今日は以前ブログに書いた
虎柄の子猫を離れの家で飼うことになった件の続きです。

猫は令和にちなんでレワちゃんと呼ぶことにしました。
その数週間後にご近所さんからこんな話を聞きました。
虎柄の子猫が大通りでひかれていたので土に埋めてあげたら
狐が掘り返して持って行ってしまった。
と。
虎柄の子猫!
えーーー!
と驚きましたが、最近みなかったしたなー、キツネ見たしなー!そう言うことだったのかー!と
現実を100%受け止める事にしました。
少しの期間だったけど、ミラクルを体験させてくれてありがとうねと心の中で感謝の気持ちも送りました。
その時自分の中で壮絶な死別の悲しみのプログラムは終わっていると感じられて…
それは
そこに対して引きずるものが無かった自分がいて、
感謝で終わりにできた自分がいたからでした。
それから数週間後の今日、キウイの棚の様子を離れの家に見に行きました。

花が咲き始めていて今年も沢山収穫できそうでした。
レワちゃんがよく遊んでいた庭だったのですがもう居ないものだと思って
キウイの雄花と雌花の様子に真剣になっていたら…
・・・

レワちゃん??
すかさず餌をあげてみる
やっぱりレワちゃんだ!
きゃー😃💕
レワちゃん生きてるじゃーん!
やっぱり本当に壮絶な死別の悲しみのプログラムは終わっていたのでした。
レワちゃん死亡説は誤報だったとしても
この事(感情が湧かない動揺して取り乱したりすることのない私)を体験出来たことが豊かだなと思いました。
最近は、思考を使わせないレッスンが起きていて
逆に、思考がわいてきて対象物になんやかんやいいたくなるときは間違いなく傷から話しているし、
傷が消えると
何も抵抗するものはなく
ただ待つことが出来、
人に何かを言い返したり
後悔したり、罪悪に苛まれたりする言葉は出てこなくなるのを実感していました。
(言葉が強く出たときは、ただ自分の傷を認めれば良いだけ。出てくることが悪いことではありません。)
傷が消えると、思考が消えて
サイレントな状態になります。
悟りの世界で言うとそれを「空」と呼ぶのかもしれませんね。
そしてそこから新しい現実が始まるのです。