6月と言えばJune Bride。株式会社はこの亀谷です。

今週末は社内のメンバーの結婚式に参列してきました。

せっかくなので、今日は「結婚式の挨拶」について書いてみたいと思います。なんでもかんでも仕事の話に準えるのもどうかと思いますが、学びというのは常にあるものですね。

ちなみにJune Brideは、もともとヨーロッパの文化です。ローマ神話で結婚と女性の権利を守る女神「ユノー(Juno)」が6月(June)を守護していることから、この月に式を挙げると女神の加護を受けられるといわれています。

ヨーロッパの6月は天候が良く、まさに結婚式シーズン。

ところが日本の6月は梅雨です。これはおそらく、天気の悪い日本でも6月の結婚式需要を生み出すために、誰かがマーケティング戦略的に持ち込んだ文化なのではないかなぁと睨んでいます。

最近はJune Brideに憧れるという風潮も少し落ち着いてきた気がしますが、もし天気の崩れやすい6月に式を挙げるなら、和式のお庭が付いた式場がオススメです。雨が降っても、それはそれで風情が出ますよ。

……と、前段で余談をたくさん書いてしまいましたが、ここから本題です。

最近メンバーの結婚式が増え、主賓として挨拶をする機会も増えてきたので、そこでの学びを書いておきたいと思います。

結婚式の挨拶は、とにかく緊張する

結婚式の挨拶というのは、めちゃくちゃ緊張するイベントです。

 

式を挙げる本人にとっては、一生に一度の晴れ舞台。
参列されている方の大半は、こちらのことをほとんど知らない。
そして、誰も自分の話を聞きに来ているわけではない。
おまけに、普段は使わないような言葉を選ばないといけない。

 

そんな中で、自分はいったい何を話せばいいのか。
毎回、本当に悩みます。

画像
 

誰かに評価されるわけでもないし、どうせ式が終わるころには、主賓の話なんて誰も覚えていない。

 

極論を言えば、変なことさえ言わなければ感謝はされるので、ルールを守って好きに話せばいい——そう割り切ってしまえば、それまでです。

 

ですが、せっかくの機会ですから、多少は何かを残したい。そこで今日は、挨拶について考えたことを書いておきます。

結婚式の挨拶は、誰に何を伝えるとよいのか

そもそも主賓挨拶とは、どういう役割で、誰に何を伝えるべきものなのか。改めて整理してみました。

 

① 新郎・新婦・ご親族・ご列席の皆様を代表して、お祝いの言葉を述べること
② オープニングとして、新郎(または新婦)側の代表という立場から、相手サイドへその人の社会的な立ち位置を紹介すること
③ それなりに場を温めること

 

このあたりが役割なのかなぁと思っています。
だとすると、話の流れはこうなります。

  • オープニングの形式的な挨拶

  • 自分が代表する立場からの、新郎(新婦)の紹介

  • 新郎(新婦)サイドで参列してくださっている方への御礼

これらを、具体的なエピソードに軽い笑いを添えながら話していく。そんなイメージです。

 

これまで数回、主賓挨拶をやってきて反省していたのは、つい友人スピーチのように新郎・新婦へ語りかける挨拶になってしまい、周りの参列者の方への配慮が少なかったことでした。

 

そこで今回は、「参列してくださっている皆様がいるからこそ、この会が催されている」という事実にもきちんと触れられるよう、内容を調整してみました。少しは全体を巻き込む形をイメージできた気がします。

 

具体的な構成はこうです。

  • 前半は、新郎・新婦へ

  • 中盤は、参列されている皆様へ

  • 終盤は、ふたたび新郎・新婦へ

この流れを意識しておくと、実際に話すときの視線の置き方なども、少しは工夫できた気がします。

実際、今回は新婦側の主賓として、こんな流れで話しました。

  • まずは、形式的なご挨拶

  • 続いて、新婦がどういう人物なのかの紹介

  • そして、その新婦の良さは、今日参列してくださっている皆様との関わりの中で育まれ、作り上げられてきたものだ、という事実の確認

  • その上で、新郎へ向けて、これから新婦とつくっていく明るい未来の提示

  • 最後は、お二人の共通点であるミュージカルになぞらえた締め

個人的に気に入っているのは、中盤の「新婦の今の魅力は、ここにいる皆様が時間をかけて育ててきたものだ」というくだりです。

 

こう伝えることで、新婦への賛辞がそのまま参列者の皆様への御礼にもなり、会場全体を巻き込むことができた気がします。

 

そして締めを、お二人に共通する趣味であるミュージカルになぞらえたことで、堅くなりすぎず、二人らしい余韻を残して終えることができました。

画像
 

ただ、最終的には「考えてやっている」ようでは駄目

とはいえ、お祝い事です。本質的には、理屈ではなく気持ちが伝わらないといけない。

 

そう考えると、理論で話しているうちはまだ駄目で、理論で組み立てつつも、最後はそれを意識せずに自然と出せるようにならなければなりません。

 

少し前までは、内容をすべて頭に入れた上で、原稿なしで挨拶をしていました。ですが最近は、社内のメンバーが原稿を印刷してくれるようになったので、台本を見ながら話すことが増えています。

 

話すことで頭がいっぱいになるよりは、実際には読まなくとも、台本が手元にあるというだけで気持ちが楽になる。だからまずは、台本ありでスタートするのがオススメです。

 

それでも、やはり台本なしできちんとお祝いの言葉を言える人はかっこいい。そう考えると、この経験を重ねた先には、また台本なしで挨拶をするフェーズがやってくるのでしょう。

画像
 

結婚式の挨拶は、毎回緊張します。けれど、人前で話す練習としては、これ以上ない場でもあります。そして思うのは、挨拶も、人生も、結局は同じなのだろうということです。

 

一度の本番でうまくやろうとするよりも、こうした機会を一つひとつ丁寧に重ねていくことでしか、本当に自然な言葉は身につかない。華やかな晴れ舞台の裏側にあるのは、いつだって地道な積み上げです。

 

だからこそ私は、これからも代表として良い挨拶ができるよう、粛々とこの経験を重ねていきたいと思います。いつか台本なしで、心からの言葉だけで祝福を伝えられるその日まで。

 

それでは皆様、良い週末を。

画像

6月は上期の評価面談の時期ですね。株式会社はこの亀谷です。

 

普段は会社の未来を考え続けていますが、評価面談の時期は、特にそれぞれのメンバーの将来について考える時間が増えます。

 

私は生まれつき身体が悪いもので、小さいころから、自分は割と早めに死ぬんだろうな。と思って生きていました。(既にもう思っていたよりは長生きしてしまっていますが。。。)

 

社会に出る時も、人生60年くらいでちょうど良いか。と考えて、40歳まで死ぬ気で働いて、残りの時間は自由に生きようと思って設計していたのに、もう気づくと45歳。

 

ある種の目標は達成できているものの、次なる目標に向き合う日々が続いています。人生はまだまだ長いです。

そして、気づくと世の中は人生100年時代と言われるようになりました。

 

なかなか死ねない。。。

 

現状45歳の私ですら、65歳の定年まではあと20年も残っています。

 

若い人からすると、先が遠すぎて、なかなか先が具体的に読めない状況になっているのではないかと思います。

 

先が読めないと未来に自信が持てない。
自信が持てないと未来が不安になる。

 

そんな連鎖が始まります。

 

そんな状況の中、今日は、評価面談を通じて、私が若いメンバーに伝えたいと思っていることの一部を一度棚卸ししてみようと思います。

画像
 

働く期間は延びた。でも「キャリアの勝負どき」は変わっていない

人生100年時代。

 

今の若い人は、もしかすると定年も伸びて70歳くらいまで働くことになるかもしれません。そう考えると働く期間は確実に長くなっています。

 

しかし、注意しないといけないのは、「働く期間は伸びた」けど「キャリアの勝負どき」は変わっていないということです。

 

働く期間が延びたと聞くと、「じゃあキャリアづくりも、ゆっくりでいいよね」と思いたくなります。ゴールが遠くなったんだから、スタートものんびりでいいはずだと。

しかし、そこは違います。

 

残念ながら社会の構造は、まだそこまで変わっていません。

 

実際には、40代までにある程度の「経験」「信用」「役割」「専門性」を作っておかないと、その後の選択肢がなかなか広がらないのが現実です。

つまり、ゴールは遠くなったのに、前半戦の大事さは変わっていない。

 

むしろ人生が長くなったからこそ、40代以降のキャリアが長くなっている分、30代までに自分の土台を作っておく価値は、以前より上がっていると私は思います。

画像
 

若いうちの「土台」が、人生後半の自由をつくる

土台といっても、特別なことではありません。

  • 経験:場数を踏んで、できることを増やす

  • 信用:「この人に任せたい」と思ってもらえる実績

  • 専門性:「これなら任せて」と言える得意分野

こうした土台を若いうちに作っておくと、人生の後半で選べる働き方が一気に増えます。

※お金という意味では、これに投資を考えておくべきですが、今日はそこは省きます。

 

そのまま働き続けてもいいし、働き方をガラッと変えてもいい。自分の得意なことに仕事を寄せてもいいし、誰かに必要とされる形で、価値を出し続けてもいい。

 

ただ、逆に土台がないと、少ない選択肢のなかから「選ばされる」働き方になりがちです。人生が長いからこそ、前半の積み上げが、後半の自由度を決めることに向き合わないといけません。

 

また人生が長いからこそ、前半上がっておかないと、上にあがれない後半を長期間過ごさなければならなくなってしまいます。

画像
 

「働くこと」は、本当はもっとポジティブなもの

働き方改革の流れの中で、「働くこと」そのものに、少しネガティブなイメージがついてしまった気がしています。

 

「働きすぎはよくない」「仕事よりプライベート」「無理して働くのは古い」みたいな空気です。

 

もちろん、無理をして心や体を壊すような働き方は論外です。それは絶対に良くありません。

 

ただ一方で働くことには本来もっとポジティブな面があります。

 

仕事を通じて、できることが増える。
出会う人が変わる。
見える世界が広がる。
自分の知らなかった自分に気づく。

 

これって、実はすごく面白いことだと思います。

 

正直、私自身は少しブラックな価値観の中で育ってきた世代です。

 

だから、自分が「これで良かった」と思っていることを、そのまま若い人に伝えるのは難しいなと感じることもあります。

 

でも、無理をしろと言いたいわけではありません。

 

ただ、若いうちに仕事とちゃんと向き合うことには、確実に価値があります。それは会社のためだけではなく、自分の未来のためでもあります。

画像
 

若いうちの仕込みは、後からじわじわ効いてくる。

私が伝えたいのは、「とにかくたくさん働け」ということではありません。

そうではなくて、早めに自分の土台を作ることの意味に、なるべく若いうちに気づいてほしい、ということです。

特に100年生きる時代。歳を重ねた後半戦の方が思ったよりも長くなっています。

 

後半戦を自由に生きるための仕込みは、前半戦にしかできません。そして仕込みは、早く始めるほど効いてきます。

 

ここを後で気づくと結構つらい。

 

だからうるさいと思われるかもしれないけど何度でも言わせてほしいのです。

 

若いうちに、後悔しないだけの経験を積んでおいた方がいい。
できることを増やしておいた方がいい。
信用を積んでおいた方がいい。
自分の得意なことを見つけておいた方がいい。

 

直接も言うけど、ちゃんと振り返ってほしい。今日のnoteは、そんな気持ちで書いています。

 

またおじさんが説教くさいこと書いているなぁと思うかもしれません。

 

でもこれは、気づいたら良い歳になっていたおっさんからの、ささやかなエールだと思って受け取って向き合ってもらえると嬉しいです。

 

本当に後半大変なんですよ。

 

それでは、今週もお疲れ様でした。
来週も頑張りましょう!

画像

6月に入りました。株式会社はこの亀谷です。

今日は、不安・恐怖・安心・希望・期待の関係性について考えてみたいと思います。

 

 

将来への不安って、誰にでもあると思います。
仕事のこと。お金のこと。健康のこと。人間関係のこと。

 

今すぐ何かが起きているわけではないけれど、なんとなく落ち着かない。なんとなく悪い方向に進みそうな気がする。そういう感覚は、多くの人にあるのではないでしょうか。

ただ、私たちは「不安だな」と感じることはあっても、その不安が何から生まれているのかを具体的に考えることは、意外と少ない気がします。

 

不安を消すためには、根性で前向きになるだけでは難しい。

 

まずは、不安という感情の正体を知り、それに対応していく必要があります。この記事が、自分の中にある不安

と少し向き合うきっかけになれば嬉しいです。

不安とか安心とかって、どういう状態なのか?

不安とか安心って、そもそもどういう状態なのでしょうか。

普通は「なんとなく不安」という言い方をすることが多いと思います。


この「なんとなく」というのが、実は不安の特徴です。

不安とは、未来がはっきり見えないことに対する感覚です。
 

何が起きるか分からない。悪くなるかもしれない。でも、何が悪くなるのかはまだ明確ではない。だから、不安があること自体は、ある意味ではかなり普通の状態だと思います。

未来は誰にも分からない。
分からないから、不安になる。
では、この不安はどのように変わっていくのか。

 

私の中では、次のような流れで整理できると思っています。

 

不安 → 恐怖 → 安心 → 希望 → 期待

 

 

それぞれを言葉にすると、こうなります。

不安:何が起きるか分からない。悪くなるかもしれない。

恐怖:怖い対象が明確になる。

安心:対象は怖いが、対処できそうだ。壊滅的ではなさそうだと思える。

希望:そこから良くなる可能性が見える。

期待:良くなる可能性が、具体的な結果や出来事として見えてくる。

この流れで考えると、恐怖の直後に来るポジティブ側の感情は「希望」ではなく、まずは「安心」です。

怖いものが消えたわけではない。
でも、対処できそうだと思える。

 

そうすると、ここで少し呼吸ができるようになります。

 

そして、その先に「もしかしたら良くなるかもしれない」という希望が生まれます。さらに、その希望が具体的な行動や結果に近づくと、期待に変わっていくのです。

 

たとえば、お金の不安で考えると分かりやすいかもしれません。

 

なんとなく将来のお金が不安

老後資金が足りないかもしれない、という恐怖が見える

でも、今の収支と積立額を見れば、何とか届きそうだと分かる

このまま続ければ、将来の選択肢は増えるかもしれないと思える

来年にはここまで資産が増えていそうだ、という具体的な期待になる

 

という感じです。つまり、こう整理すると分かりやすい。

 

不安の反対側にあるのが希望。恐怖の反対側にあるのが安心。

 希望が具体的な対象を持つと期待になる。

 

もう少し言語化すると、

 

不安は、正体が見えない怖さ。
恐怖は、正体が見えた怖さ。
安心は、その正体に対処できると思えた状態。
希望は、その先に良くなる可能性を見られた状態。
期待は、その可能性が具体的な結果として見えてきた状態。

 

になります。

画像
 

不安を乗り越える方法とは?

では、不安を乗り越えるにはどうすればいいのか。

結局のところ、ぼんやりした未来を、できるだけ具体的に見にいくしかありません。

 

ただし、このとき少し嫌なことが起きます。不安を具体的に見ようとすると、一度、不安が恐怖に変わる瞬間があります。

これは避けられないと思います。

 

なんとなく不安だったものの正体が見える。
すると、「これが怖かったのか」と分かる。
その瞬間は、少し怖い。

でも、そこを通らないと、不安はずっと不安のまま残ります。

 

いくつか例を挙げてみます。

画像
 

体調不良の場合

なんとなく体がだるい。頭も痛い。原因が分からない。「ただの疲れかな。でも何か悪い病気だったら嫌だな」と思う。

この状態は不安です。

 

そこから病院に行き、検査を受けて、医師から「再検査が必要です」と言われる。この瞬間、不安は恐怖に変わります。

なぜなら、ぼんやりした体調不良が、「病気かもしれない」という明確な対象を持つからです。ただ、ここで終わりではありません。

病気の可能性が分かれば、次に何を調べるべきか、どんな治療があるのか、生活の何を変えるべきかが見えてきます。怖いけれど、対処の道筋が見えてくる。

そこに安心が生まれます。

画像
 

仕事の評価の場合

最近、上司の反応が薄い。会議でもあまり意見を求められない。「自分の評価が下がっているのかな」となんとなく不安になる。

この状態では、まだ正体が見えていません。

 

でも面談で「今期の成果については、少し厳しく見ている」と言われる。
この瞬間、ただの気のせいではなく、評価が下がる可能性が明確になります。

不安だったものが、評価・給料・立場への恐怖に変わる。

でも、ここでも同じです。何が足りなかったのかが分かれば、改善できる可能性があります。

数字なのか、行動量なのか、報告なのか、期待値のズレなのか。
怖い指摘でも、具体が見えれば次の行動が決められます。

画像
 

人間関係の場合

友人や恋人、仕事相手からの返信が遅い。
なんとなく距離を感じる。
「何か悪いことをしたかな」と思う。

この状態は不安です。

そこに相手から「この前の件で少し話したい」と言われる。この瞬間、不安は恐怖に変わります。

ただの返信遅れではなく、関係性が悪くなっているかもしれない対象が見えるからです。

相手に嫌われたかもしれない。信頼を失ったかもしれない。何か不満を持たれているのかもしれない。そう思うと怖い。

でも、相手の不満や違和感が分かれば、改善すべき方向も見えます。謝るのか、説明するのか、距離を置くのか、関係を作り直すのか。

正体が見えるということは、次の選択肢が見えるということでもあります。

画像
 

不安は、具体にしないと扱えない

不安を解消する方法は整理すると、こうです。

画像
 

不安は、正体が見えないから苦しい。
恐怖は、正体が見えたから怖い。

ただし、恐怖に変わることは悪いことだけではありません。

正体が見えるということは、対処できる可能性が生まれるということでもあります。

体調不良であれば、原因が分かれば治療の方法が分かる。仕事の評価であれば、何が足りないのかを知ることで、次に伸ばすべき部分が分かる。人間関係であれば、相手の不満を知ることで、関係を改善する方向性が見える。

もちろん、すべてが簡単に解決するわけではありません。
具体になったからこそ、苦しい現実を見ることもあります。

 

でも、ぼんやりした不安のまま抱え続けるよりは、具体的な恐怖に変えた方が、まだ扱いやすい。不安を解消するためには、その不安を直視し、そこにある具体を探り当てるしかありません。

そして、正しく恐れる。正しく恐れることができれば、次の行動が決められます。

次の行動が決まると、少し安心できる。
安心が生まれると、その先に希望が見えてくる。
希望が具体的になると、期待に変わっていく。

不安は、ただ消すものではないのだと思います。不安は、具体に落として、行動に変えるものです。

変化が多い世の中で、不安に駆られる日もあると思います。そんなときは、まず自分に聞いてみるといいかもしれません。

自分は、何に対して不安を感じているのか。
それは、まだ正体が見えていないだけなのか。
正体が見えたとして、自分にできることは何なのか。

 

不安を無理に前向きな言葉で上書きする必要はありません。

ただ、少しだけ具体にしてみる。

小さくてもいいから、次の行動を決めてみる。

それだけで、不安は少しずつ扱えるものに変わっていくのだと思います。
 

それでは、今週もお疲れ様でした。来週も粛々と頑張っていきましょう。

 

株式会社はこの亀谷です。

2026年も半期が終わりに近づき、評価面談のシーズンとなり、これからの会社の意味について考える時間が増えました。

2026年上期は本当にAIによって作業の在り方が大きく変わった半年だったと思います。

文章を書く。資料を作る。画像を作る。情報を整理する。数字をまとめる。簡単な仕組みを作る。少し前なら自分ひとりでは出来なかったことが、今では一人でも短時間でかなりのところまでできるようになってきました。

もちろん、まだ粗い部分はあるので、本質的な質を考えると、そのまま仕事として出せるかというと、そう簡単ではありません。

ただ、それでも確実に言えるのは「作業そのものの価値は日々下がっている」ということです。

最近はAIの変化が大きいので、AI文脈で話されることが多いですが、これはAIだけの話ではありません。

商品もサービスも、どんどんコモディティ化しています。機能だけを見れば、似たようなものが増えていき、価格も比較され、スピードも速くなり、便利なものはすぐに真似される。

そうなると、会社は何を売っているのか。そして、今後、会社である意味はどこに残るのか。そこをきちんと考えないといけない段階に来ています。

今日はそんな頭の中を少し整理しておきます。



作業を集める会社の価値は下がっていく


これまでの会社には、人を集めて作業量を確保する意味がありました。

一人ではできない量の仕事を、複数人で分担する。

作業を管理する。
進捗を確認する。
品質をチェックする。
納期に間に合わせる。

ワークフローを組むことにより、アイデア・作業の質・量・スピードを担保するために組織は作り上げられていました。

しかし、今AIによって作業の一部が置き換わっていき、手順化された作業や、判断を伴わない作業自体の価値はどんどん下がっていっています。

作業が減れば、作業をする人が減り、作業を管理する人も今ほど多くはいらなくなります。確認する人も、評価する人も、これまでと同じ形では必要なくなるかもしれません。

では、人の価値が下がるのか?

私はここはそうではない(そうではいけない)と思っています。

むしろ逆で、人の価値はより問われるようになる。ただし、問われる価値の種類が変わる。

作業ができるかではなく、何を判断できるのか。
早く処理できるかではなく、何に責任を持てるのか。

アウトプットを出せるかではなく、それが誰の現実を前に進めるのかを考えられるか。そこを価値として問われるようになってくるはずです。


AIは作業を楽にするが、人を甘やかすものではない


AIを会社に導入するということは、コストが増えるということでもあります。

これからは定額で使える量も制限がかかり、従量による課金が増えれば、それを使う人の質も問われ始めます。

AIは無料の魔法ではありません。人件費に近い形で、組織のコストとして乗ってきます。

その分、会社全体としては、今の組織を維持した場合、今まで以上の価値を出さなければいけません。

同じ人数がいて、AIのコストが乗って、それでも売上も粗利も品質もスピードも変わらないのであれば、それは進化ではなく、ただのコスト増です。

だからAIは、人を楽にする道具ではありますが、人を甘やかすものではない。むしろ、AIと共創した先の評価を問われるようになるため、評価は厳しくなるはずです。

今まで通じていた

「時間がありませんでした」
「調べられませんでした」
「形にできませんでした」

こういう言い訳は、少しずつ通用しにくくなります。

AIがある以上、一定のところまで形にすることは前提になっていく。その代わりに問われるのは、AIを使って何を前に進めてどんな価値を出せるのかです。

余った時間で何を見たのか。
どんな仮説を立てたのか。
誰に向き合ったのか。
どの判断を自分が引き受けたのか。

作業の評価から、責任の評価へ。会社、そして組織という人の集合体はそこに向かっていくのだと思います。

さらに会社は機能だけでは選ばれにくくなる


もう一つ大きいのは、世の中に出すサービスの質そのものも変わっていくということです。

商品もサービスも、機能だけでは差がつきにくくなっています。

もちろん、品質は大事です。品質が低くても物語があれば売れる、という話ではありません。

でも、一定以上の品質が当たり前になったとき、最後に選ばれる理由は機能だけではなくなります。

この会社は何を大切にしているのか。
どんな顧客に向き合っているのか。
うまくいかない時に、どこまで責任を持つのか。
こちらの事情を理解してくれるのか。
一緒に働くことで、自分たちの判断の質が上がるのか。

法人同士の取引であっても、こういう問いが重くなっていくと思います。

何を使うか。
どのサービスを導入するか。
どの会社に依頼するか。

一見すると、これは機能や価格の比較に見えます。

でも実際には、もっと深いところで、「誰と働くか」「誰にお金を払うか」を選ぶことに意味が出てきます。

AIによって機能が均質化し、商品やサービスがコモディティ化していくほど、この傾向は強くなるはずです。


ナラティブは飾りではなく、責任の説明である


最近は、ナラティブという言葉もよく使われます。商品やサービスに物語が必要だと言われることも増えました。

ただ、ここで注意しなければいけないのは、ナラティブは単なる飾りではないということです。

それっぽい言葉を並べることではない。
きれいな世界観を作ることでもない。
都合の良いストーリーで価値を高く見せることでもない。

本来のナラティブとは、

なぜそれをやるのか。
誰に向き合うのか。
何を大切にするのか。
どこまで責任を持つのか。

それを、現実と接続して語ることだと思います。もしくは実績で語ることだと思います。

品質がないナラティブは、ただの広告です。
思想がないナラティブは、ただの装飾です。
責任がないナラティブは、ただの都合の良い話です。

だから、これからの会社に必要なのは、派手な物語ではなく、実体のある文脈になります。

自分たちは何を積み重ねてきたのか。
どんな失敗をしてきたのか。
どんな顧客に向き合ってきたのか。
何をやらないと決めているのか。
どこに責任を持つ会社なのか。

そこが見えない会社は、機能比較の中に埋もれていくのだと思います。

会社は信用を個人に貸し出す装置でもある


個人でできることは、これからさらに増えていきます。
一人で企画し、一人で作り、一人で発信し、一人で売る。
そういうことが、以前よりずっとやりやすくなっています。

では、会社は不要になるのか?
私は、そうは思いません。

むしろ、個人でできることが増えるほど、会社にしかできないことが浮き彫りになると思っています。

その一つが、信用の造成です。

個人は、自分の実績で信用されます。ただ信用は一朝一夕ではできません。また個人の信用は個人で維持しなければいけません。

でも会社は、まだ実績の少ない人にも信用を前払いできます。

この会社の人なら大丈夫だろう。
この会社が責任を持つなら任せてみよう。
この会社が育てている人なら、可能性があるだろう。

そうやって、会社は個人に信用を貸し出すことができる。

これは、とても大きな意味があります。

若い人がいきなり社会の中で大きな責任を持つのは難しい。でも、会社という器があるから、顧客と向き合う機会を得られる。

失敗しても、誰かが支える。
足りない部分を、チームが補う。
個人では背負いきれない責任を、会社として引き受ける。

会社は、単に人を使う場所ではありません。人が社会と接続するための信用を貸出し、みんなで新しい信頼関係をつくる場所でなくてはならないのだと思います。

これからの会社は、作業ではなく責任で選ばれる。


だから、これからの会社は作業を売る場所ではなくなっていくはずです。

作業はAIでもできる。
機能は似てくる。
情報はすぐに手に入る。
それっぽいアウトプットも、誰でも作れるようになる。

その中で会社に求められるのは、信用と責任です。

この会社は逃げないのか。
この会社は本当に考えてくれるのか。
この会社は都合の良いことだけでなく、必要なことを言ってくれるのか。
この会社と働くことで、自分たちの未来は少し良くなるのか。

そこに応えられる会社だけが、選ばれるようになる。

これからの時代、とうぶんはAI使って営業をやって、適当なものを口八丁手八丁で売る会社が一時的に多く出てくるでしょう。

しかし、今までもですが、これからも、会社が売るべきものは、作業ではありません。信用であり、責任であり、文脈であり、関係性です。

もちろん、作業がなくなるわけではありません。実務は大事です。

手を動かすことも、現場を見ることも、細かいところまで詰めることも必要です。ただ、その作業は、信用と責任に支えられていなければいけない。

短期ではなく、長期的に伴走することにより、AIでは分からないその会社の文化を理解し、伴走できるパートナーを目指さなければいけない。

作業だけを売る会社は、安く買われ、信用と責任を持つ会社は、長く選ばれる。

この差は、これからさらに大きくなると思いますし、より時間をかけて大切にしないといけない価値観になると思います。

はこは、責任を引き受けながら信用を積み上げていく。


AIの進化は止まりません。

個人でできることは増える。
作業の価値は下がる。
商品もサービスも似てくる。
機能だけでは選ばれにくくなる。

だからこそ、会社は自分たちの意味を再設計しなければいけない。

人を集めて作業する場所なのか。
顧客の現実に責任を持つ場所なのか。
この違いは大きいです。

私は、これからの会社は、信用を蓄積し、責任を引き受け、人の可能性を社会に接続する場所になっていくべきだと思っています。

そのためには、一緒に働く人にも変わってもらわなければいけません。

会社も変わらなければいけない。
働く人も変わらないといけない。

そして評価も変わらなければいけない。

AIを使えるかどうかではなく、AIを使って何に責任を持つのか。作業をこなすかどうかではなく、誰の現実を前に進めるのか。

このタイミングでは、会社にいる意味を、会社任せにするのではなく、一人ひとりが考えなければいけないとも言えます。

会社は、作業を売る場所から、信用と責任を売る場所へ変わっていきます。そしてそこで生まれた価値を誠実に投資・再分配に当てることを求められると思っています。

その変化に向き合えるかどうかが、これからの組織の強さを決めていくはずです。

そういう意味では、はこは会社の目指す方向性を言語化しながらも、お客様からの目標を達成し、働く仲間の価値をより高められる、そんな場所に向かって、やるべきことを粛々と進めていこうと思います。

短期的な変化に目線を奪われるのではなく、長期的な信用を積み上げるために、まだまだやるべきことは多いです。

会社の意味を考え直しながら、はこという場所を、信用と責任を積み上げられる組織にしていきたいと思います。

それでは皆様、良い週末を。



 

今週は徳島まで出張で行ってきました。株式会社はこの亀谷です。

 

出張というと、移動が大変とか、時間がとられるとか、コストがかかるとか、そういう見方もあると思います。

でも私は、仕事で知らない土地に行くことが大好きです。

 

今日はそんな流れで、仕事が広げてくれる可能性について書いてみようと思います。

仕事が楽しい理由は未知に出会えるから

私がマーケティングの仕事をしていて楽しいのは、多くの未知と出会えることです。

 

自分の知らない業界を知る

自分の知らない人と話す

自分の知らない土地に行く

自分の知らない技術に触れる

 

仕事の良いところは、自分ひとりの興味やお金や行動範囲だけでは行かなかった場所に、意味を持って連れて行ってくれるところにあります。

 

私自身、仕事のおかげで日本は福井県にいけば47都道府県制覇です。海外もアジアを中心に多くの国に行くことができました。

意志が弱くても、意味があれば動ける

私は、自分自身にあまり意志があるタイプではありません。

 

何かをやりたいから、ひたすら自分で勉強する。行きたい場所を決めて、旅行計画を立てる。そういうことが、実はあまり得意ではありません。

 

でも、自分にとって意味があると思えると動けます。

 

そんな私にとって、仕事は、生活をする上でやらなければいけないものですが、それだけではありません。

 

自分では思いつかなかった意味を、人生に提案してくれるものでもあると思っています。

仕事の勉強は価値に変わる

学校の勉強は意味が分からないと苦しいものです。

 

でも仕事の勉強は意味が見えやすい分、楽しい。

 

調べたことが提案になりますし、読んだ本が会話になりますし、現地で見たことが判断材料に繋がります。

 

勉強そのものが好きな人は、実はそれほど多くないと思います。

 

だからこそ、仕事を通じて得た知識は、自分だけではなく、そのまま誰かの役に立つ可能性を持ちます。

 

本を読み、情報を集め、現場を見て、そこで必要とされているものを見つける。

 

それを使って誰かの役に立った瞬間、勉強はただの知識ではなく、価値に変わります。

移動は世の中の解像度を上げる

その中でも特に大きいのは「移動」です。

 

私自身、仕事を通じてでなければ行かなかったと思える場所が多くあります。

 

訪問することで初めて得られる、その土地の駅の空気感。街の距離感。人の話し方。車の流れ。お店の雰囲気。

 

移動して現地に行き、リアルを知ることで、仕事だけではなく、人として世の中の解像度が圧倒的に上がります。

 

知識として知っていることと、実際に現地に行って感じたことは違います。

 

だから私は、知識だけで知ったかぶりをするのではなく、できるだけ現地に行くことを大切にしています。

仕事の自由は、責任と一緒に勝ち取る

最近の仕事の仕方を見ていると、仕事を「時間をとられるもの」「疲れるもの」「お金を稼ぐために我慢するもの」として見ている人も多くいるように感じます。

 

もちろん、そういう側面はあります。

 

仕事は楽しい事ばかりではないし、理不尽なこともあるのは当然です。

 

ただ、それだけで仕事を見てしまうと、少しもったいないと思います。

仕事は、自分の世界を広げるためのかなり強い仕組みでもあるからです。

 

ここまで書くと、

そんなに自由に働かせてもらえない。。。

そんな声も聞こえてきます。

 

しかし、大前提として、仕事の自由は誰しもに最初から与えられるものではありません。

 

責任を引き受け、自分のルールで働ける状態を、自分で勝ち取る必要があります。

 

仕事の目標は、シンプルに言えば、世の中に価値を生み出し、契約上の目標を達成することです。

 

そこに向き合い、責任を果たせるようになるほど、仕事の自由は上がっていきます。

 

だからこそ、仕事の自由は選び、勝ち取る価値があるものだと思います。

仕事を消耗だけで終わらせない

自分の意志だけでは、行かなかった場所がある。

自分の興味だけでは、出会わなかった人がいる。

自分の好奇心だけでは、学ばなかった業界がある。

 

でも、仕事があることで、そこに意味が生まれる。意味があるから移動できる。移動するから、より自分自身の世界の解像度が上がる。

 

仕事とは、自分の時間を差し出すものではあります。

でも同時に、自分ひとりでは見られなかった世界を見せてくれるものでもあるのです。

 

そういう意味では、これからの時間が長い若い人こそ、仕事をただの消耗戦と考えるだけではなく、自分の世界を広げる機会として見てほしいなぁと思います。

 

仕事を適当に片づけて自分の世界を楽しむもひとつですが、自分の時間も仕事の時間も楽しんだ方が、自分の可能性をより広げることができます。

 

仕事をただの義務として考えるよりも、こういう視点で仕事を捉えてみるのは、結構オススメですよ。

 

それでは、今週もお疲れ様でした。来週も頑張りましょう!