7月2日で、株式会社はこは創業11周年を迎えます。

 

10年という節目を越えて、20年に向けた折り返し地点に立ったような感覚があります。

 

マラソンで言えば、折り返し地点を回ってからの後半戦。ここから先のほうが、きっとまた違う難しさがあるのだと思います。

 

会社を続けるというのは、思っていたよりもずっと大変です。

 

独立したばかりの頃は、仕事をつくること、売上を立てること、目の前のお客様に価値を返すことで精一杯でした。

 

もちろんそれは今も大切です。

 

ただ、11年続けてみると、「会社を続ける」ということには、それだけではない難しさがあるのだと分かってきます。

 

今日は、はこを11年間続けてきた中で、今だから言えることを書いてみようと思います。

組織の成長には、思っている以上に時間がかかる

会社は、人を採用すれば大きくなるわけではありません。

人が増えれば、できることは増えます。けれど同時に、考え方の違い、役割の曖昧さ、情報共有の難しさ、判断基準のズレも生まれます。

 

組織をつくるというのは、単に人数を増やすことではなく、会社の中にルールと役割をつくり、それがきちんと機能する状態をつくることです。

 

そして、ここには分かりやすい正解がありません。

 

同じ制度を入れても、会社によってうまくいくこともあれば、まったく機能しないこともあります。外部のプロに入ってもらえばすべて解決する、というものでもありません。

 

大事なのは、その組織にいる人たちのこと、やっている事業のこと、会社が大切にしてきた価値観を理解したうえで、「今の自分たちに合う形」を考え続けることなのだと思います。

人との出会いも、ほとんどは偶然です。今いるメンバーと、同じタイミングで、同じ状況でもう一度出会える可能性は高くありません。

そして、良いチームになるまでには同じ時間をともに過ごす時間がです。


そういう意味では、時間をかけてきたからこそ残る強さがあります。

 

組織は、急には育ちません。

 

でも、時間をかけて育った組織には、簡単には真似できない粘り強さがあるのだと思います。

経営者は、個人と法人を切り替える練習が必要になる

会社を続ける中で、ずっと難しいと感じていることがあります。

それは、経営者として「個人」と「法人」をきちんと切り替えることです。

 

これは言葉にすると当たり前のように聞こえます。
 

けれど実際にやってみると、簡単ではありません。

 

特にお金の問題は、この境目をどう整理できるかが、会社のガバナンスとしてもとても重要になります。

 

これは自分のお金なのか。それとも会社のお金なのか。

 

頭では分かっています。けれど、人は弱い生き物です。目の前に使えるお金があると、つい「使ってもいいのではないか」と考えてしまうこともあります。

だからこそ、ここは練習が必要です。

経営者としてお金にどう向き合うか。個人としての自分と、法人の代表としての自分をどう切り分けるか。

会社として「残すお金」と「投資すべきお金」をきちんと分けて、ちゃんと使い切ることが出来ているのか?

まだ投資すべきが上手に出来ていませんが、ちゃんと整理して考えられるようになってきたのは、ここ数年のことのような気がします。

経営は、きれいごとだけでは続きません。でも、きれいごとを捨ててしまっても続かない。

法人の意味は組織で価値を出し、その価値を働く人に再配分出来る構造を作ることでもあります。

だからこそ、お金や権限や責任との向き合い方は、時間をかけて身につけていかないといけません。

時間が経てば、人はちゃんと老いる

もうひとつ、あえて書いておきたいことがあります。

 

時間が経てば、人は老います。

 

当たり前のことなのですが、経営をしていると、この事実を意外と忘れがちです。

 

私が独立したのは35歳のときでした。少し遅いタイミングだったと思います。

 

そこから11年が経ち、今は46歳です。
10年は、思っているよりも早く過ぎます。

そして10年経つと、体はちゃんと変わります。

 

体力は落ちます。老眼も来ます。耳も少しずつ遠くなります。若い頃と同じ感覚で、同じ量を、同じスピードでこなせるわけではありません。

 

これは悲観的な話ではなく、前提として受け入れておいたほうがいいことだと思っています。

 

経営者も、独立した人も、自分の時間と体力を資本にして走り出します。けれど、その資本は永遠ではありません。

 

だからこそ、今日が一番若い日であるという言葉は、本当なのだと思います。

 

やりたいことがあるなら、先延ばしにしすぎないほうがいい。

 

一方で、長く続けたいなら、自分が変化していくことも前提に入れておいたほうがいい。

 

会社を続けるということは、自分自身の変化とも向き合い続けることなのだと感じています。

10年を越えると、会社のリスクは変わる

創業から10年までは、「市場に存在を許されるか」の勝負だったのだと思います。

仕事をいただけるのか。
お客様に価値を返せるのか。
売上を立てられるのか。
会社として生き残れるのか。

 

よく「創業10年までの生存率」のような話があります。もちろん簡単なことではありません。ただ、やってみると、10年続けることだけがゴールではないことにも気づきます。

 

10年を越えてからのリスクは、「潰れるかどうか」だけではありません。

 

今の私が感じているリスクは、大きく3つあります。
 

1つ目は、創業者依存のまま会社が止まること
2つ目は、主力事業の賞味期限に気づくのが遅れること
3つ目は、組織が大きくなったのに、学習速度が落ちること

 

会社は、最初は創業者の熱量で動きます。それは悪いことではありません。むしろ創業期には、その熱量がなければ前に進めない場面も多いと思います。

 

ただ、いつまでも創業者だけに依存していると、会社はどこかで止まります。

 

また、今うまくいっている事業が、これからも同じように価値を持ち続けるとは限りません。市場も、お客様の課題も、情報環境も変わっていきます。

 

そして組織が大きくなるほど、本来は多くの知恵が集まるはずなのに、逆に意思決定が遅くなったり、学ぶスピードが落ちたりすることがあります。

 

10年以降の会社に必要なのは、過去の成功を守る力だけではなく、会社自身が変化できる構造を持つことなのだと思います。

20周年に向けて、はこが目指したいこと

20周年まで、あと9年です。

はこは、ありがたいことに次の10年のスタートを切ることができました。


だからこそ、ここからは自分のためだけではなく、お客様、メンバーひとりひとり、そして社会にとって価値のある会社を目指していきたいと思っています。

 

ただお金を稼ぐ会社ではなく、社会に対して価値を生む会社になる。

 

単に今ある仕事を回すだけではなく、「次の困りごと」を見つけて、それを解ける会社になる。

 

独立したとき、はこの目標は「今日よりもより良い明日を創りだす」でした。現在は、「誠実な想いがまっすぐ届く社会を作る」を掲げています。

 

インターネットの普及によって、人が扱う情報量は爆発的に増えました。便利になった一方で、レコメンドの仕組みによって、ひとりひとりに偏った情報が届きやすくもなっています。

 

そんな時代に、どんな情報に触れ、何を選択するのか。そこに対して、より良い影響を出せる会社でありたいと思っています。

粛々と続けたから分かることがある

会社を続けてきて思うのは、「続ける」ということ自体が、想像以上に難しいということです。

続けるから分かることがあります。
続けたからできる差別化があります。
続けてきた時間が、会社の信頼や文化や強さになります。


でも、続けるだけでも難しい。
 

そして、これからも続けるのはきっと難しい。

 

だからこそ、11周年はゴールではなく、もう一度足元を見つめ直すタイミングなのだと思います。

 

独立を考えている人に伝えたいのは、会社をつくることは自由であり、同時に責任でもあるということです。

 

自分で決められる喜びがあります。
自分で引き受けなければならない重さもあります。
それでも、続けた先にしか見えない景色があります。

 

はこは名前に囚われず中身で勝負するという意味で名付けた会社です。そういう意味では、自分の枠にとらわれず、20周年に向けて、焦らず、でも止まらず、これからも粛々と一歩ずつ進んでいこうと思います。

 

ここまで一緒に歩いてくれたメンバー、お客様、関わってくださった皆さまには、本当に感謝しかありません。改めていつも本当にありがとうございます!

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2026年6月も最終週になりました。株式会社はこの亀谷です。

今日は、「資産」と「管理コスト」について書いてみようと思います。

 

私はもう20年くらい、家にあまりモノを置かない生活をしています。

 

車も家も持っていません。最近はいろいろあってテレビと冷蔵庫は置くようになりましたが、ソファーもテーブルもベッドもありません。リビングはほぼヨガスタジオのような状態で、ルンバの遊び場になっています。

 

引っ越しも、当日の朝に準備を始めて、お昼には終わるくらいの荷物しかありません。

 

なぜそんな生活をしているのか?

結論から言うと、面倒くさいことを増やしたくないからです。

 

モノを持つこと自体が悪いわけではありません。むしろ、モノには便利さも、楽しさも、安心感もあります。ただ、何かを持つときには、必ずセットで「管理する手間」もついてきます。

今日はそのことを、少し整理して書いてみます。

モノには価値がある。でも、管理コストも必ずついてくる

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モノを買うのは、そのモノに価値があると思うからです。

スマホも、服も、家具も、車も、家も、自分にとって何かしらの意味があるから手に入れるのだと思います。

ただ、モノは買った瞬間に終わりではありません。持った瞬間から、管理が始まります。

置く場所が必要になる。掃除が必要になる。メンテナンスが必要になる。壊れたら修理や買い替えを考える必要がある。

不要になったら、捨てるのか、売るのか、誰かに譲るのかを考える必要がある。

不動産や車のような大きな資産になると、固定資産税や重量税、保険、点検なども発生します。

つまり、モノには「買うコスト」だけではなく、「持ち続けるコスト」があるということです。

これは金融資産でも同じです。

金融資産はモノより流動性が高く、売買もしやすいです。ただ、それでも管理コストはあります。

どこに投資するのか。どれくらいリスクを取るのか。値動きを見るのか見ないのか。税金はどうするのか。

形があるかないかに関係なく、何かを持つということは、管理する対象を増やすことでもあるのです。

人は損を嫌う。だから、持つほど気になってしまう

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何かを持つと、そこには必ず認知コストがかかります。

 

認知コストとは、簡単に言えば「頭の中の容量を使うこと」です。目の前にあるかどうかに関係なく、自分が持っているものは、少しずつ意識を奪っていきます。

 

さらに人は、得をすることよりも、損をすることを強く嫌う生き物です。

 

資産として何かを持てば持つほど、その価値が上がったのか、下がったのかが気になります。株価やETFの値動きも、本当は長期で持っていればいいと分かっていても、つい見てしまうことがあります。

 

見ても仕方がない。でも、見てしまう。

 

そして気づかないうちに、自由になるために持ったはずの資産が、自分の注意力を奪う存在になっていることがあります。

 

資産が増えているのに、なぜか自由になっている感じがしない。

 

もしそんな感覚があるとしたら、それは資産そのものではなく、資産の管理に自分の時間や意識を使いすぎているからかもしれません。

ミニマリストとは、モノを持たない人ではなく、制約を減らす人

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ミニマリストという言葉を聞くと、「何も持たない人」「不便な生活をしている人」というイメージを持つ人もいるかもしれません。

でも、私の感覚では少し違います。

ミニマリストとは、モノを減らす人というより、自分にとって不要な制約を減らす人なのだと思います。

私自身も、ただモノを少なくしたいわけではありません。必要なものまで我慢したいわけでもありません。

むしろ考えているのは、管理対象を増やしたくないということです。

判断しなければいけないことを減らしたい。
気にしなければいけないことを減らしたい。
自分の頭と時間を、もっと大事なことに使いたい。

そう考えると、ミニマリズムは節約術ではありません。認知資源の使い方の話です。

何を持つのか。
何を持たないのか。
何なら管理してもいいのか。
何を管理すると、自分の自由が削られるのか。

ここを考えることが大事なのだと思います。

すべての資産が悪いわけではない

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ここまで読むと、「じゃあ資産は持たない方がいいのか」と思う人もいるかもしれません。もちろん、そういう話ではありません。


資産には、管理コストを超える価値があるものもあります。

たとえば、会社はとても管理コストが高いものです。人もいる。責任もある。税務も法務もある。意思決定も毎日発生します。

それでも会社を持つ意味があるのは、そこに自分が実現したいことがあるからです。

逆に、自分にとって意味の薄い資産は、どれだけ経済的に得だとしても、管理コストの方が重く感じることがあります。

家、車、時計なども、人によっては大切な資産になります。でも、私にとっては今のところ必要ではありません。

大切なのは、資産の損得だけで判断しないことです。

その資産を持つことで、自分の人生は前に進むのか。それとも、自分の注意力を奪うだけなのか。ここを見なければいけません。

資産は「増やす」より、「持ち方」を考える時代

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資産形成という言葉があります。

 

もちろん、資産を作ることは大事です。お金がなければ選択肢は狭くなりますし、生活の不安も増えます。

 

ただ、ある程度生活が安定してくると、資産は増やすこと以上に「どう持つか」が大事になります。

 

どこまで持つのか。
何を手放すのか。
誰に管理を任せるのか。
どこまで自分で判断するのか。
何に自分の認知資源を使うのか。

資産を増やすフェーズと、資産を整理するフェーズは違います。

 

増やすことに慣れた人ほど、手放すことは難しくなります。でも、資産は増えれば増えるほど、管理コストも増えます。

 

だからこそ、持つ力だけではなく、持たない力も必要になります。
 

資産を増やすことは大事です。でも、増やしたものに自分が振り回されてしまうなら、一度立ち止まって持ち方を見直した方がいいのだと思います。

自由になるために、何を持つのか

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人は、自分の力だけでは生きていけません。

 

だから、自分の価値を補ってくれるものを持つことは必要です。お金も、道具も、会社も、人とのつながりも、自分の人生を支えてくれる大切な資産です。

 

ただ、何かを持つことは、同時に管理コストも連れてきます。

 

だから大事なのは、ただ資産を増やすことではありません。自分にとって、その資産を持つ意味があるかを考えることです。

必要か、不必要か。
得か、損か。
資産価値があるか。
もちろん、それも大事です。

 

でもそれ以上に、その資産を持つことで、自分の人生が軽くなるのか。それとも重くなるのか。

 

私はそこを大事にして生きていくと、必要なものが見えてくるような気がしています。

 

自由になるために、何を持つのか。

 

資産とは、増やすものでもあり、選ぶものでもある。そう考えると、ミニマリストであろうとする感覚は、単なる好みではなく、自分の人生の管理方法なのかもしれません。

それでは、今週もお疲れ様でした。
来週も頑張りましょう!

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6月と言えばJune Bride。株式会社はこの亀谷です。

今週末は社内のメンバーの結婚式に参列してきました。

せっかくなので、今日は「結婚式の挨拶」について書いてみたいと思います。なんでもかんでも仕事の話に準えるのもどうかと思いますが、学びというのは常にあるものですね。

ちなみにJune Brideは、もともとヨーロッパの文化です。ローマ神話で結婚と女性の権利を守る女神「ユノー(Juno)」が6月(June)を守護していることから、この月に式を挙げると女神の加護を受けられるといわれています。

ヨーロッパの6月は天候が良く、まさに結婚式シーズン。

ところが日本の6月は梅雨です。これはおそらく、天気の悪い日本でも6月の結婚式需要を生み出すために、誰かがマーケティング戦略的に持ち込んだ文化なのではないかなぁと睨んでいます。

最近はJune Brideに憧れるという風潮も少し落ち着いてきた気がしますが、もし天気の崩れやすい6月に式を挙げるなら、和式のお庭が付いた式場がオススメです。雨が降っても、それはそれで風情が出ますよ。

……と、前段で余談をたくさん書いてしまいましたが、ここから本題です。

最近メンバーの結婚式が増え、主賓として挨拶をする機会も増えてきたので、そこでの学びを書いておきたいと思います。

結婚式の挨拶は、とにかく緊張する

結婚式の挨拶というのは、めちゃくちゃ緊張するイベントです。

 

式を挙げる本人にとっては、一生に一度の晴れ舞台。
参列されている方の大半は、こちらのことをほとんど知らない。
そして、誰も自分の話を聞きに来ているわけではない。
おまけに、普段は使わないような言葉を選ばないといけない。

 

そんな中で、自分はいったい何を話せばいいのか。
毎回、本当に悩みます。

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誰かに評価されるわけでもないし、どうせ式が終わるころには、主賓の話なんて誰も覚えていない。

 

極論を言えば、変なことさえ言わなければ感謝はされるので、ルールを守って好きに話せばいい——そう割り切ってしまえば、それまでです。

 

ですが、せっかくの機会ですから、多少は何かを残したい。そこで今日は、挨拶について考えたことを書いておきます。

結婚式の挨拶は、誰に何を伝えるとよいのか

そもそも主賓挨拶とは、どういう役割で、誰に何を伝えるべきものなのか。改めて整理してみました。

 

① 新郎・新婦・ご親族・ご列席の皆様を代表して、お祝いの言葉を述べること
② オープニングとして、新郎(または新婦)側の代表という立場から、相手サイドへその人の社会的な立ち位置を紹介すること
③ それなりに場を温めること

 

このあたりが役割なのかなぁと思っています。
だとすると、話の流れはこうなります。

  • オープニングの形式的な挨拶

  • 自分が代表する立場からの、新郎(新婦)の紹介

  • 新郎(新婦)サイドで参列してくださっている方への御礼

これらを、具体的なエピソードに軽い笑いを添えながら話していく。そんなイメージです。

 

これまで数回、主賓挨拶をやってきて反省していたのは、つい友人スピーチのように新郎・新婦へ語りかける挨拶になってしまい、周りの参列者の方への配慮が少なかったことでした。

 

そこで今回は、「参列してくださっている皆様がいるからこそ、この会が催されている」という事実にもきちんと触れられるよう、内容を調整してみました。少しは全体を巻き込む形をイメージできた気がします。

 

具体的な構成はこうです。

  • 前半は、新郎・新婦へ

  • 中盤は、参列されている皆様へ

  • 終盤は、ふたたび新郎・新婦へ

この流れを意識しておくと、実際に話すときの視線の置き方なども、少しは工夫できた気がします。

実際、今回は新婦側の主賓として、こんな流れで話しました。

  • まずは、形式的なご挨拶

  • 続いて、新婦がどういう人物なのかの紹介

  • そして、その新婦の良さは、今日参列してくださっている皆様との関わりの中で育まれ、作り上げられてきたものだ、という事実の確認

  • その上で、新郎へ向けて、これから新婦とつくっていく明るい未来の提示

  • 最後は、お二人の共通点であるミュージカルになぞらえた締め

個人的に気に入っているのは、中盤の「新婦の今の魅力は、ここにいる皆様が時間をかけて育ててきたものだ」というくだりです。

 

こう伝えることで、新婦への賛辞がそのまま参列者の皆様への御礼にもなり、会場全体を巻き込むことができた気がします。

 

そして締めを、お二人に共通する趣味であるミュージカルになぞらえたことで、堅くなりすぎず、二人らしい余韻を残して終えることができました。

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ただ、最終的には「考えてやっている」ようでは駄目

とはいえ、お祝い事です。本質的には、理屈ではなく気持ちが伝わらないといけない。

 

そう考えると、理論で話しているうちはまだ駄目で、理論で組み立てつつも、最後はそれを意識せずに自然と出せるようにならなければなりません。

 

少し前までは、内容をすべて頭に入れた上で、原稿なしで挨拶をしていました。ですが最近は、社内のメンバーが原稿を印刷してくれるようになったので、台本を見ながら話すことが増えています。

 

話すことで頭がいっぱいになるよりは、実際には読まなくとも、台本が手元にあるというだけで気持ちが楽になる。だからまずは、台本ありでスタートするのがオススメです。

 

それでも、やはり台本なしできちんとお祝いの言葉を言える人はかっこいい。そう考えると、この経験を重ねた先には、また台本なしで挨拶をするフェーズがやってくるのでしょう。

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結婚式の挨拶は、毎回緊張します。けれど、人前で話す練習としては、これ以上ない場でもあります。そして思うのは、挨拶も、人生も、結局は同じなのだろうということです。

 

一度の本番でうまくやろうとするよりも、こうした機会を一つひとつ丁寧に重ねていくことでしか、本当に自然な言葉は身につかない。華やかな晴れ舞台の裏側にあるのは、いつだって地道な積み上げです。

 

だからこそ私は、これからも代表として良い挨拶ができるよう、粛々とこの経験を重ねていきたいと思います。いつか台本なしで、心からの言葉だけで祝福を伝えられるその日まで。

 

それでは皆様、良い週末を。

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6月は上期の評価面談の時期ですね。株式会社はこの亀谷です。

 

普段は会社の未来を考え続けていますが、評価面談の時期は、特にそれぞれのメンバーの将来について考える時間が増えます。

 

私は生まれつき身体が悪いもので、小さいころから、自分は割と早めに死ぬんだろうな。と思って生きていました。(既にもう思っていたよりは長生きしてしまっていますが。。。)

 

社会に出る時も、人生60年くらいでちょうど良いか。と考えて、40歳まで死ぬ気で働いて、残りの時間は自由に生きようと思って設計していたのに、もう気づくと45歳。

 

ある種の目標は達成できているものの、次なる目標に向き合う日々が続いています。人生はまだまだ長いです。

そして、気づくと世の中は人生100年時代と言われるようになりました。

 

なかなか死ねない。。。

 

現状45歳の私ですら、65歳の定年まではあと20年も残っています。

 

若い人からすると、先が遠すぎて、なかなか先が具体的に読めない状況になっているのではないかと思います。

 

先が読めないと未来に自信が持てない。
自信が持てないと未来が不安になる。

 

そんな連鎖が始まります。

 

そんな状況の中、今日は、評価面談を通じて、私が若いメンバーに伝えたいと思っていることの一部を一度棚卸ししてみようと思います。

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働く期間は延びた。でも「キャリアの勝負どき」は変わっていない

人生100年時代。

 

今の若い人は、もしかすると定年も伸びて70歳くらいまで働くことになるかもしれません。そう考えると働く期間は確実に長くなっています。

 

しかし、注意しないといけないのは、「働く期間は伸びた」けど「キャリアの勝負どき」は変わっていないということです。

 

働く期間が延びたと聞くと、「じゃあキャリアづくりも、ゆっくりでいいよね」と思いたくなります。ゴールが遠くなったんだから、スタートものんびりでいいはずだと。

しかし、そこは違います。

 

残念ながら社会の構造は、まだそこまで変わっていません。

 

実際には、40代までにある程度の「経験」「信用」「役割」「専門性」を作っておかないと、その後の選択肢がなかなか広がらないのが現実です。

つまり、ゴールは遠くなったのに、前半戦の大事さは変わっていない。

 

むしろ人生が長くなったからこそ、40代以降のキャリアが長くなっている分、30代までに自分の土台を作っておく価値は、以前より上がっていると私は思います。

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若いうちの「土台」が、人生後半の自由をつくる

土台といっても、特別なことではありません。

  • 経験:場数を踏んで、できることを増やす

  • 信用:「この人に任せたい」と思ってもらえる実績

  • 専門性:「これなら任せて」と言える得意分野

こうした土台を若いうちに作っておくと、人生の後半で選べる働き方が一気に増えます。

※お金という意味では、これに投資を考えておくべきですが、今日はそこは省きます。

 

そのまま働き続けてもいいし、働き方をガラッと変えてもいい。自分の得意なことに仕事を寄せてもいいし、誰かに必要とされる形で、価値を出し続けてもいい。

 

ただ、逆に土台がないと、少ない選択肢のなかから「選ばされる」働き方になりがちです。人生が長いからこそ、前半の積み上げが、後半の自由度を決めることに向き合わないといけません。

 

また人生が長いからこそ、前半上がっておかないと、上にあがれない後半を長期間過ごさなければならなくなってしまいます。

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「働くこと」は、本当はもっとポジティブなもの

働き方改革の流れの中で、「働くこと」そのものに、少しネガティブなイメージがついてしまった気がしています。

 

「働きすぎはよくない」「仕事よりプライベート」「無理して働くのは古い」みたいな空気です。

 

もちろん、無理をして心や体を壊すような働き方は論外です。それは絶対に良くありません。

 

ただ一方で働くことには本来もっとポジティブな面があります。

 

仕事を通じて、できることが増える。
出会う人が変わる。
見える世界が広がる。
自分の知らなかった自分に気づく。

 

これって、実はすごく面白いことだと思います。

 

正直、私自身は少しブラックな価値観の中で育ってきた世代です。

 

だから、自分が「これで良かった」と思っていることを、そのまま若い人に伝えるのは難しいなと感じることもあります。

 

でも、無理をしろと言いたいわけではありません。

 

ただ、若いうちに仕事とちゃんと向き合うことには、確実に価値があります。それは会社のためだけではなく、自分の未来のためでもあります。

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若いうちの仕込みは、後からじわじわ効いてくる。

私が伝えたいのは、「とにかくたくさん働け」ということではありません。

そうではなくて、早めに自分の土台を作ることの意味に、なるべく若いうちに気づいてほしい、ということです。

特に100年生きる時代。歳を重ねた後半戦の方が思ったよりも長くなっています。

 

後半戦を自由に生きるための仕込みは、前半戦にしかできません。そして仕込みは、早く始めるほど効いてきます。

 

ここを後で気づくと結構つらい。

 

だからうるさいと思われるかもしれないけど何度でも言わせてほしいのです。

 

若いうちに、後悔しないだけの経験を積んでおいた方がいい。
できることを増やしておいた方がいい。
信用を積んでおいた方がいい。
自分の得意なことを見つけておいた方がいい。

 

直接も言うけど、ちゃんと振り返ってほしい。今日のnoteは、そんな気持ちで書いています。

 

またおじさんが説教くさいこと書いているなぁと思うかもしれません。

 

でもこれは、気づいたら良い歳になっていたおっさんからの、ささやかなエールだと思って受け取って向き合ってもらえると嬉しいです。

 

本当に後半大変なんですよ。

 

それでは、今週もお疲れ様でした。
来週も頑張りましょう!

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6月に入りました。株式会社はこの亀谷です。

今日は、不安・恐怖・安心・希望・期待の関係性について考えてみたいと思います。

 

 

将来への不安って、誰にでもあると思います。
仕事のこと。お金のこと。健康のこと。人間関係のこと。

 

今すぐ何かが起きているわけではないけれど、なんとなく落ち着かない。なんとなく悪い方向に進みそうな気がする。そういう感覚は、多くの人にあるのではないでしょうか。

ただ、私たちは「不安だな」と感じることはあっても、その不安が何から生まれているのかを具体的に考えることは、意外と少ない気がします。

 

不安を消すためには、根性で前向きになるだけでは難しい。

 

まずは、不安という感情の正体を知り、それに対応していく必要があります。この記事が、自分の中にある不安

と少し向き合うきっかけになれば嬉しいです。

不安とか安心とかって、どういう状態なのか?

不安とか安心って、そもそもどういう状態なのでしょうか。

普通は「なんとなく不安」という言い方をすることが多いと思います。


この「なんとなく」というのが、実は不安の特徴です。

不安とは、未来がはっきり見えないことに対する感覚です。
 

何が起きるか分からない。悪くなるかもしれない。でも、何が悪くなるのかはまだ明確ではない。だから、不安があること自体は、ある意味ではかなり普通の状態だと思います。

未来は誰にも分からない。
分からないから、不安になる。
では、この不安はどのように変わっていくのか。

 

私の中では、次のような流れで整理できると思っています。

 

不安 → 恐怖 → 安心 → 希望 → 期待

 

 

それぞれを言葉にすると、こうなります。

不安:何が起きるか分からない。悪くなるかもしれない。

恐怖:怖い対象が明確になる。

安心:対象は怖いが、対処できそうだ。壊滅的ではなさそうだと思える。

希望:そこから良くなる可能性が見える。

期待:良くなる可能性が、具体的な結果や出来事として見えてくる。

この流れで考えると、恐怖の直後に来るポジティブ側の感情は「希望」ではなく、まずは「安心」です。

怖いものが消えたわけではない。
でも、対処できそうだと思える。

 

そうすると、ここで少し呼吸ができるようになります。

 

そして、その先に「もしかしたら良くなるかもしれない」という希望が生まれます。さらに、その希望が具体的な行動や結果に近づくと、期待に変わっていくのです。

 

たとえば、お金の不安で考えると分かりやすいかもしれません。

 

なんとなく将来のお金が不安

老後資金が足りないかもしれない、という恐怖が見える

でも、今の収支と積立額を見れば、何とか届きそうだと分かる

このまま続ければ、将来の選択肢は増えるかもしれないと思える

来年にはここまで資産が増えていそうだ、という具体的な期待になる

 

という感じです。つまり、こう整理すると分かりやすい。

 

不安の反対側にあるのが希望。恐怖の反対側にあるのが安心。

 希望が具体的な対象を持つと期待になる。

 

もう少し言語化すると、

 

不安は、正体が見えない怖さ。
恐怖は、正体が見えた怖さ。
安心は、その正体に対処できると思えた状態。
希望は、その先に良くなる可能性を見られた状態。
期待は、その可能性が具体的な結果として見えてきた状態。

 

になります。

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不安を乗り越える方法とは?

では、不安を乗り越えるにはどうすればいいのか。

結局のところ、ぼんやりした未来を、できるだけ具体的に見にいくしかありません。

 

ただし、このとき少し嫌なことが起きます。不安を具体的に見ようとすると、一度、不安が恐怖に変わる瞬間があります。

これは避けられないと思います。

 

なんとなく不安だったものの正体が見える。
すると、「これが怖かったのか」と分かる。
その瞬間は、少し怖い。

でも、そこを通らないと、不安はずっと不安のまま残ります。

 

いくつか例を挙げてみます。

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体調不良の場合

なんとなく体がだるい。頭も痛い。原因が分からない。「ただの疲れかな。でも何か悪い病気だったら嫌だな」と思う。

この状態は不安です。

 

そこから病院に行き、検査を受けて、医師から「再検査が必要です」と言われる。この瞬間、不安は恐怖に変わります。

なぜなら、ぼんやりした体調不良が、「病気かもしれない」という明確な対象を持つからです。ただ、ここで終わりではありません。

病気の可能性が分かれば、次に何を調べるべきか、どんな治療があるのか、生活の何を変えるべきかが見えてきます。怖いけれど、対処の道筋が見えてくる。

そこに安心が生まれます。

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仕事の評価の場合

最近、上司の反応が薄い。会議でもあまり意見を求められない。「自分の評価が下がっているのかな」となんとなく不安になる。

この状態では、まだ正体が見えていません。

 

でも面談で「今期の成果については、少し厳しく見ている」と言われる。
この瞬間、ただの気のせいではなく、評価が下がる可能性が明確になります。

不安だったものが、評価・給料・立場への恐怖に変わる。

でも、ここでも同じです。何が足りなかったのかが分かれば、改善できる可能性があります。

数字なのか、行動量なのか、報告なのか、期待値のズレなのか。
怖い指摘でも、具体が見えれば次の行動が決められます。

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人間関係の場合

友人や恋人、仕事相手からの返信が遅い。
なんとなく距離を感じる。
「何か悪いことをしたかな」と思う。

この状態は不安です。

そこに相手から「この前の件で少し話したい」と言われる。この瞬間、不安は恐怖に変わります。

ただの返信遅れではなく、関係性が悪くなっているかもしれない対象が見えるからです。

相手に嫌われたかもしれない。信頼を失ったかもしれない。何か不満を持たれているのかもしれない。そう思うと怖い。

でも、相手の不満や違和感が分かれば、改善すべき方向も見えます。謝るのか、説明するのか、距離を置くのか、関係を作り直すのか。

正体が見えるということは、次の選択肢が見えるということでもあります。

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不安は、具体にしないと扱えない

不安を解消する方法は整理すると、こうです。

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不安は、正体が見えないから苦しい。
恐怖は、正体が見えたから怖い。

ただし、恐怖に変わることは悪いことだけではありません。

正体が見えるということは、対処できる可能性が生まれるということでもあります。

体調不良であれば、原因が分かれば治療の方法が分かる。仕事の評価であれば、何が足りないのかを知ることで、次に伸ばすべき部分が分かる。人間関係であれば、相手の不満を知ることで、関係を改善する方向性が見える。

もちろん、すべてが簡単に解決するわけではありません。
具体になったからこそ、苦しい現実を見ることもあります。

 

でも、ぼんやりした不安のまま抱え続けるよりは、具体的な恐怖に変えた方が、まだ扱いやすい。不安を解消するためには、その不安を直視し、そこにある具体を探り当てるしかありません。

そして、正しく恐れる。正しく恐れることができれば、次の行動が決められます。

次の行動が決まると、少し安心できる。
安心が生まれると、その先に希望が見えてくる。
希望が具体的になると、期待に変わっていく。

不安は、ただ消すものではないのだと思います。不安は、具体に落として、行動に変えるものです。

変化が多い世の中で、不安に駆られる日もあると思います。そんなときは、まず自分に聞いてみるといいかもしれません。

自分は、何に対して不安を感じているのか。
それは、まだ正体が見えていないだけなのか。
正体が見えたとして、自分にできることは何なのか。

 

不安を無理に前向きな言葉で上書きする必要はありません。

ただ、少しだけ具体にしてみる。

小さくてもいいから、次の行動を決めてみる。

それだけで、不安は少しずつ扱えるものに変わっていくのだと思います。
 

それでは、今週もお疲れ様でした。来週も粛々と頑張っていきましょう。