6月に入りました。株式会社はこの亀谷です。

今日は、不安・恐怖・安心・希望・期待の関係性について考えてみたいと思います。

 

 

将来への不安って、誰にでもあると思います。
仕事のこと。お金のこと。健康のこと。人間関係のこと。

 

今すぐ何かが起きているわけではないけれど、なんとなく落ち着かない。なんとなく悪い方向に進みそうな気がする。そういう感覚は、多くの人にあるのではないでしょうか。

ただ、私たちは「不安だな」と感じることはあっても、その不安が何から生まれているのかを具体的に考えることは、意外と少ない気がします。

 

不安を消すためには、根性で前向きになるだけでは難しい。

 

まずは、不安という感情の正体を知り、それに対応していく必要があります。この記事が、自分の中にある不安

と少し向き合うきっかけになれば嬉しいです。

不安とか安心とかって、どういう状態なのか?

不安とか安心って、そもそもどういう状態なのでしょうか。

普通は「なんとなく不安」という言い方をすることが多いと思います。


この「なんとなく」というのが、実は不安の特徴です。

不安とは、未来がはっきり見えないことに対する感覚です。
 

何が起きるか分からない。悪くなるかもしれない。でも、何が悪くなるのかはまだ明確ではない。だから、不安があること自体は、ある意味ではかなり普通の状態だと思います。

未来は誰にも分からない。
分からないから、不安になる。
では、この不安はどのように変わっていくのか。

 

私の中では、次のような流れで整理できると思っています。

 

不安 → 恐怖 → 安心 → 希望 → 期待

 

 

それぞれを言葉にすると、こうなります。

不安:何が起きるか分からない。悪くなるかもしれない。

恐怖:怖い対象が明確になる。

安心:対象は怖いが、対処できそうだ。壊滅的ではなさそうだと思える。

希望:そこから良くなる可能性が見える。

期待:良くなる可能性が、具体的な結果や出来事として見えてくる。

この流れで考えると、恐怖の直後に来るポジティブ側の感情は「希望」ではなく、まずは「安心」です。

怖いものが消えたわけではない。
でも、対処できそうだと思える。

 

そうすると、ここで少し呼吸ができるようになります。

 

そして、その先に「もしかしたら良くなるかもしれない」という希望が生まれます。さらに、その希望が具体的な行動や結果に近づくと、期待に変わっていくのです。

 

たとえば、お金の不安で考えると分かりやすいかもしれません。

 

なんとなく将来のお金が不安

老後資金が足りないかもしれない、という恐怖が見える

でも、今の収支と積立額を見れば、何とか届きそうだと分かる

このまま続ければ、将来の選択肢は増えるかもしれないと思える

来年にはここまで資産が増えていそうだ、という具体的な期待になる

 

という感じです。つまり、こう整理すると分かりやすい。

 

不安の反対側にあるのが希望。恐怖の反対側にあるのが安心。

 希望が具体的な対象を持つと期待になる。

 

もう少し言語化すると、

 

不安は、正体が見えない怖さ。
恐怖は、正体が見えた怖さ。
安心は、その正体に対処できると思えた状態。
希望は、その先に良くなる可能性を見られた状態。
期待は、その可能性が具体的な結果として見えてきた状態。

 

になります。

画像
 

不安を乗り越える方法とは?

では、不安を乗り越えるにはどうすればいいのか。

結局のところ、ぼんやりした未来を、できるだけ具体的に見にいくしかありません。

 

ただし、このとき少し嫌なことが起きます。不安を具体的に見ようとすると、一度、不安が恐怖に変わる瞬間があります。

これは避けられないと思います。

 

なんとなく不安だったものの正体が見える。
すると、「これが怖かったのか」と分かる。
その瞬間は、少し怖い。

でも、そこを通らないと、不安はずっと不安のまま残ります。

 

いくつか例を挙げてみます。

画像
 

体調不良の場合

なんとなく体がだるい。頭も痛い。原因が分からない。「ただの疲れかな。でも何か悪い病気だったら嫌だな」と思う。

この状態は不安です。

 

そこから病院に行き、検査を受けて、医師から「再検査が必要です」と言われる。この瞬間、不安は恐怖に変わります。

なぜなら、ぼんやりした体調不良が、「病気かもしれない」という明確な対象を持つからです。ただ、ここで終わりではありません。

病気の可能性が分かれば、次に何を調べるべきか、どんな治療があるのか、生活の何を変えるべきかが見えてきます。怖いけれど、対処の道筋が見えてくる。

そこに安心が生まれます。

画像
 

仕事の評価の場合

最近、上司の反応が薄い。会議でもあまり意見を求められない。「自分の評価が下がっているのかな」となんとなく不安になる。

この状態では、まだ正体が見えていません。

 

でも面談で「今期の成果については、少し厳しく見ている」と言われる。
この瞬間、ただの気のせいではなく、評価が下がる可能性が明確になります。

不安だったものが、評価・給料・立場への恐怖に変わる。

でも、ここでも同じです。何が足りなかったのかが分かれば、改善できる可能性があります。

数字なのか、行動量なのか、報告なのか、期待値のズレなのか。
怖い指摘でも、具体が見えれば次の行動が決められます。

画像
 

人間関係の場合

友人や恋人、仕事相手からの返信が遅い。
なんとなく距離を感じる。
「何か悪いことをしたかな」と思う。

この状態は不安です。

そこに相手から「この前の件で少し話したい」と言われる。この瞬間、不安は恐怖に変わります。

ただの返信遅れではなく、関係性が悪くなっているかもしれない対象が見えるからです。

相手に嫌われたかもしれない。信頼を失ったかもしれない。何か不満を持たれているのかもしれない。そう思うと怖い。

でも、相手の不満や違和感が分かれば、改善すべき方向も見えます。謝るのか、説明するのか、距離を置くのか、関係を作り直すのか。

正体が見えるということは、次の選択肢が見えるということでもあります。

画像
 

不安は、具体にしないと扱えない

不安を解消する方法は整理すると、こうです。

画像
 

不安は、正体が見えないから苦しい。
恐怖は、正体が見えたから怖い。

ただし、恐怖に変わることは悪いことだけではありません。

正体が見えるということは、対処できる可能性が生まれるということでもあります。

体調不良であれば、原因が分かれば治療の方法が分かる。仕事の評価であれば、何が足りないのかを知ることで、次に伸ばすべき部分が分かる。人間関係であれば、相手の不満を知ることで、関係を改善する方向性が見える。

もちろん、すべてが簡単に解決するわけではありません。
具体になったからこそ、苦しい現実を見ることもあります。

 

でも、ぼんやりした不安のまま抱え続けるよりは、具体的な恐怖に変えた方が、まだ扱いやすい。不安を解消するためには、その不安を直視し、そこにある具体を探り当てるしかありません。

そして、正しく恐れる。正しく恐れることができれば、次の行動が決められます。

次の行動が決まると、少し安心できる。
安心が生まれると、その先に希望が見えてくる。
希望が具体的になると、期待に変わっていく。

不安は、ただ消すものではないのだと思います。不安は、具体に落として、行動に変えるものです。

変化が多い世の中で、不安に駆られる日もあると思います。そんなときは、まず自分に聞いてみるといいかもしれません。

自分は、何に対して不安を感じているのか。
それは、まだ正体が見えていないだけなのか。
正体が見えたとして、自分にできることは何なのか。

 

不安を無理に前向きな言葉で上書きする必要はありません。

ただ、少しだけ具体にしてみる。

小さくてもいいから、次の行動を決めてみる。

それだけで、不安は少しずつ扱えるものに変わっていくのだと思います。
 

それでは、今週もお疲れ様でした。来週も粛々と頑張っていきましょう。

 

株式会社はこの亀谷です。

2026年も半期が終わりに近づき、評価面談のシーズンとなり、これからの会社の意味について考える時間が増えました。

2026年上期は本当にAIによって作業の在り方が大きく変わった半年だったと思います。

文章を書く。資料を作る。画像を作る。情報を整理する。数字をまとめる。簡単な仕組みを作る。少し前なら自分ひとりでは出来なかったことが、今では一人でも短時間でかなりのところまでできるようになってきました。

もちろん、まだ粗い部分はあるので、本質的な質を考えると、そのまま仕事として出せるかというと、そう簡単ではありません。

ただ、それでも確実に言えるのは「作業そのものの価値は日々下がっている」ということです。

最近はAIの変化が大きいので、AI文脈で話されることが多いですが、これはAIだけの話ではありません。

商品もサービスも、どんどんコモディティ化しています。機能だけを見れば、似たようなものが増えていき、価格も比較され、スピードも速くなり、便利なものはすぐに真似される。

そうなると、会社は何を売っているのか。そして、今後、会社である意味はどこに残るのか。そこをきちんと考えないといけない段階に来ています。

今日はそんな頭の中を少し整理しておきます。



作業を集める会社の価値は下がっていく


これまでの会社には、人を集めて作業量を確保する意味がありました。

一人ではできない量の仕事を、複数人で分担する。

作業を管理する。
進捗を確認する。
品質をチェックする。
納期に間に合わせる。

ワークフローを組むことにより、アイデア・作業の質・量・スピードを担保するために組織は作り上げられていました。

しかし、今AIによって作業の一部が置き換わっていき、手順化された作業や、判断を伴わない作業自体の価値はどんどん下がっていっています。

作業が減れば、作業をする人が減り、作業を管理する人も今ほど多くはいらなくなります。確認する人も、評価する人も、これまでと同じ形では必要なくなるかもしれません。

では、人の価値が下がるのか?

私はここはそうではない(そうではいけない)と思っています。

むしろ逆で、人の価値はより問われるようになる。ただし、問われる価値の種類が変わる。

作業ができるかではなく、何を判断できるのか。
早く処理できるかではなく、何に責任を持てるのか。

アウトプットを出せるかではなく、それが誰の現実を前に進めるのかを考えられるか。そこを価値として問われるようになってくるはずです。


AIは作業を楽にするが、人を甘やかすものではない


AIを会社に導入するということは、コストが増えるということでもあります。

これからは定額で使える量も制限がかかり、従量による課金が増えれば、それを使う人の質も問われ始めます。

AIは無料の魔法ではありません。人件費に近い形で、組織のコストとして乗ってきます。

その分、会社全体としては、今の組織を維持した場合、今まで以上の価値を出さなければいけません。

同じ人数がいて、AIのコストが乗って、それでも売上も粗利も品質もスピードも変わらないのであれば、それは進化ではなく、ただのコスト増です。

だからAIは、人を楽にする道具ではありますが、人を甘やかすものではない。むしろ、AIと共創した先の評価を問われるようになるため、評価は厳しくなるはずです。

今まで通じていた

「時間がありませんでした」
「調べられませんでした」
「形にできませんでした」

こういう言い訳は、少しずつ通用しにくくなります。

AIがある以上、一定のところまで形にすることは前提になっていく。その代わりに問われるのは、AIを使って何を前に進めてどんな価値を出せるのかです。

余った時間で何を見たのか。
どんな仮説を立てたのか。
誰に向き合ったのか。
どの判断を自分が引き受けたのか。

作業の評価から、責任の評価へ。会社、そして組織という人の集合体はそこに向かっていくのだと思います。

さらに会社は機能だけでは選ばれにくくなる


もう一つ大きいのは、世の中に出すサービスの質そのものも変わっていくということです。

商品もサービスも、機能だけでは差がつきにくくなっています。

もちろん、品質は大事です。品質が低くても物語があれば売れる、という話ではありません。

でも、一定以上の品質が当たり前になったとき、最後に選ばれる理由は機能だけではなくなります。

この会社は何を大切にしているのか。
どんな顧客に向き合っているのか。
うまくいかない時に、どこまで責任を持つのか。
こちらの事情を理解してくれるのか。
一緒に働くことで、自分たちの判断の質が上がるのか。

法人同士の取引であっても、こういう問いが重くなっていくと思います。

何を使うか。
どのサービスを導入するか。
どの会社に依頼するか。

一見すると、これは機能や価格の比較に見えます。

でも実際には、もっと深いところで、「誰と働くか」「誰にお金を払うか」を選ぶことに意味が出てきます。

AIによって機能が均質化し、商品やサービスがコモディティ化していくほど、この傾向は強くなるはずです。


ナラティブは飾りではなく、責任の説明である


最近は、ナラティブという言葉もよく使われます。商品やサービスに物語が必要だと言われることも増えました。

ただ、ここで注意しなければいけないのは、ナラティブは単なる飾りではないということです。

それっぽい言葉を並べることではない。
きれいな世界観を作ることでもない。
都合の良いストーリーで価値を高く見せることでもない。

本来のナラティブとは、

なぜそれをやるのか。
誰に向き合うのか。
何を大切にするのか。
どこまで責任を持つのか。

それを、現実と接続して語ることだと思います。もしくは実績で語ることだと思います。

品質がないナラティブは、ただの広告です。
思想がないナラティブは、ただの装飾です。
責任がないナラティブは、ただの都合の良い話です。

だから、これからの会社に必要なのは、派手な物語ではなく、実体のある文脈になります。

自分たちは何を積み重ねてきたのか。
どんな失敗をしてきたのか。
どんな顧客に向き合ってきたのか。
何をやらないと決めているのか。
どこに責任を持つ会社なのか。

そこが見えない会社は、機能比較の中に埋もれていくのだと思います。

会社は信用を個人に貸し出す装置でもある


個人でできることは、これからさらに増えていきます。
一人で企画し、一人で作り、一人で発信し、一人で売る。
そういうことが、以前よりずっとやりやすくなっています。

では、会社は不要になるのか?
私は、そうは思いません。

むしろ、個人でできることが増えるほど、会社にしかできないことが浮き彫りになると思っています。

その一つが、信用の造成です。

個人は、自分の実績で信用されます。ただ信用は一朝一夕ではできません。また個人の信用は個人で維持しなければいけません。

でも会社は、まだ実績の少ない人にも信用を前払いできます。

この会社の人なら大丈夫だろう。
この会社が責任を持つなら任せてみよう。
この会社が育てている人なら、可能性があるだろう。

そうやって、会社は個人に信用を貸し出すことができる。

これは、とても大きな意味があります。

若い人がいきなり社会の中で大きな責任を持つのは難しい。でも、会社という器があるから、顧客と向き合う機会を得られる。

失敗しても、誰かが支える。
足りない部分を、チームが補う。
個人では背負いきれない責任を、会社として引き受ける。

会社は、単に人を使う場所ではありません。人が社会と接続するための信用を貸出し、みんなで新しい信頼関係をつくる場所でなくてはならないのだと思います。

これからの会社は、作業ではなく責任で選ばれる。


だから、これからの会社は作業を売る場所ではなくなっていくはずです。

作業はAIでもできる。
機能は似てくる。
情報はすぐに手に入る。
それっぽいアウトプットも、誰でも作れるようになる。

その中で会社に求められるのは、信用と責任です。

この会社は逃げないのか。
この会社は本当に考えてくれるのか。
この会社は都合の良いことだけでなく、必要なことを言ってくれるのか。
この会社と働くことで、自分たちの未来は少し良くなるのか。

そこに応えられる会社だけが、選ばれるようになる。

これからの時代、とうぶんはAI使って営業をやって、適当なものを口八丁手八丁で売る会社が一時的に多く出てくるでしょう。

しかし、今までもですが、これからも、会社が売るべきものは、作業ではありません。信用であり、責任であり、文脈であり、関係性です。

もちろん、作業がなくなるわけではありません。実務は大事です。

手を動かすことも、現場を見ることも、細かいところまで詰めることも必要です。ただ、その作業は、信用と責任に支えられていなければいけない。

短期ではなく、長期的に伴走することにより、AIでは分からないその会社の文化を理解し、伴走できるパートナーを目指さなければいけない。

作業だけを売る会社は、安く買われ、信用と責任を持つ会社は、長く選ばれる。

この差は、これからさらに大きくなると思いますし、より時間をかけて大切にしないといけない価値観になると思います。

はこは、責任を引き受けながら信用を積み上げていく。


AIの進化は止まりません。

個人でできることは増える。
作業の価値は下がる。
商品もサービスも似てくる。
機能だけでは選ばれにくくなる。

だからこそ、会社は自分たちの意味を再設計しなければいけない。

人を集めて作業する場所なのか。
顧客の現実に責任を持つ場所なのか。
この違いは大きいです。

私は、これからの会社は、信用を蓄積し、責任を引き受け、人の可能性を社会に接続する場所になっていくべきだと思っています。

そのためには、一緒に働く人にも変わってもらわなければいけません。

会社も変わらなければいけない。
働く人も変わらないといけない。

そして評価も変わらなければいけない。

AIを使えるかどうかではなく、AIを使って何に責任を持つのか。作業をこなすかどうかではなく、誰の現実を前に進めるのか。

このタイミングでは、会社にいる意味を、会社任せにするのではなく、一人ひとりが考えなければいけないとも言えます。

会社は、作業を売る場所から、信用と責任を売る場所へ変わっていきます。そしてそこで生まれた価値を誠実に投資・再分配に当てることを求められると思っています。

その変化に向き合えるかどうかが、これからの組織の強さを決めていくはずです。

そういう意味では、はこは会社の目指す方向性を言語化しながらも、お客様からの目標を達成し、働く仲間の価値をより高められる、そんな場所に向かって、やるべきことを粛々と進めていこうと思います。

短期的な変化に目線を奪われるのではなく、長期的な信用を積み上げるために、まだまだやるべきことは多いです。

会社の意味を考え直しながら、はこという場所を、信用と責任を積み上げられる組織にしていきたいと思います。

それでは皆様、良い週末を。



 

今週は徳島まで出張で行ってきました。株式会社はこの亀谷です。

 

出張というと、移動が大変とか、時間がとられるとか、コストがかかるとか、そういう見方もあると思います。

でも私は、仕事で知らない土地に行くことが大好きです。

 

今日はそんな流れで、仕事が広げてくれる可能性について書いてみようと思います。

仕事が楽しい理由は未知に出会えるから

私がマーケティングの仕事をしていて楽しいのは、多くの未知と出会えることです。

 

自分の知らない業界を知る

自分の知らない人と話す

自分の知らない土地に行く

自分の知らない技術に触れる

 

仕事の良いところは、自分ひとりの興味やお金や行動範囲だけでは行かなかった場所に、意味を持って連れて行ってくれるところにあります。

 

私自身、仕事のおかげで日本は福井県にいけば47都道府県制覇です。海外もアジアを中心に多くの国に行くことができました。

意志が弱くても、意味があれば動ける

私は、自分自身にあまり意志があるタイプではありません。

 

何かをやりたいから、ひたすら自分で勉強する。行きたい場所を決めて、旅行計画を立てる。そういうことが、実はあまり得意ではありません。

 

でも、自分にとって意味があると思えると動けます。

 

そんな私にとって、仕事は、生活をする上でやらなければいけないものですが、それだけではありません。

 

自分では思いつかなかった意味を、人生に提案してくれるものでもあると思っています。

仕事の勉強は価値に変わる

学校の勉強は意味が分からないと苦しいものです。

 

でも仕事の勉強は意味が見えやすい分、楽しい。

 

調べたことが提案になりますし、読んだ本が会話になりますし、現地で見たことが判断材料に繋がります。

 

勉強そのものが好きな人は、実はそれほど多くないと思います。

 

だからこそ、仕事を通じて得た知識は、自分だけではなく、そのまま誰かの役に立つ可能性を持ちます。

 

本を読み、情報を集め、現場を見て、そこで必要とされているものを見つける。

 

それを使って誰かの役に立った瞬間、勉強はただの知識ではなく、価値に変わります。

移動は世の中の解像度を上げる

その中でも特に大きいのは「移動」です。

 

私自身、仕事を通じてでなければ行かなかったと思える場所が多くあります。

 

訪問することで初めて得られる、その土地の駅の空気感。街の距離感。人の話し方。車の流れ。お店の雰囲気。

 

移動して現地に行き、リアルを知ることで、仕事だけではなく、人として世の中の解像度が圧倒的に上がります。

 

知識として知っていることと、実際に現地に行って感じたことは違います。

 

だから私は、知識だけで知ったかぶりをするのではなく、できるだけ現地に行くことを大切にしています。

仕事の自由は、責任と一緒に勝ち取る

最近の仕事の仕方を見ていると、仕事を「時間をとられるもの」「疲れるもの」「お金を稼ぐために我慢するもの」として見ている人も多くいるように感じます。

 

もちろん、そういう側面はあります。

 

仕事は楽しい事ばかりではないし、理不尽なこともあるのは当然です。

 

ただ、それだけで仕事を見てしまうと、少しもったいないと思います。

仕事は、自分の世界を広げるためのかなり強い仕組みでもあるからです。

 

ここまで書くと、

そんなに自由に働かせてもらえない。。。

そんな声も聞こえてきます。

 

しかし、大前提として、仕事の自由は誰しもに最初から与えられるものではありません。

 

責任を引き受け、自分のルールで働ける状態を、自分で勝ち取る必要があります。

 

仕事の目標は、シンプルに言えば、世の中に価値を生み出し、契約上の目標を達成することです。

 

そこに向き合い、責任を果たせるようになるほど、仕事の自由は上がっていきます。

 

だからこそ、仕事の自由は選び、勝ち取る価値があるものだと思います。

仕事を消耗だけで終わらせない

自分の意志だけでは、行かなかった場所がある。

自分の興味だけでは、出会わなかった人がいる。

自分の好奇心だけでは、学ばなかった業界がある。

 

でも、仕事があることで、そこに意味が生まれる。意味があるから移動できる。移動するから、より自分自身の世界の解像度が上がる。

 

仕事とは、自分の時間を差し出すものではあります。

でも同時に、自分ひとりでは見られなかった世界を見せてくれるものでもあるのです。

 

そういう意味では、これからの時間が長い若い人こそ、仕事をただの消耗戦と考えるだけではなく、自分の世界を広げる機会として見てほしいなぁと思います。

 

仕事を適当に片づけて自分の世界を楽しむもひとつですが、自分の時間も仕事の時間も楽しんだ方が、自分の可能性をより広げることができます。

 

仕事をただの義務として考えるよりも、こういう視点で仕事を捉えてみるのは、結構オススメですよ。

 

それでは、今週もお疲れ様でした。来週も頑張りましょう!

GWも明けましたね。株式会社はこの亀谷です。

最近、朝起きてSUNOで1曲作って、その曲を聞きながら出社する、という生活を始めてみました。

自分で作っているからかもしれませんが、毎回「良い曲だなぁ」と思いながら通勤しています。

少し前なら、作曲は自分とは遠い場所にあるものでした。曲は作れない。楽器も弾けない。理論もわからない。それでも今は、テキストを入力すれば、それっぽい曲ができてしまう。

本職の人から見れば粗いところは多いと思います。それでも、にわかでも触れる領域がここまで広がっていること自体は、面白い変化です。

音楽だけじゃない。動画も、画像も、資料も、アプリのようなものも、業務の仕組みも、以前よりずっと小さく試せる。やれることが、増えています。

ただ最近、それを使えば使うほど、寝る前にどっと疲れが襲ってきます。今日はその話です。

頭は拡張される。でも、身体は拡張されない

AIは、人間の頭をかなり拡張してくれます。

調べる。整理する。文章にする。構造化する。別案を出す。自分では見えていなかった論点を返してくれる。数時間かかっていたことが、数分で進む。ぼんやりしていたものに、輪郭が与えられる。

これは本当にすごいことです。

ただ、使い込むほどに気づくことがあります。
AIは頭を拡張するが、身体は拡張してくれない。ということです。

考えられる量は増える。選択肢も増える。作れるものも増える。試せることも増える。

でも、それを使って何かをする自分は1人しかいません。最後は、自分の時間と身体とエネルギーにかかっています。判断する集中力も、感情の余裕も、1日の時間も、増えるわけではありません。

それなのに頭の中だけが情報とやりたいことで膨張していき、現実の身体はそのまま残されている。

この非対称が、いわゆる最近の「AI疲れ」の正体かなぁと思っています。

楽しいからこそ、やり過ぎる

AI疲れというと「情報が多すぎて疲れる」話に聞こえます。もちろんそれもあるのですが、私の実感はもう少し違います。

怖いのは、楽しいからこそ、やり過ぎることです。

できなかったことができる。すぐに形になる。反応が返ってくる。また改善したくなる。もう少し試したくなる。

起きている時はもちろんですが、寝る時間まで削ってやってしまう。しかもプライベートだけではなく、仕事にも関わってくるので、仕事のようで遊んでいるようで、遊んでいるようで仕事にもなっている。だから止めどころが難しい。

そして、これも出来るならあれもと頭の中には次々にやりたいことが増えていきます。

「この仕組みも作りたい」「この投稿も直したい」「この資料も作り直したい」「この業務も改善したい」「このアイデアも試したい」――。

でも、現実に動かすには、結局自分の時間と身体を使うしかありません。

AIが文章を作っても、公開するか決めるのは自分。 AIが企画を出しても、実行するのは自分。 AIが選択肢を出しても、何をやらないかを決めるのは自分。

AIで大量生産したものをただ出すというのには抵抗があるので、そこまで考えていると、AIで楽になるはずが、むしろ疲れていくんです。

AIヴァンパイアという感覚

最近、「AIヴァンパイア」という言葉を目にすることがあります。

AIで生産性が上がる。より多くのものが作れる。より早く仕事が進む。一見、人間は楽になる。

でも実際には、増えた生産性の分だけ、さらに多くの仕事が流れ込んでくる。

「AIで早くできるなら、もっとやれるはず」 「AIで作れるなら、もっと案を出せるはず」 「AIで整理できるなら、もっと判断できるはず」

そうやって、人間の側に残っている集中力、判断力、責任感、体力が吸い上げられていきます。

これは会社や社会の構造としても起こっています。でも、もっと厄介なのは、自分の中でも同じことが起こることです。

「もっとできるはず」「せっかくできるなら試したい」「ここまで来たなら、もう少し進めたい」。

外から吸われているのではなく、自分で自分のエネルギーを吸い上げてしまう。楽しいはずなのに、なぜか疲れている。 自由になったはずなのに、なぜか追われている。 できることは増えたはずなのに、なぜか余裕がない。

AIそのものが怖いというより、AIによって広がった可能性を楽しんで追っているようで、気づくと自分で自分を消耗してしまっている

そんな感じでしょうか。

頭の中だけがMatrix化していく

映画『マトリックス』では、人間は仮想世界の中で普通に生きているつもりになっていましたが、実際には、機械にとって効率的なリソースとして使われていた。という話がありました。

現実がそのまま映画になるとは思っていませんが、あの世界観は今のAI時代にも繋がる示唆があります。

AIを使っているつもりが、AIによって増えた作業量を処理する存在になる。 考えているつもりが、AIが出した選択肢をさばくだけになる。 判断しているつもりが、流れてくる情報に反応しているだけになる。人は食べて寝れば、また明日も動ける。だからこそ、自分のエネルギーを差し出し続ける構造に、知らず知らずはまっていく。

可能性の世界は広がる。いくらでも別案は出る。いくらでも未来は語れる。いくらでも作った気になれる

でも、現実は動いていない。
これは、かなり危ない状態だと思います。

最後に必要なのは自分のエネルギー

AI時代に最後に必要なのは、結局エネルギーなのだと思います。
気合いのことではありません。

身体の余力、感情の安定、集中力、現実を見る力、決める力、続ける力、責任を引き受ける力。人間が現実に接続するための土台としてのエネルギーです。

知識や情報処理の価値は、これからますますAI側に寄っていくでしょう。それでも、現実を前に進めるには、最後に人が動かないといけない。

問いを立てる。違和感を拾う。現場を見る。数字に触る。人と話す。決める。やる。やり直す。粛々と続ける。

ここは、AIに渡しきってはいけない。
AIは頭を拡張する。だからこそ、身体と現実を手放してはいけない。

情報量は増え、便利になる時代だからこそ、自分が何を考え、何にエネルギーを使うのかの配分を、より意識しなければならない時代になってきます
やれることが増えた時代だからこそ、全部やろうとしない。

何をやるのか。何をやらないのか。何に自分の身体を使うのか。 こうした、人が生きていく上で当たり前の問いに、自分の言葉で答えられること。それがこれからのAI活用において、たぶん一番大切になっていくのだと思います。

方向性を決めて、自分のやりたいことを粛々と前に進めていきましょう。それでは、今週もお疲れ様でした!

GWも後半戦ですね。はこの亀谷です。

最近は、AIで自動化だ、AIで効率化だと、ずいぶん騒がしい世の中になってきました。

もちろん、自動化も効率化も悪いことではありません。
これまで人が時間をかけてやっていた仕事が、AIによって短い時間でできるようになる。これは間違いなく大きな変化です。

ただ、最近よく考えるのは、そもそも自動化や効率化を進めて、組織は何を目指すのか?ということです。

販管費を削減すること。
利益率を上げること。
少ない人数で多くの仕事を回すこと。

それだけのために、組織ってあるのでしょうか?

特にマーケティングの仕事は、人にかかる費用の比率が高い領域です。AIによる自動化や効率化の影響は、これから大きく受けると思います。

マーケティング会社という形も変わる。
それ以上に、組織運営そのものの形が変わる。

だからこそ、今は根本的な問題と向き合わないといけない時期なのだと思っています。

今日はそんな悩みを、少し棚卸しして整理する回です。

AIで仕事は楽になる。

AIと一緒に働くことで、仕事は確実に楽になります。

資料をまとめる。
文章を書く。
情報を整理する。
簡単な実装をする。

これまで人が行い、時間がかかっていたことが、AIと一緒に働くことで、かなり短い時間でできるようになってきました。この変化自体は、とても良いことです。

ただ、ここで分けて考えないといけないことがあります。

それは、仕事が楽になることと、人や組織が強くなることは、分けて考えないといけない。ということです。

むしろ、仕事が楽になるほど、人も組織も弱くなる危険があります。

何かをやめたら、次に何を始めるのか?
何かを減らすなら、その分どこに負荷をかけるのか?

そこまで考えておかないと、効率化したつもりで、気づくと組織の力そのものを削ってしまう可能性があります。

強くなるには、一度増やす必要がある。

仕事も筋トレも似たところがあると思っています。

身体を作るときには、まず増やす時期があります。
その上で、余分なものを絞っていく。

最初から絞ることだけを考えていては、強い身体になりません。

これは組織も同じです。

最初から効率化だけを考えていては、筋肉質な組織にはならない。

まずは、AIに仕事を任せながら、組織が扱える現実の範囲を増やす。

出来ることの幅を広げる。
顧客を見る。数字を見る。現場を見る。仕組みを見る。人の感情を見る。未来の変化を見る。

その中で、現実を見ることで生まれる思考の負荷を受け取る。

その上で、不要なものを判断し、削り、仕組みに置き換えていく。

増やしてから絞る。

この順番を経るから、組織は強くなります。

AIによって作業が減るのであれば、その空いた時間で、AIとの関係性を理解し、人がやるべき現実を見る時間を増やさないといけない。

楽になるために努力し、楽になった分を強くなるための余力に回す。

その責任をメンバー全員が理解し、負える。そこを設計することが、これからの組織運営では重要になってくると思います。

AI時代に残るのは「観測」と「判断」

AI時代に人に残されるのは、突き詰めると「観測」と「判断」だと思っています。

AIは一瞬で情報を整理します。
文章も画像もプログラムも作ります。
選択肢も出します。
過去のデータからパターンを見つけることも得意です。

でも、現実は一瞬では理解できません。

顧客も、市場も、組織も、自分自身も、時間とともに現実は少しずつ変わっていきます。その変化をAIだけでは見抜けません。この変化を見つけることこそが、現実を生きている人の役割です。

デジタルな世界で生きるAIとリアルな世界とのコネクターが人になる。

だから、これから重要になるのは、AIに作業を任せることではありません。

AIと一緒に現実を見る力。
観測し、仮説を立て、判断し、また現実に戻す力。

ここが人と組織の価値になっていくのだと思います。

人も組織も、楽になるほど弱くなる危険がある

一方で、AIが便利になるほど、人が雑になる危険があります。

これは既に起きている問題だと思います。

AIが返した文章を読まない。
前提を確認しない。
分かった気になって先に進む。
できた気になるが、評価できない。

これは個人だけの問題ではありません。
組織にも広がっていきます。

AIによって出力の量は増える。
でも、その出力を読む力、判断する力、実装する力が弱ければ組織としての価値は上がりません。

むしろ、見た目だけ仕事が進んでいるように見えて、現実との接続が弱くなる可能性すらあります。

だからAI時代の組織づくりは、「AIを導入すること」では終わりません。

AIによって増えた出力を、人間がどう読み、どう判断し、どう実装するかが問われるということを、全員が理解している状態を作らなければいけないのだと思います。

組織の価値は、現実の見方を増やすことにある。

AIでエージェントを組織し、価値の最大化を目指す時代になれば、人の集団である組織の必要性は、今まで以上に問われていくと思います。

一人でできることは増える。
外部の力も借りやすくなる。
AIに任せられる仕事も増えていく。

それでも、経営者として考えると、ここで組織の価値を出せるかどうかが、次の勝負のポイントになると感じています。

一人の人間が見ている現実には限界があります。

顧客を見ている人。
数字を見ている人。
現場を見ている人。
仕組みを見ている人。
人の感情を見ている人。
未来の変化を見ている人。

それぞれが違う現実を見ているから、組織には意味があります。

AI時代の組織に必要なのは、同じ作業を分担することではありません。

それぞれが見ている現実を持ち寄り、AIも使いながら、より良い判断に変えていくこと。そこに、これからの組織の価値があるのだと思います。

そして、その中で大切なのは、すべてを最初から正解にしようとしないことです。

誰かの観測が、別の誰かの判断を助ける。
一人では見えなかった可能性に、組織として近づいていく。

集団でいるからこそ、少し外れてもいい。
誰かが見落としても、別の誰かが気づける。

集団でいる意味は、作業を分担することだけではなく、現実の見方を増やすことにある。そう考えると、AI時代にも組織には、まだ大きな価値があります。

楽になる時代に、強い組織を作る。

会社という枠組みの意味が問い直される時代に、それでも集団でいる意味のある会社を経営する。

これが、今の私の課題であり、目標です。

お金儲けだけをやるのであれば、一人で十分かもしれません。AIを使えば、一人で出来ることもこれからさらに増えていくと思います。

しかし、一人で出来ることには限界があります。

社会の中で価値を作る。
お客様の現実を見る。
仲間の観測を持ち寄る。
それぞれの違う視点を、より良い判断に変える。

そこに、組織である意味を持たせたい。

AIで楽になる時代だからこそ、ただ楽になるのではなく、強くなる方向に進む。そしてみんなでいる意味を見出していく。

GW明けも、また粛々と前に進もうと思います。
皆様、良い連休を!