKAWA富士見ビル」の角を左へ進んでくと、「靖國神社」にやって来ました。

↓

明治2(1869)年、明治天皇の思し召しにより創建され、幕末の志士から先の大戦までの戦没者246万6千人余柱を祀られています。
明治維新以降の殉国者の霊を祀る神社である為、古いところでは吉田松陰・坂本龍馬・中岡慎太郎・橋本左内・武市半平太らが祭神です。
但し、国のためとは言え、結果的に時の政府にたてついた者の霊は除外されているとの事です。
高さ2.19メートル、横2.76メートルもある“ジャンボ絵馬”もありました。

↓


「南門」↑を出て右へ進んだ↓

「㈱バスクリン 本社」付近↑
「市ヶ谷駅」前↓

↓

「市ヶ谷橋」を渡って、「新宿区」の「市谷見附」↑を左へ進んだ↓

「持田製薬㈱ 本社別館」付近↑

県道405号↑を道なりに歩いて行くと、「若葉東公園」↓に来ました。

調べてみたら「迎賓館赤坂離宮」は、明治42年に東宮御所として建設された、日本では唯一のネオ・バロック様式による宮殿建築物です。
当時の日本の建築、美術、工芸界の総力を結集した建築物であり、明治期の本格的な近代洋風建築の到達点を示しています。
第2次世界大戦の後、10数年を経て日本が国際社会へ復帰し、外国からの賓客を迎えることが多くなったため、国の迎賓施設へと大規模な改修を施し、和風別館の新設と合わせて昭和49年に現在の迎賓館として新たな歩みを始め、現在に至っていますとの事です。

「迎賓館赤坂離宮正門」から見た「迎賓館赤坂離宮」↓

この日は水曜日で元々閉館日なのですが、今週は各国の大使が集まっている関係で一般人は入れない模様。
「迎賓館西門」側↓

↓

県道414号を進むと、「神宮軟式球場噴水」前の「明治神宮外苑 いちょう並木」前に来ました↓

↓

都内でも有数のイチョウスポットで、丁度見頃の時に来れて良かった。
噴水の後ろ側では、「東京クリスマスマーケット2024」が開かれていました↓

噴水前のベンチで休憩してた時、膝を擦りむいて怪我していた学生がいたので、自分の絆創膏を分けてあげました。
噴水前を右へ進むと、“2020東京オリンピック会場”として有名な「国立競技場」前に来ました↓

↓

木材をふんだんに使用した外装が特徴的で、上空から見ると0に見える。
オリンピックの時は中抜きだとか、クオリティが低い等で不評だったようですが、今は“ルヴァンカップ”などのサッカー場として人気がありますね。

「国立競技場前 広場」↓

------------------------------------------------------------
↓を押すと他の旅行者のブログが見れます。
それと、私のブログの人気が少しずつ出るようになります。
良かったら↓も押してくれると嬉しいです。※面倒な方は“日本一周”バナーだけ押して下さい。
アメーバブログ登録している方は、良ければブログのハッシュタグよりも左下にある(いいね)も押して頂けると嬉しいです。