どうも、ななしです。
7/11日は、旧国縫小学校からせたな町に向かって行きました。
現在地を詳しく知りたい方は、「」←の中にあるワードをコピーしてGoogleマップで検索して見て下さい。
テントを張った場所。
「旧国縫小学校」から「せたな町」に向かって、国道230号を進んで行きました。
国縫川の写真を撮って少し歩いた場所で車に乗ったおばさんの方が、「今金町」まで乗って行きますか?と声を掛けて来たので、お言葉に甘えて乗って行くことにしました。
しばらく周りが森の国道を進んで行くと、「北海道開発局 今金河川事務所 美利河ダム管理支所」付近にあるバス停停留所にやって来て、ここで一度降りました。
バス停停留所から道道999号を歩いて「ピリカ湖」を一周しに行きました。
すぐ「ピリカ旧石器文化館」に来て、文化館の中を覗いて行きました。
ここら辺は大昔、海岸だったようでピリカカイギュウの化石が見つかっています。
他にも、昔使われていた機械や道具も展示されていました。
隣にある「ピリカ遺跡」への入口。
↑の建物内から「ピリカ遺跡」の発掘跡が見れました。
ピリカカイギュウ時代の頃から生えていたグイマツの木。
サハリン北部から千島列島で生育している針葉樹で、この地域では一万六千年頃に絶命したそうです。
これは恐らくロシアから入植したものと思われる。
ピリカ旧石器文化館からピリカ湖付近の道を進んで行きました。
道路から見えたピリカ湖。
ピリカ旧石器文化館に着いた時から雨が降り続いていて、歩いてる時は蒸し暑かった。
チュウシベツ川。
美利河(ピリカ)ダムの上を進みました。
道中から見えた景色。
ピリカ湖を一周した後、国道沿いの駐車場↓付近で再びお人好しなおばさんが、今金町まで乗っけて行くけどどうする?と声を掛けて来たので、雨降っている道でヒグマに会いたくないので乗って行くことにしました。
しばらく雲がかかった山ばかりの景色でした。
乗っている時に見たトラクター。
しばらく国道を道なりに行って、「自衛隊函館地方協力本部 今金地域事務所」がある十字路を左へ曲がって行くと、「Aコープ いまかね店(JA今金町)」にやって来たので、ここで降りました。
親切なおばさんの方、乗せて頂いてありがとうございました。
Aコープ前から風車型の「今金町観光協会」を見に行きました。
この町に来てから天気が晴れてきた。
その後、無性に焼きたてパンを食べたくなったのですぐ近くにある、「ベーカリーひだまり」でパンとアイスコーヒー(合計700円)を購入しました。
塩味が効いたクロワッサンはサッパリしていて、クリームパンは甘過ぎず食べやすかった。
ベーカリーひだまりから「ENEOS 今金 SS (佐藤エネルギー)」へ町中通って行った。
ENEOSから国道5号へ出た後、「セイコーマート 今金店」の隣にあるお寺でお参りしました。
今金町今金の道中。
「今金町神丘」の道中にある民家に住むお婆さんから缶ジュースを頂きました。
差し入れありがとね。
神丘の道中は殆ど畑と田んぼばかりが続く長い道のりです。
道中から見えた景色。
しばらく道なりに歩いて行くと、「せたな町東丹羽」にやって来ました。
丹羽の道中。
道中の「大津牧場 ミルク茶房 ひそっぷ」付近で見かけた二匹のヤギ。
「玉川公園」付近の道中。
牛も見かけた。
アイヌ達はこの川を、「チョポシナイ(魚の沢山獲れる川)」と呼んでいたそうです。
「北海道久遠郡せたな町北檜山区西丹羽」の道中。
国道沿いにある「荷卸の松」。
因みに説明文には、
この木は、樹齢270年と推定されている「イチイ」です。別名「オンコ」とも呼ばれ、北海道に生育する代表的な針葉樹の一つです。
明治25年、元会津藩士であった「丹羽 五郎」氏が開拓移民の一行とともに、この地に足を踏み入れ、大傘のようなイチイがあり、この木の下に荷物を降ろしたのが「荷卸の松」と呼ばれる由来とされています。
と大体書かれている。
ここ↑で一休みした。
「せたな町北檜山」の道中を道なりに行くと、「㈱内田建設」付近のY字路を右へ進みました。
「せたな町役場」。
せたな町役場前から「こさき食料品店」がある場所へ向かって行きました。
日帰り温泉出来る「温泉ホテル きたひやま」。
食料店へ行く途中で2016年9月11日にお世話になった遠藤さんへ挨拶する為に、「石の家」にやって来ました。
家の家の前。
家の家の内部。
久しぶりに遠藤さんに会ってお喋りしながら、焼いたラム肉を一緒に食べました。
「縁」に「導」かれて「えんどう」と読む。
面白い発想したティッシュ箱。
何となく欲しいと思ってしまった(笑)
7/11日は、石の家の中で過ごしています。
以上
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