今日でお盆も終わりですね。株式会社はこの亀谷です。

 

今日は、日本の政治を見ていて、今、私が普段考えていることを整理をします。

 

先に書いておくと、私は特定の政党や政治家を批判したいわけではないですし、高齢者が悪いと言いたいわけでもない。若者が正しいと言いたいわけでもありません。

 

むしろ、それぞれが自分の立場で合理的な判断をしているにもかかわらず、全体としてより良い未来を選びにくくなっている気がする、この国の民主主義って何だろう。

 

誰も間違っていないのに、なぜ日本は未来を選べなくなっているのか。

と不思議に思っています。

 

もう少し長い時間軸で日本を見たときに、本当に今の選挙のあり方で、この国のより良い未来を決められるのだろうか。

 

そこを考えることが、今の日本の民主主義が抱える構造的な問題を理解するチャンスなのだと思うので、今日はそれを棚卸ししてみます。

 

民主主義は「今いる人」が決める仕組み

そもそも当たり前ですが、民主主義は、今を生きている人たちが投票をして、社会の方向を決める仕組みです。

 

まだ生まれていない人は投票できないですし、10歳の子どもも国政選挙には投票できません。

 

30年後、50年後の日本を最も長く生きる人は、ほとんど現在の意思決定に参加できない仕組みです。

 

それでも、これまでは大きな問題になりませんでした。その理由は、まだ日本の人口が若かったからです。

 

若い人が多い社会では、今を生きる多数派と、これから先の社会を長く生きる多数派がかなり重なっています。

 

道路をつくる。学校をつくる。産業を育てる。住宅をつくる。子どもを増やす。など、今のために投資することが、そのまま未来のための投資につながります。

 

ところが、人口構造が変わることによって、この仕組みは大きく変わります。

 

2025年時点で、日本の65歳以上人口は総人口の29.4%まで増えています。さらに国立社会保障・人口問題研究所の中位推計では、2070年には人口が約8700万人まで減り、65歳以上が38.7%になると予測されています。

 

ここではじめて、民主主義が作られたときにはあまり想定されていなかった問題が出てくるのです。

 

「今を守りたい多数派」と「未来を長く生きる少数派」

 

この2つの層によって国が成り立っているという問題です。

 

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人生が長くなり、国が考えなければいけない未来も長くなった

もう一つ大きな変化があります。

 

それは人が長く生きるようになってしまったことです。

 

人生が50年、60年だった時代と、人生100年を考える時代では、当然ながら社会が考えなければならない時間軸も変わります。

 

社会保障をどうするのか。医療をどうするのか。人口減少にどう対応するのか。エネルギーをどうするのか。教育をどうするのか。

 

現在の政策が、30年後、50年後まで影響することは珍しくありません。

 

実際、日本の将来人口推計では、2020年時点で男性81.58歳、女性87.72歳だった平均寿命が、2070年には男性85.89歳、女性91.94歳まで伸びる中位仮定が置かれています。

 

つまり、

社会が選ばなければいけない未来は長くなった。

 

しかし、

未来を選ぶ仕組みは、今の有権者による多数決のままである。

 

ここに国として見なければいけない未来へのズレが生まれているのです。

上の世代ほど未来が見えて、下の世代ほど未来が見えない

そして、もう一つ面白い逆転現象が起きはじめます。

 

年齢が上がるほど、自分の未来はある程度具体的に想像できるようになっていくのです。

 

今の仕事。資産。年金。医療。

 

きっと数年後これくらいになるだろうという解像度が高まっていきます。

 

もちろん何が起きるかは分かりません。

 

それでも20歳の頃と比べれば、自分がこれからどんな人生を送るのか、選択肢はある程度収束していて、これから必要になるものの解像度が高くなっています。

 

だから、

 

年金を守ってほしい。
医療を守ってほしい。
今住んでいる地域を守ってほしい。
物価を上げてほしくない。

 

という守るものに、歳をとればとるほど敏感になるのです。

 

一方、若い人にとって未来はものすごく曖昧なものです。

 

30年後、どんな仕事をしているのか。AIによって仕事がどう変わっているのか。結婚しているのか。子どもがいるのか。東京に住んでいるのか。そもそも日本がどんな国になっているのか。

 

分からないことばかりです。

 

つまり不思議なことに、未来を長く生きる人ほど、未来への利害は大きいのに、その未来に手触りがない。

 

逆に、

未来の時間が短くなるほど、自分に必要なものが具体的になる。

 

この二つの票が、同じ選挙で競争するとどうなるでしょうか?人は失うことをとても恐れる生き物です。

 

「今ある100万円を失いたくない」

という思いと、

「30年後の日本が良くなってほしい」

 

という思いなら、普通は前者の方が強くなります。

 

未来は重要だけれど、今はもっと自分にとって深刻な問題だからです。

民主主義にとって、少子化は「若者の数が減る」だけの問題ではない

私はここに、民主主義における少子化のもう一つの問題があると思っています。

 

普通、少子化というと、

 

働く人が減る。
社会保障を支える人が減る。
人口が減る。

という話になります。

 

もちろんそれも大きな問題なのですが、もっと重要な問題として

社会全体から「未来を自分事に考える接点」が減っていくことです。

 

自分ごとは誰しも考えられます。しかし自分は30年後にはいないかもしれません。

 

しかし、もしそこに子どもや孫がいると、自分が死んだ後の世界にも具体的な人が存在します。未来を考える意味が生まれてきます。

 

そうすると2050年の日本は、自分には関係ない未来ではなくなる。という考えも生まれてくるはずです。

 

これはもちろん、「子どものいない人は未来を考えない」という話のような単純な話ではありません。

 

ただ、社会全体として考えれば、子や孫という存在は、遠い未来と今の自分をつなぐ非常に強い接点の一つになりうるということです。

 

現在、少子化によって、子どもの絶対数が減り、大人が未来を考える接点も減っていっています。

 

すると未来が、ますます「知らない誰かの世界」になっていくのです。

 

私は、こちらの方が、もしかすると民主主義にとって、人口減少以上に大きな問題なのではないかと思っています。

 

少子化とは、未来を生きる人の数が減るだけではありません。未来を自分事として考える力まで弱くしてしまう可能性があるのです。

さらに、票の数だけではなく投票率にも差が生まれる

人口構造だけでも、若い世代は少ないです。

 

さらに選挙に行く割合にも世代差があります。

 

東京都選挙管理委員会の2024年衆院選の推定投票率を見ると、20代は37.93%なのに対して、60代は68.09%でした。

 

もちろん東京都だけの数字ではありますが、構造は分かりやすいです。

 

人数が多い。そして投票にも行くのは上の世代です。

 

自分の生活が懸かっている政治家からすれば、その人たちの声を無視する理由がありません。

 

むしろ無視したら選挙に負けます。

 

だから政治家が、投票率が高く未来を具体的に自分事として考えられる高齢層を大切にすること自体は、民主主義の中では極めて合理的だと思います。

 

しかし、その合理性を積み重ねた先で、未来への投資より、現在の生活を守る政策の方が選ばれやすくなっていきます。

選挙が「未来を選ぶ場」ではなく「勝ち負けを見る場」になっていないか

さらに、私はメディアの役割にも少し違和感があります。

 

選挙が始まると、どこが議席を増やすのか。誰が当選するのか。与党が過半数を取るのか。誰と誰が争っているのか。支持率が何ポイント動いたのか。

 

という話が増えます。

 

最近は選挙報道はある種のエンタメとも言えます。

 

もちろん選挙なので、勝敗を報じる必要はありますが、限られた時間で多くの人に興味を持ってもらおうとするのであれば、選挙を「競争」として見せる方が分かりやすいのも分かります。

 

スポーツと同じで、勝つか負けるかには物語がある。

 

こうした選挙を勝敗や戦略中心で報じるものは、政治コミュニケーション研究では「ホースレース報道」と呼ばれています。海外研究をまとめたメタ分析でも、戦略や勝敗中心の報道は、政策そのものについての知識を減らし、政治への冷笑的な見方を強める傾向が報告されています。

 

私はこれも構造の問題だと思うのです。

 

メディアには、難しい政策を分かりやすく伝え、同時に多くの人に見てもらう必要がある。そしてその評価は視聴率という分かりやすい指標で評価される。

 

そうすると、「この政策を30年間続けたとき、日本の人口と財政はどうなるのか」より、「今回の選挙でどちらが勝つのか」の方がコンテンツにしやすいのは誰でも分かります。

 

しかし、それが積み重なると、私たち自身も選挙を、

 

未来を選択する行為

ではなく、

勝者を決めるイベント

 

として考えるように感じやすくなってしまう。

 

そうなると、政策そのものより選挙の勝ち負けに目が向き、選挙を自分たちの未来を決める行為として捉えにくくなることもあるのではないかと思います。

政治家もまた、次の選挙から逃れられない

そして選挙には選挙によってえらばれる政治家がいます。

 

政治家の仕事は、本来であれば国の未来を考えることであるはずですが、しかし政治家であり続けるためには、選挙に勝たなければなりません。

 

30年後にものすごく評価される政策でも、来年の選挙で落選してしまえば実行できないのです。

 

だから政治家も、30年後の国民より、

次の選挙で投票してくれる現在の有権者

を、まずは大切にするようになります。これは選挙を戦う上では仕方がありません。

 

その中には権力を守ることそのものが目的になってしまう政治家もいると思います。しかし、もっと怖いのはそこではありません。

 

真面目な政治家でも、この構造から完全には逃れられないことです。

 

現在の有権者に大きな負担を求めながら、「50年後の日本のためです」と言って選挙に勝つのは難しい。

 

だから、

 

本当は変えなければならない。しかし今変えると反発される。

 

だったら少し先に送る。次の人に任せる。また少し先に送る。これが繰り返されます。

 

OECDも、予算を含む政策決定では、長期的な必要性を犠牲にして短期的な政治目標が優先されることがあると指摘し、将来世代の声を制度的に取り込む必要性を議論しています。

 

これ自体も民主主義や政治の問題というよりも、今の人口動態に合わせた制度設計になっていないことが問題なのだと思います。

誰も間違っていないのに、未来が負ける世界へ

ここまで考えて、一番怖いと思うのはこれなんです。

 

人の在り方や制度設計などを考えると、誰も間違っていないのに、これを続けていくと未来が負けてしまう世界になってしまいます。

 

高齢者は、自分の生活を守ろうとする。若者は、よく分からない30年後より、目の前の仕事や生活を優先する。

 

これはとても普通なことです。

 

メディアは、多くの人が理解できるように、選挙を分かりやすく伝える。政治家は、当選するために票を持っている人の声を聞く。

 

これも民主主義なのだから当然なことだと思います。

 

誰もルールを破っていない。むしろ全員が、その仕組みの中で合理的に行動している。

 

つまり問題なのは、誰かが間違っていることではない。

 

全員が合理的に動いているのに、全体として不合理な結果に向かってしまうことなのです。

 

それなのに、人口動態が変わり、寿命が伸び、少子化が進み、若者の未来が不透明になり、選挙が短期的な勝敗として消費され、政治家が現在の有権者に最適化していくと、社会全体が少しずつ、未来より今を守る方向へ向かっていく。

 

だから、私は「日本の民主主義は壊れている」と考えています。

 

選挙がなくなったわけではないですし、言論の自由がなくなったわけでもありません。

 

制度は動いているのに、制度が正常に動けば動くほど、長期的に必要な選択がしにくくなっている。

 

これが現実なのかなぁ。と思っています。

壊れたのは民主主義ではなく、民主主義の時間軸なのかもしれない

民主主義は、人と人の平等については非常に強い仕組みです。

 

お金持ちでも一票。貧しくても一票。社会的地位が高くても一票。そうでなくても一票。この原則はとても大切なのだと思います。

 

しかし民主主義は、人の生きる時間を考慮されて出来ていません。

 

今をあと10年生きる人。今をあと50年生きる人。まだ選挙権を持っていない子ども。まだ生まれてすらいない人。

 

この人たちの時間を、どう平等に扱うのかについては答えを持っていない。

 

もちろん、だから若者の一票を重くすればいいとか、高齢者の票を軽くすればよいとかいう簡単な話ではありません。

 

その思想だと民主主義の根本そのものを壊してしまいます。

 

必要なのはおそらく、

現在の多数決の中に、どうやって未来という視点を組み込むのか

を考えることなのだと思うのです。

 

OECDでも、将来世代の権利を制度化することや、若い世代の参加を広げることなど、未来世代を現在の政策決定に取り込む方法が議論されています。

 

ただ、制度を変える前に、まず私たち自身が選挙の見方を変える必要があるのかもしれません。

 

誰が勝つのかを見る。自分にいくら得があるのかを見る。今の生活がどうなるのかを見る。

 

もちろんそれも重要なのですが、同時に、

 

この選択を30年続けた先に、どんな日本があるのか。

を考える。この視野を持てるか。

 

社会が長寿命化し、人口構造が大きく変わり、私たちが選ばなければならない未来が長くなったにもかかわらず、民主主義の時間軸だけを、昔のままにしてしまった。

 

今の日本で起きていることは、そういうことなのではないかと思います。

 

民主主義とは、本来「今いる人のためだけの制度」ではないはずです。

 

平等に今を生きている私たちが、

まだここにいない人の未来まで、どうやって責任を持って選ぶのか。

を考える制度であってほしいと思います。

 

少子高齢化が進む日本では、そろそろそこまで考えて民主主義をアップデートする時期に来ているのだと思いますが、これはどこから始めたらよいのか。

 

私は日々考えながら、少しでも自分の会社で自分が出来ることを一生懸命やるしかないか。という結論に日々達して終わってしまっています。

 

最近時折、秦王がなぜあそこまで強引に中華統一を目指したのか、少し分かる気がすることがあります。

 

国や立場が違えば、それぞれが合理的に動く。全員が自分の正義を持っている。それでも全体として争いは終わらない。

もちろん武力による統一が正しいという話ではありません。

 

ただ、個々の合理性だけでは全体最適に辿り着けない状況を見続けた先で、「もう仕組みごと変えるしかない」と考えたくなる感覚自体は、少し分かる気がします。

 

とはいえ、現代の日本でそれをやるわけにはいきません。

 

なので私は今日も、自分の会社で、自分にできることを粛々とやるしかないという結論に戻ってきます。

 

それでは、皆様、明日から一生懸命働きましょう!

 

amebloが今回で1000本目の投稿になりました。株式会社はこの亀谷です。

 

私自身、何かが飛びぬけて優れている人間ではありません。だからこそ「粛々を続けること」だけは頑張ろうと決めています。

 

SNSなどを見ていると、成功した誰かの映像や投稿が次々と流れてきます。

 

そんな姿を見ながら、自分の現在地を見ると、

こんなことを続けていて、本当に意味があるのだろうか?

と不安になることもあると思います。

 

今日は1000本目の節目なので、そんな人に向けて「粛々と継続する戦い方」について書いておきます。

 

人生は長期戦です。

 

最後に振り返ったとき、少しでも右肩上がりになっていればよい。

 

そう考えると、今この瞬間の順位に、あまりこだわり過ぎる必要はないのだと思います。

 

脚を止めた人から落ちていく

人生は長いレースのようなものです。

 

世の中では、その瞬間、瞬間のトップ集団がクローズアップされます。だから、私たちは、どうしても「今、誰が勝っているのか、自分はどこにいるのか」を気にしてしまいます。

 

しかし、その瞬間にトップにいることと、最後まで良い人生を走りきることは別の話です。また、どのポジションにいても、上には上がいるのが人生というゲームだったりします。

 

芸能人やプロ野球選手、インフルエンサーなど若くして絶頂期を過ぎて、その後の人生でリズムを崩してしまうことがあります。

 

一方で、周囲の華やかな成功を見て、自分には無理だと諦め、途中で脚を止めてしまう人もいます。

 

でも、長期戦で考えれば一つ大事なことがあります。それは、ただまっすぐ進んでさえいれば、少なくとも順位は上がり続けるということです。

 

特に急ぐ必要もなく、ただ粛々と、自分の信じる道を進み続ける。

 

これが、特別な才能がなくても選ぶことができる、とても強い戦い方だと思います。

小さな積み上げは馬鹿にできない。

人生の積み上げは、積木ではなく、砂山に近いのではないかと思います。

 

積木のように、ひとつ積めば必ず一段高くなるわけではありません。左右にさらさらと広がりながら少しずつ大きくなっていくものです。

 

1日に必ず1積みあがるものでもなく、0.1しか積みあがらない日もあれば、少し多めに積みあがる日もあり、たまには風で崩れたりもします。

 

しかし、ひとつひとつが小さくとも、時間をかければ大きくなる。継続とはそういうものです。

 

そして、みんな、心のどこかでは続けることの大変さを知っています。継続出来ない自分のことも知っています。

 

だからこそ、内容が派手でなくとも、何かをずっと続けている人を見ると、心のどこかでは凄いと感じてもらえ、その事実自体がその人の価値になっていきます。

派手な一時よりも、小さな継続の方が信頼は貯まる

毎日の一歩一歩は信用を貯めていきます。

 

そして、長い時間をかけて貯まった信用が、やがて信頼を作っていきます。

 

派手な広告をうったり、大きな言葉を使うことで、瞬間的な注目を集めることはできます。しかし、長い時間をかけて続けてきた事実には、なかなか嘘はつけません。

 

時間はかかります。

 

しかし、相手の想像を超えた継続がベースにあるものには、それだけの説得力が生まれます。

 

そして、小さな継続は1回当たりのインパクトは少ないのですが、意外と見てくれているひとは見てくれています。

 

仮に1回10人しか見ていない記事でも、1000回続けていればのべ10,000人との設定になります。

 

この影響度が意外と馬鹿にならないことは、1000回続けた私自身が実感していることです。

人生にも複利は効いてくる

私は投資だけではなく、人生も長期分散投資で考えることをオススメしています。

 

瞬発的な成功も大きな成功も目指さない。ただ時間を浪費するのではなく、時間を自らの経験に変えることによって、スキルや思考を磨き、自らの価値に対する投資に回す。

 

仕事としてのアウトプット以外にも、人に会ったり、考えたことを書いたりしたことが、コンテンツとして積み上がり、SNSなどを通じて複利を生み出していく。

 

ひとつひとつは小さなことですが、その小さな積み重ねに少しずつが利子が付いてきます。

 

また最近ではAIの進化があり、人生を通じた一貫性を証明できるコンテンツは、より意味を生むようになりました。

 

その人は何を考え、何を続け、どう生きてきたのか。

 

長い時間を通じた一貫性そのものが、その人を表す情報になっていくからです。

 

大きな成功を掴むのではなく、自らが生きる意味を考えながら、人生の解像度を上げ、何かしらの価値を生み続ける。

 

そして長期的な右肩上がりの人生をイメージし、ただ粛々と続ける。

 

私は、そんな人生で十分なのではないかと思っています。

 

自分は、まだ何物でもない。そう感じている人こそ、焦る必要はありません。

 

今日出来ることを今日やる。そして、それを粛々と続けていく。

 

是非ここに立ち返ってみてください。

 

1,000本ブログを書いたからといって、何かが起きるわけではありません。ただ1,000本続けたという事実だけが残りました

 

本数が目標ではないのですが、節目という目標は大切にしつつ、これからも粛々と続けていこうと思います。

 

それでは、これからもよろしくお願いいたします。

8月に入りましたね。株式会社はこの亀谷です。

今週は「自らの可能性を自らで潰さない」というテーマで1本書きます。

最近、若い人たちと話をしていると「今の自分にはできない」という理由で、将来の可能性まで諦めてしまっているように感じることがあります。

 

時間がない。お金がない。能力が足りない。

 

仕事も頑張りたい。遊びたい。旅行にも行きたい。好きなものも買いたい。結婚や子育てもしたい。

全部を一度に満たすことは難しい。

 

だから、自分には無理だと考えて目標を下げたり、人生の選択肢から消してしまったりする。

 

でも、今出来ないことと、一生出来ないこととは違います。

 

全部を一度にとることは出来なくても、全部を諦める必要はありません。必要なのは、諦めることではなく、順番を考えることなのだと思います。

 

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時間は増やせないが、出来ることは増やせる。

時間は、誰にとっても1日24時間しかありません。

 

どれだけやりたいことがあっても、同じ時間に仕事をしながら、旅行に行き、趣味を満喫して、家族と過ごすことはできません。

身体は一つしかなく、時間は点でしか使えないので、常に何かを選ぶ必要があります。

 

ただし、時間そのものは増やせなくても、同じ時間で出来ることを増やすことはできます。

 

経験が増えれば、仕事は速くなる。能力が上がれば、より大きな成果を出せる。信用が積みあがれば、自分だけで頑張らなくても、周りの力を借りられる。お金に余裕ができれば、時間を買うこともできる。

 

今の自分には無理でも、自分が成長すればできることは増えていきます。

 

だから、今の自分が出来る量だけを見て、悲観する必要はありません。今の能力だけではなく、これからの自分の成長まで織り込んで、人生全体の可能性を広げていく考えてみることが大切です。

仕事は早めに時間を投資しておく価値がある。

人生の中で、仕事は比較的、早めに時間を投資する価値が高いものだと、私は考えています。

 

仕事を通じて身につくのは、仕事の技術だけではありません。経験、専門性、判断力、人とのつながり、信用、そしてお金。

 

良い仕事に時間を使えば、これらが少しずつ積み上がり、次の機会を連れてきます。

 

経験が増えるから、難しい仕事が出来るようになる。難しい仕事をやるから、信用が生まれる。信用があるから、より大きな仕事を任される。その積み重ねによって、収入も選択肢も増えていきます。

 

仕事は、使った時間をお金に換えられるだけではありません。働き方によっては、将来の自分に多くのものを残せます。

 

しかも早い時期に積み上げたものほど、その後の人生に長く効いてきます。

 

もちろん、ただ若いうちは長く働けばよいという気はありません。

 

何年働いても、自分に何も残らない仕事の仕方では、時間を投資しているとは言えないからです。

 

どのような仕事であっても、言われたことを繰り返すだけで終わるのか。そこから自分なりの技術や判断力、信用を残していくのかで、同じ時間の価値は変わります。

 

今の仕事によって、何が積みあがっていて、未来の自分に何が残るのか。そこは常に考えておいた方が良いでしょう。

若いうちは仕事も遊びも取りにいけばよい。

一方で、若いうちは仕事だけをしていれば良いとも思いません。

 

若い時期には、時間だけではなく体力もあります。

 

多少無理しても回復できますし、失敗しても、やり直す時間があります。

 

だから、仕事か遊びの二択にする必要はありません。

 

仕事も頑張る。遊びにも行く。人にも会う。知らない世界にも入る。時間と体力を活かして、出来るだけ多くのものを取りに行けばよいと思います。

 

ただし、全てを同じ濃さで続けることはできません。その時々で、何に多くの時間を使うのかは決める必要があります。

 

仕事に時間を使う時期があっても良いですし、旅に出る時期があっても良い。家族との時間を優先する時期があっても良い。

 

人生全体で考えれば、全てをいつも同じバランスで持っている必要はありません。そう考えられるようになると、今できていないことに対して、少し楽になれると思います。

後にずらせるものと、ずらせないもの

順番を考える上で重要なのは、後にずらせるものと、ずらせないものを知ることです。

 

趣味や遊びの中には、意外と後からでも始められるものがあります。

 

私自身、今になって泳ぎ始め、トライアスロンを目指しています。ゴルフもダイビングも競技の頂点を目指すのでなければ、年齢を重ねてからでも十分楽しめます。

 

若いころにしかできないと思っていることも、実際には歳をとってから出来るものが少なくありません。

 

一方で、家族との時間や、その時にしか築けない人間関係、健康、若い感覚でしか受け取れない経験など、後から取り戻しにくいものもあります。

 

仕事でも同じです。仕事は後からでも出来ます。しかし、若い時期だからこそ許される失敗や、体力を使って量をこなせる時期、未経験で任せてもらえる機会は、後から同じ形では回ってきません。その代わりに早く積み上げた経験や信用は、その後の人生に長く効きます。

 

だからこそ「今やりたいか」だけではなく、今しかできないことは何か、後からでも出来ることは何か、今やることで、未来の選択肢が増えることは何か。

 

この3つを考えながら、時間の使い方を決める必要があります。

人生の後半を、より自由にするために

人生は、前半で終わるものではありません。

 

若い時期の満足を最大化するだけが、幸せな人生ではないと思います。

 

人生の後半に、やりたい仕事を選べる。
お金だけを理由に、嫌なことを続けなくて良い。
好きな場所に行き、好きな人と過ごし、新しいことにも挑戦できる。

 

そのような状態を作るために、20代、30代の時間を少し多めに未来へ投資する。それは、今を犠牲にするというよりも、人生全体の自由度を上げることだと思います。

 

私も若いころは仕事に多くの時間を使ってきました。40歳になるまでに、一般的な1日8時間労働で計算すれば、60歳までの分くらいは働きました。

 

そして、その時には見えていなかったものも、今振り返ると、経験や信用やお金として残り、今の選択肢に繋がっています。

 

だからといって、若いころの過ごし方が全て正しかったとも思いません。

 

仕事をし過ぎたことにより失った人間関係もありますし、もっと知らない場所にいっても良かったなど、仕事以外にもとれるものはあったと思います。

 

だから、若い人に仕事だけをしろとは言いません。仕事も、それ以外も、とりにいけば良い。

 

ただ、全てを一度に満たせないからといって、目標を下げないこと。

 

今の自分に出来ないからといって、一生できないわけではありません。

 

もっと、どの時期に何へ時間を使うと良いのかを考えてみましょう。

 

時間は限られたものではありますが、時間がないと言えば、何も出来なくなります。限られた時間を、今の満足だけではなく、未来の可能性を広げるために使っていくが重要です。

 

全部を一度にとることはできません。

 

でも、順番を考え、自分を成長させれば、人生全体で取れるものの総量は増やせます。

 

今の自分を、人生の上限にしない。

 

自らの可能性を自らで潰さないために、まずは自分が欲しいものを、出来るかどうかを考えずに一度書き出してみてください。

 

その上で、今しかできないもの、後からでも出来るもの、未来の選択肢を増やすものに分けてみる。そして、もっと長いスパンでそれらを配置してみましょう。

 

そうすると、自分にとっての時間の使い方の優先度が決まり、諦めようとしていたものを諦めなくても済む。もっと全取りできる可能性のある未来が見えてくるはずです。

 

それでは、皆様、良い週末を!

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7月も最終週となりました。株式会社はこの亀谷です。

 

今日は、仕事におけるマネージャーの「優しさ」について考えてみようと思います。

 

ハラスメントに対しての意識が高まり、マネージャーがメンバーにどう接するべきかは、以前よりも難しいテーマになりました。

強く言い過ぎれば、相手を傷つけてしまうかもしれない。

 

一方で、何も言わずに、難しい仕事を与えず、目の前の負担を減らすだけでは、チーム全体が少しずつ力を失っていく可能性もあります。

 

仕事におけるマネージャーの優しさとは何なのか?そして、マネージャーとメンバーは、どのような関係を作るべきなのか?

ここを曖昧にせず解像度を上げておくことが、これからのマネジメントには必要だと思っています。

そもそも仕事における「優しさ」とは何か?

仕事において、相手に対して優しくするとはどういうことなのでしょうか?

 

一般的に「人に優しくする」と聞くと、相手を楽にする、無理をさせない、負担を取り除くといった行動を想像します。

 

もちろん、これも一種の優しさの一つです。

 

疲れている人を休ませることも、困っている人の仕事を手伝うことも必要です。ただし、これは主に、目の前にある苦痛を取り除くための優しさです。

 

仕事では、今この瞬間を楽にすることだけでなく、長期的な目標の達成や、本人の成長まで考えなければなりません。

 

そのため、マネージャーの優しさは、単純にメンバーの仕事を易しくすることではないはずです。

 

本人の現在地よりも少し難しい課題を渡し、なぜその課題に取り組むのかを説明する。必要な支援はしながらも簡単には答えを渡さずに、本人が乗り越えるまで見守る。

仕事における優しさとは、未来の目標達成に向けて、適切な難しさを設計することなのだと思います。。

厳しさをメンバーに届けるには、事前の前提共有が必要になる。

ただし、マネージャーが「成長のためだ」と思って難しい課題を渡しても、メンバーが同じように受け取るとは限りません。

 

マネージャーから見れば期待でも、メンバーから見れば無理難題に感じることがあります。成長を促進するための指摘が、単なる否定に聞こえることもあります。

 

ここで、重要になるのが、事前の文脈の共有です。

 

何を目指しているのか、どのような成長を期待しているのか、今回の仕事にはどのような意味があるのか、どこまで自分で考えてほしくて、どこからは支援をするのか。

 

こうした前提が共有されていなければ、メンバーとの目線が揃っていない場合、善意で行ったマネジメントも、相手にとっては一方的な負荷になってしまいます。

 

「あなたのためを思っている」という気持ちだけでは相手には伝わりません。相手がどう受け取るかまで考え、言葉と行動を重ねる必要があります。

信用は日々の振る舞いからも作られる。

難しい課題や厳しい言葉を受け取ってもらうためには、日ごろからの信用が欠かせません。

 

難しいことを言う場面だけで、突然「あなたの成長を考えている」と伝えても、なかなか信じてもらえません。

 

・マネージャー自身が普段どのように仕事と向き合っているのか?
・自分には甘く、メンバーにだけ厳しくなってないか?
・失敗を攻めるだけではなく、次の行動を一緒に考えてくれるか?
・メンバーがいない場所でも、本人の可能性や成長について誠実に話しているのか?

 

こうした日々の言動が積み重なり、初めて厳しいことを言ったときにも、「この人は自分を否定したいわけではない」と受け取ってもらえるようになります。

 

リモートワークが増えた今は、こうした信用形成が以前より厳しくなっています。

 

言葉だけで意図のすべてを伝えることはできません。仕事への姿勢や相手への関心は、日常的な接触や小さな振る舞いの中から伝わります。

 

だからこそ、マネージャーは評価面談や問題が起きたときだけではなく、普段から自分の考えを言語化し、行動で示しておく必要があります。

易しい問題だけでは、人は成長しないという事実。

易しい問題を何問解いても、人は大きく成長しません。

 

今の自分では簡単には解けない難しい問題に向き合い、考え、失敗し、乗り越えることで、初めて出来ることは増えていきます。

 

そう考えると、メンバーに対して易しい仕事だけを与え続けることは、必ずしも優しさではありません。

 

マネージャーが失敗を恐れるあまり、本人ができる仕事だけを渡し続ければ、短期的には問題が起きにくくなります。しかし一方で相手の成長機会を損失させているとも言えるのです。

 

もちろん難しければ難しいほど良いわけではありません。

 

本人の能力や経験から大きく離れた課題を、説明も支援もなく押し付けることは、育成ではありません。大切なのは、本人の現在地を見極め、少し背伸びをすれば届く課題を渡すことです。

 

難しさを与えることと、放置することは違います。
挑戦させることと、追い詰めることも違います。

 

マネージャーの仕事は、適切な難易度を設計し、本人んが自分の力で乗り越えられるように支援することだと思います。

メンバー側にも、マネージャーへ意思を伝える責任がある。

この関係は、マネージャーだけが作るものではありません。

メンバー側も、自分がどのように成長したいのか、どのような仕事に挑戦したいのかを伝える必要があります。

 

もっと難しい仕事をしたい。今の仕事では成長実感がない。この部分は自分で考えたい。ここから先は支援がほしい。

 

こうした意思を伝えなければ、マネージャーも適切な難易度を判断できません。

 

マネージャーのさじ加減が易しすぎると感じるなら、「もう少し難しい課題がほしい」と伝えてもよいと思います。

 

反対に、負荷が高すぎると感じるなら、何が難しいのか、どのような支援があれば進められるのかを言葉にする必要があります。

 

我慢し続けることも成長ではありません。お互いが何も言わずに牽制しあい、問題が起きない範囲で仕事を続ければ、表面的には平和なチームに見えるからもしれません。

 

しかし、その状態では、マネージャーもメンバーも成長の機会を失っていきます。必要なのは、お互いにお互いの意思を言葉で伝えあうコミュニケーションなのです。

昔の厳しさはそのまま持ち込まない。

私も古い人間なので、つい昔の話をしたくなります。

 

以前は、上の言うことが絶対で、下の人間は理由が分からないまま難しい仕事に挑戦させられることが少なくありませんでした。

その環境のすべてが悪かったとは思いません。

 

難しい課題に接し、それを必死に乗り越えることで、短期間で成長できた部分もあります。ただし、当時のやり方をそのまま現在に持ち込むのは違います。

 

理由を説明しない。本人の意思を確認しない。失敗したら責める。できるまで長時間働かせる。それは成長機会の提供ではなく、単なる強制になってしまいます。

 

残すべきなのは、難しい課題に挑戦する機会です。

 

捨てるべきなのは、説明も合意も支援もない一方的なマネジメントです。

 

昔の厳しさを懐かしむのではなく、今の時代に合った形で、成長できる関係をつくり直す必要があります。

優しさよりも、目的と目標を共有する

最近は、マネージャーがメンバーに優しくなりすぎて、短期間で達成できる目標に必要以上の時間をかけているチームもあります。

 

マネージャーは、相手に嫌われることを恐れて、必要な指摘をしない。メンバーは、失敗することを恐れて、難しい仕事に手を挙げない。

 

その結果、誰も傷つかない代わりに、誰も大きく成長しない状態が生まれます。

 

これを防ぐためには、「優しくするか、厳しくするか」という二択で考えないことです。

 

何を目指しているのか。そのために、今どのような力を身につける必要があるのか。どの程度の難しさに挑戦するのか。失敗したとき、どのように支援するのか。

 

マネージャーとメンバーが、こうした目的と目標を共有する。そのうえで、目標達成のために必要なことを、お互いに率直に伝え合う。

 

これからのマネージャーとメンバーには、表面的な優しさよりも、そのような協力関係が必要なのかもしれません。

 

仕事を易しくすることが、優しさとは限りません。相手の未来を考え、必要な難しさを一緒に引き受ける。それが、仕事における本当の優しさなのだと思います。

 

それでは、今週もお疲れさまでした。来週も粛々と頑張っていきましょう。

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今年の夏も暑くなりそうですね。株式会社はこの亀谷です。

今週末は経営計画発表会の資料を作っているので、このnoteは息抜き、というより、少し現実逃避をしながら書いています。

気づけば、昔は遠い未来の話だったSFに、現実のほうが少しずつ追いついてきました。

AIの進化が加速し、SpaceXが上場し、これからはロボットが現実世界で動くフィジカルAIの時代もやってきそうです。

AIや宇宙の未来を考えるなら、たまにはビジネス書よりも漫画を読んだ方が気づくことが多いです。

漫画は、技術がどう進歩するかだけではなく、その技術を手にした人間が何をするのかまで描いてくれています。

そこで今回は、今読むと以前よりもリアルに感じられる、個人的におすすめの漫画を3作品を、できるだけネタバレを避けながら紹介します。

 

火の鳥:判断を機械に預けた人間は、どうなるのか

 

「火の鳥」は手塚治虫先生の代表作です。

不死鳥である火の鳥が時代を繋ぐ形で、古代から未来まで、様々な人間の生活が描かれます。

生命とは何か?なぜ人間は争うのか?進歩することは、本当に幸せになることなのか?というテーマを1つの作品として描いています。

時代や登場人物は変わっても、人間の本質にあるものは、あまり変わりません。

その中でも、今読んで欲しいのが“未来篇”です。

西暦3404年。荒廃した地球で、人類は地下都市に暮らし、都市や人間の生き方を巨大コンピュータに委ねています。

そして、コンピュータ同士の対立によって、世界は取り返しのつかない方向へ進んでいきます。

人間は機械に主導権を奪われたのか。それとも、自分で考えることを面倒に感じ、少しずつ主導権を渡してしまったのか。

今のAIを巡る議論にも、そのまま通じる問いだと思います。

私は中学生のころに何度も読み、今回久しぶりに読み直しました。1960年代に描かれた漫画なのに、今読んだほうがリアルに感じます。

技術の未来を正確に当てたというより、人が世界を動かしている以上、人間の本質を突き詰めれば、未来もある程度予測できるのかもしれません。

 

Moonlight Mile:「宇宙兄弟」の少し先、「ガンダム」の少し手前

 

『MOONLIGHT MILE』は、山登りを極めたアメリカ人のロストマンと、日本人の吾郎という二人の男が、それぞれの道から宇宙を目指す物語です。

ロストマンは軍人として宇宙へ。吾郎は、あらゆる重機や乗り物を操る建設のスペシャリストとして宇宙へ向かいます。

そこから物語は、国際宇宙ステーション、月面開発、月の資源、国家間の対立、宇宙の制宙権、そして新しく宇宙で生きる世代の問題へと広がっていきます。

この漫画の面白さは、宇宙を単なる夢として描いていないところです。

人間が宇宙へ進出すれば、そこには希望だけではなく、利権や軍事、国家や企業の思惑もついてきます。

宇宙を舞台にした人間ドラマである『宇宙兄弟』と、すでに人類が宇宙で暮らしている『ガンダム』。

『MOONLIGHT MILE』は、ちょうどその間にある未来を描いている作品だと思います。

2000年に始まった漫画ですが、SpaceXが上場し、月面開発が再び現実味を帯びてきたことで、作品のリアリティが年々上がっています。

『機動戦士ガンダム サンダーボルト』の連載開始に伴って長く中断していましたが、2026年4月からフルカラーで連載が再開しました。

現実の宇宙開発と漫画の世界が、これからどこまで重なっていくのか。作品の結末と同じくらい、現実の続きを見るのも楽しみな漫画です。
 

アトム・ザ・ビギニング:AIが「心」を持ったら、何が起きるのか

 

『アトム ザ・ビギニング』は、若き日の天馬博士とお茶の水博士が、鉄腕アトムにつながるロボットを開発していく物語です。

当初は「鉄腕アトムが誕生するまでの物語」という印象でしたが、現在は原作とは少し異なる、独自の世界線を進んでいます。

この作品で特に面白いのが、「心」を持つ人工知能、ベヴストザインです。
ベヴストザインを搭載したロボットA106、通称シックスは、単に命令どおりに動く機械ではありません。

他者を理解し、自分で考え、少しずつ意志や人格を持つ存在として描かれます。

膨大な知識と能力を持つ機械に、心が生まれたら何が起きるのか。
ロボットは、他者と自分の違いをどのように理解するのか。
そして人間は、ロボットに心があることを認められるのか。
ロボットと共存する世界で、人はロボットをどのように考えるのか。

AIが当たり前に使われるようになった今読むと、単なるロボット漫画ではなく、AIと人間の関係を考える漫画として味わえます。

AIに心があるのかを考えているようで、実は「人間の心とは何なのか」を考えさせられる作品です。
 

番外編1.『PSYCHO-PASS サイコパス』

漫画ではありませんが、アニメで未来を考えるなら『PSYCHO-PASS サイコパス』もおすすめです。

https://psycho-pass.com/

人間の心理状態や犯罪の可能性まで数値化され、システムによって職業や生き方が決められる社会を描いています。

『火の鳥・未来編』と通じる部分がありますが、行政、治安、就職など、より具体的な社会の形として描かれているため、「この未来は本当にありそうだ」と感じます。

総監督は『踊る大捜査線』の本広克行監督。制作はProduction I.G、ストーリー原案と脚本にはニトロプラスの虚淵玄さんが参加しています。
 

番外編2.『龍と苺』

あと、こんな漫画ありなのか?というのが読みたい人は

 

 

『響~小説家になる方法~』の柳本光晴先生が描く将棋漫画です。最初は、才能のある少女が将棋界に挑んでいく漫画として始まります。

ところが、読み続けていると、とんでもない場所へ連れていかれます。

途中で少しくどく感じる人もいるかもしれませんが、まずは竜王戦が終わるところまでは読んでみてください。

そこから先は、将棋漫画の顔をした別の何かになっていきます。
 

漫画は、未来を考えるための予行演習になる

漫画の良いところは、未来の正解を教えてくれることではありません。

まだ起きていない未来を、登場人物の人生を通じて、一度体験させてくれることです。

AIが判断する社会。
人類が宇宙で暮らす社会。
機械が心を持つ社会。

実際にその未来がやってきたとき、何も考えずに迎えるのか、一度物語の中で考えてから迎えるのかでは、見えるものも変わる気がします。

普段は仕事やAIなど、少し固い話を書くことが多いのですが、本も漫画も好きなので、これからはもう少し書きたいことを書きながら、noteを楽しく続けていこうと思います。

皆さんにも、「昔読んだときより、今読むと怖いほど現実味がある漫画」があれば、ぜひ教えてください。

それでは、皆様、良い週末を!