今日でお盆も終わりですね。株式会社はこの亀谷です。
今日は、日本の政治を見ていて、今、私が普段考えていることを整理をします。
先に書いておくと、私は特定の政党や政治家を批判したいわけではないですし、高齢者が悪いと言いたいわけでもない。若者が正しいと言いたいわけでもありません。
むしろ、それぞれが自分の立場で合理的な判断をしているにもかかわらず、全体としてより良い未来を選びにくくなっている気がする、この国の民主主義って何だろう。
誰も間違っていないのに、なぜ日本は未来を選べなくなっているのか。
と不思議に思っています。
もう少し長い時間軸で日本を見たときに、本当に今の選挙のあり方で、この国のより良い未来を決められるのだろうか。
そこを考えることが、今の日本の民主主義が抱える構造的な問題を理解するチャンスなのだと思うので、今日はそれを棚卸ししてみます。
民主主義は「今いる人」が決める仕組み
そもそも当たり前ですが、民主主義は、今を生きている人たちが投票をして、社会の方向を決める仕組みです。
まだ生まれていない人は投票できないですし、10歳の子どもも国政選挙には投票できません。
30年後、50年後の日本を最も長く生きる人は、ほとんど現在の意思決定に参加できない仕組みです。
それでも、これまでは大きな問題になりませんでした。その理由は、まだ日本の人口が若かったからです。
若い人が多い社会では、今を生きる多数派と、これから先の社会を長く生きる多数派がかなり重なっています。
道路をつくる。学校をつくる。産業を育てる。住宅をつくる。子どもを増やす。など、今のために投資することが、そのまま未来のための投資につながります。
ところが、人口構造が変わることによって、この仕組みは大きく変わります。
2025年時点で、日本の65歳以上人口は総人口の29.4%まで増えています。さらに国立社会保障・人口問題研究所の中位推計では、2070年には人口が約8700万人まで減り、65歳以上が38.7%になると予測されています。
ここではじめて、民主主義が作られたときにはあまり想定されていなかった問題が出てくるのです。
「今を守りたい多数派」と「未来を長く生きる少数派」
この2つの層によって国が成り立っているという問題です。
人生が長くなり、国が考えなければいけない未来も長くなった
もう一つ大きな変化があります。
それは人が長く生きるようになってしまったことです。
人生が50年、60年だった時代と、人生100年を考える時代では、当然ながら社会が考えなければならない時間軸も変わります。
社会保障をどうするのか。医療をどうするのか。人口減少にどう対応するのか。エネルギーをどうするのか。教育をどうするのか。
現在の政策が、30年後、50年後まで影響することは珍しくありません。
実際、日本の将来人口推計では、2020年時点で男性81.58歳、女性87.72歳だった平均寿命が、2070年には男性85.89歳、女性91.94歳まで伸びる中位仮定が置かれています。
つまり、
社会が選ばなければいけない未来は長くなった。
しかし、
未来を選ぶ仕組みは、今の有権者による多数決のままである。
ここに国として見なければいけない未来へのズレが生まれているのです。
上の世代ほど未来が見えて、下の世代ほど未来が見えない
そして、もう一つ面白い逆転現象が起きはじめます。
年齢が上がるほど、自分の未来はある程度具体的に想像できるようになっていくのです。
今の仕事。資産。年金。医療。
きっと数年後これくらいになるだろうという解像度が高まっていきます。
もちろん何が起きるかは分かりません。
それでも20歳の頃と比べれば、自分がこれからどんな人生を送るのか、選択肢はある程度収束していて、これから必要になるものの解像度が高くなっています。
だから、
年金を守ってほしい。
医療を守ってほしい。
今住んでいる地域を守ってほしい。
物価を上げてほしくない。
という守るものに、歳をとればとるほど敏感になるのです。
一方、若い人にとって未来はものすごく曖昧なものです。
30年後、どんな仕事をしているのか。AIによって仕事がどう変わっているのか。結婚しているのか。子どもがいるのか。東京に住んでいるのか。そもそも日本がどんな国になっているのか。
分からないことばかりです。
つまり不思議なことに、未来を長く生きる人ほど、未来への利害は大きいのに、その未来に手触りがない。
逆に、
未来の時間が短くなるほど、自分に必要なものが具体的になる。
この二つの票が、同じ選挙で競争するとどうなるでしょうか?人は失うことをとても恐れる生き物です。
「今ある100万円を失いたくない」
という思いと、
「30年後の日本が良くなってほしい」
という思いなら、普通は前者の方が強くなります。
未来は重要だけれど、今はもっと自分にとって深刻な問題だからです。
民主主義にとって、少子化は「若者の数が減る」だけの問題ではない
私はここに、民主主義における少子化のもう一つの問題があると思っています。
普通、少子化というと、
働く人が減る。
社会保障を支える人が減る。
人口が減る。
という話になります。
もちろんそれも大きな問題なのですが、もっと重要な問題として
社会全体から「未来を自分事に考える接点」が減っていくことです。
自分ごとは誰しも考えられます。しかし自分は30年後にはいないかもしれません。
しかし、もしそこに子どもや孫がいると、自分が死んだ後の世界にも具体的な人が存在します。未来を考える意味が生まれてきます。
そうすると2050年の日本は、自分には関係ない未来ではなくなる。という考えも生まれてくるはずです。
これはもちろん、「子どものいない人は未来を考えない」という話のような単純な話ではありません。
ただ、社会全体として考えれば、子や孫という存在は、遠い未来と今の自分をつなぐ非常に強い接点の一つになりうるということです。
現在、少子化によって、子どもの絶対数が減り、大人が未来を考える接点も減っていっています。
すると未来が、ますます「知らない誰かの世界」になっていくのです。
私は、こちらの方が、もしかすると民主主義にとって、人口減少以上に大きな問題なのではないかと思っています。
少子化とは、未来を生きる人の数が減るだけではありません。未来を自分事として考える力まで弱くしてしまう可能性があるのです。
さらに、票の数だけではなく投票率にも差が生まれる
人口構造だけでも、若い世代は少ないです。
さらに選挙に行く割合にも世代差があります。
東京都選挙管理委員会の2024年衆院選の推定投票率を見ると、20代は37.93%なのに対して、60代は68.09%でした。
もちろん東京都だけの数字ではありますが、構造は分かりやすいです。
人数が多い。そして投票にも行くのは上の世代です。
自分の生活が懸かっている政治家からすれば、その人たちの声を無視する理由がありません。
むしろ無視したら選挙に負けます。
だから政治家が、投票率が高く未来を具体的に自分事として考えられる高齢層を大切にすること自体は、民主主義の中では極めて合理的だと思います。
しかし、その合理性を積み重ねた先で、未来への投資より、現在の生活を守る政策の方が選ばれやすくなっていきます。
選挙が「未来を選ぶ場」ではなく「勝ち負けを見る場」になっていないか
さらに、私はメディアの役割にも少し違和感があります。
選挙が始まると、どこが議席を増やすのか。誰が当選するのか。与党が過半数を取るのか。誰と誰が争っているのか。支持率が何ポイント動いたのか。
という話が増えます。
最近は選挙報道はある種のエンタメとも言えます。
もちろん選挙なので、勝敗を報じる必要はありますが、限られた時間で多くの人に興味を持ってもらおうとするのであれば、選挙を「競争」として見せる方が分かりやすいのも分かります。
スポーツと同じで、勝つか負けるかには物語がある。
こうした選挙を勝敗や戦略中心で報じるものは、政治コミュニケーション研究では「ホースレース報道」と呼ばれています。海外研究をまとめたメタ分析でも、戦略や勝敗中心の報道は、政策そのものについての知識を減らし、政治への冷笑的な見方を強める傾向が報告されています。
私はこれも構造の問題だと思うのです。
メディアには、難しい政策を分かりやすく伝え、同時に多くの人に見てもらう必要がある。そしてその評価は視聴率という分かりやすい指標で評価される。
そうすると、「この政策を30年間続けたとき、日本の人口と財政はどうなるのか」より、「今回の選挙でどちらが勝つのか」の方がコンテンツにしやすいのは誰でも分かります。
しかし、それが積み重なると、私たち自身も選挙を、
未来を選択する行為
ではなく、
勝者を決めるイベント
として考えるように感じやすくなってしまう。
そうなると、政策そのものより選挙の勝ち負けに目が向き、選挙を自分たちの未来を決める行為として捉えにくくなることもあるのではないかと思います。
政治家もまた、次の選挙から逃れられない
そして選挙には選挙によってえらばれる政治家がいます。
政治家の仕事は、本来であれば国の未来を考えることであるはずですが、しかし政治家であり続けるためには、選挙に勝たなければなりません。
30年後にものすごく評価される政策でも、来年の選挙で落選してしまえば実行できないのです。
だから政治家も、30年後の国民より、
次の選挙で投票してくれる現在の有権者
を、まずは大切にするようになります。これは選挙を戦う上では仕方がありません。
その中には権力を守ることそのものが目的になってしまう政治家もいると思います。しかし、もっと怖いのはそこではありません。
真面目な政治家でも、この構造から完全には逃れられないことです。
現在の有権者に大きな負担を求めながら、「50年後の日本のためです」と言って選挙に勝つのは難しい。
だから、
本当は変えなければならない。しかし今変えると反発される。
だったら少し先に送る。次の人に任せる。また少し先に送る。これが繰り返されます。
OECDも、予算を含む政策決定では、長期的な必要性を犠牲にして短期的な政治目標が優先されることがあると指摘し、将来世代の声を制度的に取り込む必要性を議論しています。
これ自体も民主主義や政治の問題というよりも、今の人口動態に合わせた制度設計になっていないことが問題なのだと思います。
誰も間違っていないのに、未来が負ける世界へ
ここまで考えて、一番怖いと思うのはこれなんです。
人の在り方や制度設計などを考えると、誰も間違っていないのに、これを続けていくと未来が負けてしまう世界になってしまいます。
高齢者は、自分の生活を守ろうとする。若者は、よく分からない30年後より、目の前の仕事や生活を優先する。
これはとても普通なことです。
メディアは、多くの人が理解できるように、選挙を分かりやすく伝える。政治家は、当選するために票を持っている人の声を聞く。
これも民主主義なのだから当然なことだと思います。
誰もルールを破っていない。むしろ全員が、その仕組みの中で合理的に行動している。
つまり問題なのは、誰かが間違っていることではない。
全員が合理的に動いているのに、全体として不合理な結果に向かってしまうことなのです。
それなのに、人口動態が変わり、寿命が伸び、少子化が進み、若者の未来が不透明になり、選挙が短期的な勝敗として消費され、政治家が現在の有権者に最適化していくと、社会全体が少しずつ、未来より今を守る方向へ向かっていく。
だから、私は「日本の民主主義は壊れている」と考えています。
選挙がなくなったわけではないですし、言論の自由がなくなったわけでもありません。
制度は動いているのに、制度が正常に動けば動くほど、長期的に必要な選択がしにくくなっている。
これが現実なのかなぁ。と思っています。
壊れたのは民主主義ではなく、民主主義の時間軸なのかもしれない
民主主義は、人と人の平等については非常に強い仕組みです。
お金持ちでも一票。貧しくても一票。社会的地位が高くても一票。そうでなくても一票。この原則はとても大切なのだと思います。
しかし民主主義は、人の生きる時間を考慮されて出来ていません。
今をあと10年生きる人。今をあと50年生きる人。まだ選挙権を持っていない子ども。まだ生まれてすらいない人。
この人たちの時間を、どう平等に扱うのかについては答えを持っていない。
もちろん、だから若者の一票を重くすればいいとか、高齢者の票を軽くすればよいとかいう簡単な話ではありません。
その思想だと民主主義の根本そのものを壊してしまいます。
必要なのはおそらく、
現在の多数決の中に、どうやって未来という視点を組み込むのか
を考えることなのだと思うのです。
OECDでも、将来世代の権利を制度化することや、若い世代の参加を広げることなど、未来世代を現在の政策決定に取り込む方法が議論されています。
ただ、制度を変える前に、まず私たち自身が選挙の見方を変える必要があるのかもしれません。
誰が勝つのかを見る。自分にいくら得があるのかを見る。今の生活がどうなるのかを見る。
もちろんそれも重要なのですが、同時に、
この選択を30年続けた先に、どんな日本があるのか。
を考える。この視野を持てるか。
社会が長寿命化し、人口構造が大きく変わり、私たちが選ばなければならない未来が長くなったにもかかわらず、民主主義の時間軸だけを、昔のままにしてしまった。
今の日本で起きていることは、そういうことなのではないかと思います。
民主主義とは、本来「今いる人のためだけの制度」ではないはずです。
平等に今を生きている私たちが、
まだここにいない人の未来まで、どうやって責任を持って選ぶのか。
を考える制度であってほしいと思います。
少子高齢化が進む日本では、そろそろそこまで考えて民主主義をアップデートする時期に来ているのだと思いますが、これはどこから始めたらよいのか。
私は日々考えながら、少しでも自分の会社で自分が出来ることを一生懸命やるしかないか。という結論に日々達して終わってしまっています。
最近時折、秦王がなぜあそこまで強引に中華統一を目指したのか、少し分かる気がすることがあります。
国や立場が違えば、それぞれが合理的に動く。全員が自分の正義を持っている。それでも全体として争いは終わらない。
もちろん武力による統一が正しいという話ではありません。
ただ、個々の合理性だけでは全体最適に辿り着けない状況を見続けた先で、「もう仕組みごと変えるしかない」と考えたくなる感覚自体は、少し分かる気がします。
とはいえ、現代の日本でそれをやるわけにはいきません。
なので私は今日も、自分の会社で、自分にできることを粛々とやるしかないという結論に戻ってきます。
それでは、皆様、明日から一生懸命働きましょう!






