どうも、ななしです。
現在地を詳しく知りたい方は、「」←の中にあるワードをコピーしてGoogleマップで検索して見て下さい。
神奈川県4日目。

9時頃に「インターネット&コミックカフェエイジア」を出て着替えてから、09:25分頃に「小田原駅」前を左へ進んで行きました↓

「ミナカ小田原」前↓

↓

「居酒屋 潮若丸」付近↓

↓

「東横INN小田原駅東口」前↑を右へ通り、「JR東日本小田原保線技術センター」前から「小田原城」へ行きました↓

見取り図↓

「小田原城御用米曲輪」↓

↓

↓



↑の画像を再現する工事が行われています↓

↓

「小田原城 本丸」跡↑広場から見た小田原城の天守閣↓

↓

入場料510円払って中を見に行きました↓


一階は小田原城の一部や、小田原合戦終結後の将軍の出来事を展示していました↓

ここからざっと見て下さい↓

↓

↓


↓

↓

2階は小田原合戦終結前の小田原城城主について詳しく紹介されていました↓

↓

初代〜5代目までの城主の内容を載せたかったのですが、2階は撮影禁止部分が多いので小田原城“総構え”と、豊臣秀吉が築いた“石垣山城”の内容の一部だけ載せて置きます↓

↓

↓

緑色が北条氏側の“総構え”陣取り位置↓

↓

戦争に置いて、多くの兵站を持っている方が勝つのが良く分かりました。
3階の廊下は、2階で学んだ内容がクイズになっていました↓

これは分からなかった↓

答えは5階に行った時に分かりました。
3階の展示物↓

↓

↑の左側↓

↑の裏側↓

↑の右側↓

立派な“杉戸絵”だけど、ガラスケースに入ってる関係で撮り映えが良くなかった。

↓

↑手前↓



↓


↓

4階は展示替え中なので行けなかった↓

↓

5階にある“小田原城天守模型”↓

↓

模型前から西側の窓を出て、小田原市の景色を眺めました↓

↓

西南側↓

↓

↓

南側↓

南東側↓


東側↓



北側↓

小田原駅の更に先の山に🌈虹が見えた!

北西側↓


西側↑出入り口から戻って、5階に展示されている“天守型厨子”↓と、“摩利支天像”を見ました。

↓の右側。


仏様の中では格好良いと思う。


1階に降りて、お土産コーナーを見てみた↓

↓

↓

↓

↓

↓

↓

小田原城デザインのアクセサリーは勿論、刀の柄デザインの食器が面白いと思った。

自分は↑右側の御旗印・小田原城デザインのアクセサリーを買いました。

天守閣を出て左側にある「常盤木門SAMURAI館」へ行きました↓

↓

2階では北条家が使っていた兜や鎧が展示されていました↓

↓

↓
説明文に書かれてる写真の順で載せたので、ざっと見て下さい。

↓


↓


↓


↓


↓の左側

↑の右側

“浅田兄弟”仇討ちの概要文。
↓
文政元年(1818年)、浅田 門次郎の父、只助が同僚の成滝万助に殺害される事件があった。
万助は一旦捕らえられたが脱獄したため、門次郎は当時幕府老中職にあった藩主の“大久保忠真から仇討ちの許可を得る”と各地を廻って万助を捜し、文政7年(1824年)に兄の鉄蔵とともに常陸国鹿島郡磯浜村で仇の万助を討った。
これは幕府公認最後の仇討ちとなり、曾我兄弟の仇討ちになぞらえられて「文政曾我」と称されました。

“大久保忠真褒状”は仇討ちを成した浅田兄弟宛てに、大久保忠が与えた直筆の御教書です↓


↓

1階のお土産コーナーも見てみた↓

↓

↓

お面を付けて旅するのも面白いかもと考えたけど、眼鏡を考慮すると無理でした・・・
摩利支天の御守りを購入後、500円で甲冑着付け体験が出来るのでやってみた↓

まずは店内で記念撮影↓

兜が約2.5キロ、それ以外が合計10キロぐらいあるので少し重いかも?
自分はこれらより重いザッグを毎日背負ってるから、あまり重い実感が湧かかった。
その後、30分まで広場を歩き回って良いと言われたので、天守閣前で記念撮影しようとした時、年配の女性の型から貴方のカメラで記念撮影しましょうか?と声をかけられたので、お願いしました↓

隣の「小田原城 常盤木門」前にいたら、別の年配の女性の方が一緒に記念撮影したいと声を掛けて来たので、一緒に撮影しました↓

https://ameblo.jp/metaruko-to/entry-12875874791.html
------------------------------------------------------------
↓を押すと他の旅行者のブログが見れます。
それと、私のブログの人気が少しずつ出るようになります。
良ければ、ブログのハッシュタグよりも左下にある(いいね)も押して頂けると嬉しいです。